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昨日の午後NHKBSで西部劇『大いなる西部』が放映された。3時間近い長尺である。 酔流亭は3年前【精神科通信】という冊子に『コモン、包摂、物質代謝~「資本論」をめぐる雑談~』という文章を寄稿したことがある。恐れ入ったタイトルを付けたものだと恥ずかしいが、『大いなる西部』の感想を述べることから書き出したら、どうにか原稿らしきものに仕上がったので、あの映画は酔流亭には思い出深い。その寄稿については、このブログの2021年9月3日~6日に4回に分けて全文を転写してある。 3年ぶりに、冒頭、映画に触れた部分だけ下に再掲します。 ![]() コロナ禍で家にいる時間が増えたおかげで、NHKBSの平日の午後はなかなかいい映画を放映していることを知った。月曜から金曜まで、BSプレミアムで午後1時からやる。番組終了時間が日によって違うのは映画の長さにかかわらずにノーカットで放映されるということだろう。声優による吹き替えではなく字幕スーパーだ。
西部劇『大いなる西部』
そんなふうにして西部劇『大いなる西部』を視たのは去年(2020年)9月である。1958年制作のアメリカ映画。監督ウィリアム・ワイラー、主演グレゴリー・ペックといえば、名作『ローマの休日』(1953年)と同じコンビだ。しかも『大いなる西部』では二人は制作者としても名を連ねている。気が合ったのだろうか。 『ローマの休日』でヒロインの王女を演じたのがオードリー・ヘプバーンであるのは誰もが知っている。『大いなる西部』のほうのヒロイン役はジーン・シモンズだ。この女優さんがヘプバーンに劣らず素晴らしく、私はすっかり魅了されてしまった。思い出せば、この人、映画『スパルタカス』(1960年)でもヒロイン役であった。帝政ローマの時代に実在した奴隷反乱のリーダー、スパルタカスをカーク・ダグラスが演じ、ジーン・シモンズはやはり奴隷であったその連れ合いに扮して可憐にして清楚だった。 そういえば『ローマの休日』も『スパルタカス』も、脚本を書いたのはダルトン・トランボである。赤狩りに屈しなかった不屈の映画人だ。『ローマの休日』でアカデミー脚本賞を受賞したのに、まだパージされていて名前を出せなかった。授賞式にも現われず偽名を使っていたのが実はトランボだと知れたのはずっと後になってからだ。 今回視た『大いなる西部』の脚本は別の人である。ジェサミン・ウエストとロバート・ワイラーの共同で、このうちロバート・ワイラーはウィリアム・ワイラー監督の実兄とのこと。 タイトルのとおり映画の舞台は19世紀後半、アメリカ合州国西部の大草原だ。ジーン・シモンズのヒロインは町で教師をしている。水源に恵まれた土地を祖父から相続した。近隣には、カウボーイを何十人も雇う二人の大牧場主がいて、この二人は犬猿の仲である。牧畜に水は欠かせない。どちらも水源のある土地を売ってくれとヒロインに強請っている。しかし、どちらかに譲ってしまえば水源を独占して、もう片方を干上がらせてしまうだろう。そこでヒロインは祖父の遺言を守って土地を手放さず、両方に公平に水源を利用させてきた。 そこへグレゴリー・ペック演じる主人公が登場するところから映画は始まる。合州国の東部出身で船乗りとしか説明されないが、おそらく海運業で財をなした人だろう。大牧場主のうちの一方の娘と、彼女が東部を旅していたとき知り合い、婚約したのである。その大牧場主の娘(キャロル・ベーカー)とヒロインは友人である。これが主な人間関係だ。 私はこの映画をずっと前に一度、やはりTV放映で視ている。それが1973年の春だったということを、もう半世紀近くも前なのにはっきり覚えているのは、高校を卒業して大学に進学したばかりの解放感と、映画に映し出された広々とした草原とがなんとなくしっくり来て強く印象付けられたからではなかろうか。主題曲(ジェローム・モロス作曲)もじつにのびのびしていて、その音楽とともに馬が荒野を疾走する場面なんかは目に焼き付いている一方、ストーリーのほうはすっかり忘れていた。
田口純さんとの出会い
ところで私の大学生活は二年しか続かなかった。1975年、三年生に進もうという春先に父親が心臓発作で倒れ、生業の菓子小売店を続けられなくなる。働いて、いくらかでも家計を助けなければならない。スネかじりの身が逆転した。郵政省(当時)が職員募集しているのを電車の吊革広告で知る。退学届を出し、夏に試験を受けて、東京駅前にある中央郵便局で秋から働くようになった。 働きながら労働組合運動にも関わっているうち、田口純さんと知り合う。今この『精神科通信』の編集をされている田口医師は、そのころ普通郵便の区分作業に従事する郵便労働者であった。私は速達郵便の区分だったので、同じ中央郵便局の局舎の中でもフロアが違う。労働組合の組織で言えば、全逓東京中郵支部のどちらも組合員だが、所属分会は違った。しかし田口さんが書く分会機関紙はユニークだったから、すぐ目についた。組合機関紙の文章は紋切型が多いのに、田口さんは自分の感じたこと考えたことを書く。周囲は彼を若き仙人のごとく思っていたのではなかろうか。彼は8年ほど郵便局で働いてから新潟大学医学部に進んだ。 それはともかく、精神科医の世界とは全く縁のない私が、今こうしてこの誌面に何か書こうと頭をひねっているのは、田口さんとのかれこれ40年に及ぶ付き合いによる。
水源は<コモン>
映画『大いなる西部』の話が途中であった。 グレゴリー・ペック演じる主人公は、対立する牧場との抗争にのめり込む婚約者への気持ちが醒めていく一方、ヒロインと心が通い合うようになっていく。いがみ合う二つの大牧場が、水源目当てにヒロインを籠絡しようとしているのを見て、水源のある土地を自分が買い取るのである。牧場主の娘との婚約は解消する。そして主人公とヒロインは二人の共同の意思として水源を誰にでも開かれたものとしていくのだ。 ああ、60年以上も前に作られたこの映画の隠れたテーマはコモン(共有)ということなのだな、と私は感じ入った。水源のある土地は、それを祖父から相続したヒロインの、ついで彼女から買い取った主人公の私有地ではある。しかし、彼らは大抵の人とは違って、それを独占して希少性を人為的に作り出すということはせず、コモンズ(共有地)としての性格を維持するのである。そもそも、その土地への最初の白人入植者(この映画ではヒロインの祖父がそうか?)が「ここはオレの土地だ!」と勝手に宣言する以前は、先住民たちは水源を共有地として利用していたろう。部族と部族の間での水源争いはありえたろうが、私有財産としての奪い合いはなかっただろう。 現実の合州国の歴史はあの映画のようには進まず、ああいうケースではどちらかが水源を独占し、敗れたほうは没落して私有地の集中が進んでいったにちがいない。しかし、所有ということについて、そうではない方向を考えてみてもいいのではないか、というようなことを思うのは、去年は『資本論』にまつわる本を二冊も読んだせいかもしれない。白井聡『武器としての「資本論」』(東洋経済新報社)と斉藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書)である。コモンをよく論じるのは後者の斉藤だが、順序として先に出た白井の本から感想を述べる。
・・・・・・・・・・・・・ 以上が、このブログの2021年9月3日更新記事のほぼ全文です。 『資本論』をめぐる雑談 ~「精神科通信」寄稿① : 酔流亭日乗 (exblog.jp) この続きは同年9月4~6日の更新記事に。 コモン、包摂、物質代謝 ~「精神科通信」寄稿② : 酔流亭日乗 (exblog.jp) グリーン・ニューディールとコミュニズム ~「精神科通信」寄稿③ : 酔流亭日乗 (exblog.jp) そして労働組合 ~「精神科通信」寄稿④ : 酔流亭日乗 (exblog.jp) ![]()
by suiryutei
| 2024-06-15 06:21
| 映画・TV
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