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7月25日に刊行された雑誌『労働者文学』第93号には今年の労働者文学賞の選考結果が発表され、入選作および最終選考に残った作品も一部が掲載されている。 ![]() 酔流亭はこの賞のうち小説部門と評論・ルポルタージュ部門の選考に今年から関わることになった。自分の力量を考えるとまことに僭越なのだが、労働者文学会の高齢の長老会員にばかり負担をかけるわけにはいかないので・・・。 『労文』93号には選考委員それぞれの選評が掲載されている。酔流亭が書いたそれもあるので、全文を転写します。 ![]() 加野康一さんに代わって、今年から選考に関わることになりました。 今年は小説部門は47編、評論・ルポ部門には6編の応募があったのを、村松孝明さんと土田がそれぞれ全作品を読み込み、2人で協議して小説5編、評論・ルポからは1編を最終選考に残しました。その中から、鎌田慧さん、胡桃沢健さんの両選考委員も加わって最終選考が行われ、公表されたような結果となりました。 私は今年が初めてなので例年との比較はできないのですが、応募数も多かった小説部門には充実した作品がかなりあったのではないでしょうか。まず一通り全部読んだ時点で私として残したい作品を指折ったところ10指に近くなりました。しかし、それでは多すぎる。さらに絞り込んでいって最終選考に残せなかった中では、『都会のメロディー』朝伊ミチルは、会計年度任用という不安定な働かされ方だった女性の切実な体験が創作に昇華されていましたし、『焼きビーフンばばあ』与理原奈那は構成が巧みなのに感心しました。『脱落論』高津の御華では、大学を出て新卒入社しながらもそこから滑り落ちた若年労働者の日々の生活や心情が覗われます。いずれも筆力が確かな作者たちですので、また挑戦してほしい。 全体に自分史的な作品がいくつもあるように思いました。自分史を小説として読めるのか。いっそ小説とも評論・ルポとも別に自分史部門があったほうがいいのか、いや書き手それぞれに貴重な自分の歴史を賞に選考なんてできるのか、などと新米選考委員としては思い悩みます。ともあれ賞の選考とは心の痛む作業だと知りました。
『時代〔伊藤野枝×大杉栄×辻潤〕』陽羅義光 辻潤を進行役として伊藤野枝と大杉栄を叙し、日本近代の現代につながる闇にも分け入っていきます。読み応えがありました。しかし、辻潤という実在した人物の口を借りて作者の考え(大杉栄や伊藤野枝や辻潤に対する評価)が述べられていくのですから、文学史の知識に乏しい私にはこの作品の評価は正直手に余りました。 『ウィルタ』原田憲一 応募作中で一番惹かれた作品です。ウィルタとはサハリン(樺太)を主な居住地域とする少数民族で、ウィキペディアで見たところ人口は近年(1989年~2010年)の数字でロシア295人、ウクライナ959人、日本20人となっています。第二次世界大戦中は、樺太では国境を跨いでソ連と日本の両方の領域に居住していた。そこに目を着けた日本陸軍はソ連軍の動きを探る活動に従事させます。諜報活動ですから苛烈で危険な仕事であったに違いない。この作品の主人公もそうでした。ところが、命がけの軍務に就かせながら、戦後の日本はウィルタの人びとを切り捨てます。日本人ではないからと軍人恩給も支給されません。戦前からウィルタには戸籍も与えられていなかったのです。主人公は極寒のシベリアの収容所での辛い抑留から復員して網走で働くようになります。食堂の娘との恋が潰されたことにも象徴的な戦後日本の非情さが胸を衝きました。事実を詳しく取材しての創作と思われます。少数民族の扱いにそれぞれ差をつけて分断をはかるのが植民地主義の手口。日本人すべてが知っておかなくてはならないことを小説として書いてくれた貴重な作品です。 『海と星くず』有原悠二 主人公は一年前離婚したばかりのシングルマザーです。男の子の赤ン坊が一人。都会では自活できないので戻ってきた海辺の実家には母親がいる。3人での暮らしは、前夫は養育費を月たった1万5千円しか払ってこないし、母の収入は「なけなしの障害年金」だけですから、主人公がフルに働かなければ成り立ちません。彼女は「昼は薬局で事務をして、夜は週に三日ほど居酒屋で働いている」。いくらかは自堕落なところがあって「本当にあたしは浜辺に捨てられるゴミのような人間だと心から思った」り、休みの日は昼間から酒を飲んだりもするのですが、息子を愛しているし、よく働く母親です。そういえばマーチン・リット監督の映画『ノーマ・レイ』でサリー・フィールドが演じたヒロインの紡績工ノーマも父親の違う二人の子を持つシングルマザーでした。組合運動と出会うまではいくらか自堕落なところもあったな、などと思い出しました。作者は詩も作る人だけに、言葉への感覚が鋭い。主人公の独白では「わたし」ではなく「あたし」がくり返されることで独特の生々しさを感じました。 『片側交互通行』桜人心都悩 主人公の太田は公立大学に通う女子学生。いくつも掛け持ちしているアルバイトの一つに交通誘導員の仕事があり、タイトルもそこから来ています。彼女は美大に進みたいという夢がありますが、「多くの名のある美大は私立である。大学に通うコストと将来のリスクが釣り合っていないことを高校時代によく思い知らされた。それでも諦めきれなくて、いつかまとまったお金ができた時に思い切り勉強できるように、バイトをしているのだ」。 ある日の彼女は、夜を徹しての交通誘導員の仕事を終えてから大学の授業に出、そのあと小学生の家庭教師をやり、それから大学の所属サークルにも顔を出し、途中で抜けて「次のバイト」先であるレストランへ。 そんな日々の中、インターネットの詐欺にひっかかってバイトで貯めたなけなしの金をだまし取られるといった事も起きてしまうのを、周囲の優しさに接して気持ちを立て直します。好感を持てた作品です。いま私立大学に入学したら初年度にかかる費用は平均120~160万円と言われ、卒業すれば在学中に支払われた奨学金数百万円が借金となって背にのしかかるとも聞きます。学生の困窮は大きな社会問題なので、当の大学生によってこうした作品が書かれたことの意義は大きいと思いました。 ただ、太田はすこし働き過ぎ。美大で学ぶという夢を叶える前に斃れてしまうのではないか。交通誘導員の仕事でよく組む<コバさん>という男性は太田の父親くらいの年齢で、二人は信頼し合っていますが、彼は心臓に疾患を持ち「爆弾が埋め込まれたようなもの」だというのに、徹夜の勤務のあと昼勤を入れられたりする。これも無茶です。じつは、この選評を書いている最中、私が8年前まで働いていた新東京郵便局で在職死亡が続けて出たことを知らされました。2月に61歳の男性、3月に51歳の男性で、二人とも心臓に疾患を持ちながら1回10時間の深夜労働を週4日こなしていたそうです。作中<コバさん>も「勤務中に胸の痛みを訴えて早退」、入院します。深夜労働の恐ろしさを思わずにおれません。 『印字された内容』岡田周平 最終選考でも一番評価が高かった作品です。主人公がやっている仕事は物流会社の貿易事務。船会社からコンテナ船の積載スペースを買って自社利益を乗せた額で荷主に売り、輸送に関わる書類作成と連絡を請け負う。その書類では実際に何を運んでいるのか具体的なことはわかりません。詳細欄はブランクになっています。しかし、ふとしたことから主人公は書類の中から「危険物明細書」に行き着きます。「大量爆発(ほぼ瞬間的にほとんど全ての貨物に影響が及ぶ爆発)の危険性がある物質及び火工品」を、主人公が勤めている会社は誰にもわからないようにして脱法的に扱っているということなのでしょう。それを知ってしまった主人公は経営者に談判します。「なぜこのような黒塗りの書類が通用するんですか。わたしたちは何を運んでいるんですか」。 ところが経営者は主人公を簡単に屈服させてしまいます。当局に通報でもしたら、この業界で仕事をさせない、のみならず主人公の連れ合いにも影響が及ぶことを示唆するのです。連れ合いは優秀なビジネスウーマンで、その稼ぎで夫婦は富裕層といってもいい生活を送れています。「わたしがどうなっても特段の差し支えはないが妻の収入に問題が生じたらわたしたちの生活は立ち行かなくなってしまう。生活を質に取られるとこうも弱いのか、わたしは。わたしたちは」。 私は初めこの作品を最終選考に残すのに躊躇いがありました。結局は入選となったのですから私の不明ということなのですが、屈服して終わりでいいのか、という思いがありました。しかし、読み終えての後味の悪さこそ作品の力なのでしょう。自分の弱さを見つめることから立ち上がりの道を探っていく他ないか。 (以上は小説部門について。下は評論・ルポルタージュ部門で入選は逸したものの最終選考に残ったルポについての選評です。) 『熊谷での関東大震災朝鮮人犠牲者供養塔建立を巡る人々と慰霊に生きた矢野泰助の生涯』 嶋田道雄 1923年9月1日に発生した関東大震災に際しては多くの朝鮮人が虐殺されました。殺人集団と化した自警団が跋扈する都内から逃れながら、近県に落ち延びたところで襲われて殺された場合も少なくありません。私が住む千葉県我孫子市でも市内の神社境内で3人の朝鮮人が棍棒や丸太で殴り殺されています。震災発生から三日後の9月4日夜、東京から中山道を歩いて避難してきた朝鮮人57人の全員が埼玉県熊谷市内で地元の自警団によって殺されました。中には女性や子どもも多くいます。本作は、その供養塔と慰霊祭をめぐる記録です。 供養塔は戦前、1938年に建立されました。市内で洗濯屋を営む在日朝鮮人や当時の新井良作市長とともに建立に努力したのが野田争議で争議団長を務めた人物(小岩井相助)であったことなど私は本作で知りました。野田争議は1927~8年、野田醤油(現在のキッコーマン)で、働く者の待遇改善を求めて起きた大争議。小岩井は争議が敗北したあと熊谷に流れて造り酒屋で醸造工をしながら社会民衆党の活動家、市議になります。社会民衆党(のち社会大衆党)は翼賛体制にのみ込まれて戦争推進の立場をとるようになってしまうのですが、そのことで関係のできた熊谷陸軍飛行学校長の中将を供養塔建立に協力させる。しかし、そうした経過ですから、供養塔は朝鮮人を戦争に協力させる「内鮮一体」を旨とするもので、虐殺の史実を正しく伝え、日本人として反省するものではありませんでした。「こんな条件でしか建てられなかったのかと、そのことが辛い。二人の創氏改名した朝鮮人富永倉吉、青木寶丙と同じように新井良作、小岩井相助も朝鮮人虐殺の史実の碑文を刻んだ供養塔を建てたかったと思う。私のそんな気持ちはのちの矢野の行いが払拭してくれた」。そうして熊谷市内で薬局を営むクリスチャンであった矢野泰助の人柄と犠牲者を慰霊する活動が述べられていきます。矢野が尽力して慰霊祭は1957年から始まります。 熊谷市からそう遠くない群馬県高崎市では、戦時中の労務動員で犠牲になった朝鮮人の追悼碑が県によって撤去されるという暴挙が今年強行されました。日本人は植民地支配の加害の自覚になんと乏しい国民だろうかと暗然とします。そうした状況の中ですから多くの人に読んでほしい記録です。記述がもう少し整理されていればよかったのですが。 ※労働者文学会、雑誌『労働者文学』および労働者文学賞について詳しくは下のサイトをご覧ください。 ![]()
by suiryutei
| 2024-08-10 08:33
| 文学・書評
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