新人事制度 大阪での報告①~③
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『伝送便』2月号寄稿は、労働者文学会のHPにいま掲載されている(今月なかばまで)コラムと内容がかなり重複する。 というわけで、かなり既読感があるかと思いますが、労文HPコラムが900字強に対して『伝送便』寄稿は1200字弱と少し膨らんでもいるので、全文を転写します。 沖縄在住の芥川賞作家、目取真俊氏が二〇一九年に発表した短編小説『闘魚』(「とーいゆー」と読む)は、辺野古ゲート前の情景から始まる。八四歳の老女カヨの目の前で、機動隊員に腕や足を掴まれて座り込みの場から人びとが引きはがされていく。 カヨは沖縄戦が終わったとき一一歳だった。七歳の弟がいた。勘吉といった。父は病没、母ウシと幼い妹ミヨとの四人家族は米軍が作った収容所に入れられた。辺野古の大浦湾に面した収容所である。その母と妹がマラリアに罹って高熱を発し寝込む。 貝で出汁をとって熱い煎じ汁を飲ませれば元気が出る。そう思ってカヨと勘吉は海に貝を獲りに行った。そこで勘吉は、貝を獲るのに夢中になっているうち潮に流されてしまう。カヨはどうすることもできなかった。 作者・目取真氏の母親も沖縄戦のとき一一歳で、勘一という名の八歳の弟がいた。作者にとって叔父にあたる。その勘一は米軍が残していったガソリンを扱っていてランプから引火し、全身火だるまになって死ぬ。収容所で配給される食糧だけでは足りないので、米軍のゴミ捨て場から缶詰の残りなどをさがして食をつなぐ日々に起きた事故である。『闘魚』において大浦湾にのまれて七歳で死んだ勘吉には、大火傷を負って八歳で亡くなった作者の叔父・勘一が投影しているのは明らかだろう。 勘吉の遺体は収容所の端に埋められた。三年後の夏に掘り出し、洗骨して荼毘に付した。 設計変更承認を国が「代執行」するという、県知事の権限を奪う(地方自治を踏みにじる)やり方で、一月一〇日、防衛省は辺野古北側の大浦湾で工事に着工した。埋め立てには、沖縄戦最大の激戦地となった本島南部の土砂も使う。二〇年の設計変更申請で調達先に追加したのである。そういう設計変更の承認を国が「代執行」したのだ。 勘吉(勘一)の遺骨は掘り出されて埋葬された。しかし、二〇万人以上そのうち沖縄県民は一二万人以上、県民の四人に一人が亡くなった沖縄戦では、地中に遺骨がまだ埋まっている。今も毎年五〇前後の遺骨が発見され続け、なお数千が地中に眠ると言われる。 そんな遺骨が眠る土を軍事基地のための埋め立てに使っていいのか。辺野古基地建設はあらゆる点で理不尽だが、これも非人道的で沖縄県民の心を踏みにじるものだ。 なお目取真俊氏の最新の短編集『魂魄の道』(影書房)には『闘魚』も収録されている。HOWS(本郷文化フォーラムワーカーズスクール)というところで、この『魂魄の道』の読書会が二月二三日と三月二〇日に予定されている。どちらも祝日で、午後一時から。報告者は二月が文学研究者の田代ゆきさん、三月は不肖ながら私である。興味のある方はHOWSまで問い合わせてください(TEL 080-9816-3450)。 ![]()
by suiryutei
| 2024-02-11 06:14
| ニュース・評論
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