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市民サークル〔フォーラム色川〕から、活動を終了するという便りが一昨日届いた。 一昨日は雨も風も強かった。郵便受けの中に雨水が入り、封筒がずぶ濡れになってしまった。灯油ストーヴをまだ片づけてなかったから、封筒から取り出した手紙をストーヴにかざして乾かせた。皺がよっているのはそのためだ。 冒頭「1995年発足・・」とある。歴史家の色川大吉さん(1925-2021)がその年、長く教壇に立っていた東京経済大学を定年退職された。〔フォーラム色川〕は色川ゼミの最後の卒業生たちが中心になって立ち上げたと聞いている。そうしてゼミや東経大のOBだけでなく、色川史学に惹かれた人々を巻き込んで活動してきた。酔流亭もその一人だ。初めて参加したのは2003年4月、中野サンプラザの集会室で開催された色川さんの講演会のときだった。 2003年4月、中野サンプラザで。マイクを持っているのは21年前の酔流亭で、講演を終えた色川さんに何か質問しているところだ。何を質問したのだったか、もう憶えていないが。 この写真は〔フォーラム色川〕が2010年に発行した冊子から写した。フォーラムの仲間だった御手洗靖三さんが65歳で病没、彼を偲んで発行された追悼集に載っていたものだ。いま御手洗さんの略歴を見て驚いた。彼が亡くなったのは2010年3月28日だ。今日が命日ではないか。 〔フォーラム色川〕の活動には色川ゼミや東経大OB以外も参加していたと先に書いた。御手洗さんも明治大学で橋川文三(政治学者、1922-1983)に教えを受けた人だった。 1995年からといえば、30年近くの活動である。酔流亭としては、西多摩の草深い山里に「五日市憲法草案」が眠っていた深沢家の蔵を訪ねたこと(2003年12月だったかな)、マイクロバスを借りて秩父事件の足跡をまわったこと(2004年晩秋だったか)などが記憶に残る。どちらもフィールドワークとして取り組まれた。 運営を献身的に担ってきたスタッフの皆さんにお礼を申し上げ、ねぎらいたい。
by suiryutei
| 2024-03-28 08:51
| ニュース・評論
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