新人事制度 大阪での報告①~③
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労働者文学会ホームページ冒頭のコラムは半月ごとに更新される。2月前半のそれは酔流亭に順番が回ってきた。 こんな文章です。今月なかばまで掲載される。 沖縄戦を忘れるな 沖縄在住の芥川賞作家、目取真俊氏の短編小説『闘魚』(とーいゆー)に登場する老女カヨは、沖縄戦が終わったとき11歳だった。7歳の弟がいた。勘吉といった。父は病没、母ウシと幼い妹ミヨとの4人家族は、辺野古の大浦湾に面して米軍が作った収容所に入れられた。母と妹がマラリアに罹って高熱を発し寝込む。 貝で出汁をとって熱い煎じ汁を飲ませれば元気が出る。そう思ってカヨと勘吉は海に貝を獲りに行き、勘吉は貝を獲るのに夢中になって潮に流されて死んでしまう。 作者・目取真氏の母親も沖縄戦のとき11歳で、勘一という名の8歳の弟がいた。作者にとって叔父にあたる。その勘一は米軍が残していったガソリンがランプから引火し、全身火だるまになって死ぬ。収容所で配給される食糧だけでは足りないので、米軍のゴミ捨て場から拾った缶詰の残りなどで食をつなぐ日々に起きた事故である。『闘魚』において大浦湾にのまれた勘吉には、大火傷を負って亡くなった作者の叔父・勘一が投影しているのは明らかだろう。 勘吉の遺体は収容所の端に埋められた。3年後の夏に掘り出し、洗骨して荼毘に付した。 1月10日、防衛省は辺野古北側の大浦湾で工事に着工した。埋め立てには、沖縄戦最大の激戦地となった本島南部の土砂も使う。20年の設計変更申請で調達先に追加したのである。そういう設計変更の承認を国が「代執行」したのだ。 勘吉(勘一)の遺骨は掘り出されて埋葬された。しかし、20万人以上そのうち沖縄県民は12万人以上、県民の4人に1人が亡くなった沖縄戦では、地中に遺骨がまだ埋まっている。今も毎年50前後の遺骨が発見され続け、なお数千が地中に眠ると言われる。 そんな遺骨が眠る土を軍事基地のための埋め立てに使っていいのか。いいはずがない。 なお『闘魚』も収録された目取真俊氏の最新の短編集『魂魄の道』(影書房)をテキストにした3回連続の読書会が企画された。1回目はすでに去年12月23日、越川芳明・明治大学名誉教授を報告者として行われ、2回目は2月23日、文学研究者の田代ゆきさん、3回目は3月20日、不肖、私が報告を行なう。どちらも午後1時から。会場は労働者文学会が総会や労文賞表彰式でいつも使っている本郷三丁目のHOWSホールである。問い合わせはHOWS(TEL 080-9816-3450)まで。 ![]() ※労働者文学会のHPは充実してきています。コラム以外にも目を通していただければ。
by suiryutei
| 2024-02-02 08:03
| 文学・書評
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