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新人事制度 大阪での報告①~③
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【いてんぜ通信】の最新号が届いた。いつもありがとうございます。 11人が寄稿している。小説、評論、随筆、日記、闘争報告と多彩だ。そして表紙のカット(金子つねさん作)が毎号じつに味がある。 酔流亭の寄稿を全文転写します。けっこう長い(6600字ほどです)ので、そのぶん明日は更新を休もうと思っています。 本通信の第12号(2023冬号)で田鍋誠さんが映画『ローマの休日』(ウィリアム・ワイラー監督、1953年)について論じられた(田鍋『映画「ローマの休日」を読み解く』)のを読んで嬉しくなって、私は次の13号(2024春号)に、同作品の脚本家ダルトン・トランボのことを書いた。トランボへのファンレターみたいな文章である(土田『ダルトン・トランボのこと』)。 ダルトン・トランボのこと ~【いてんぜ通信】2004春号寄稿(前) : 酔流亭日乗 カウボーイ、ガンヒルの決斗、スパルタカス ~【いてんぜ】寄稿の後半 : 酔流亭日乗 すると、第15号(2024秋号)において田鍋さんが『<いてんぜ通信>と私』という文章の中でそれに応答してくださった(23~25ページ)。さらに嬉しいことに映画『アラバマ物語』にも言及されている。『アラバマ物語』は私も大好きな映画だ。もはやウィリアム・ワイラーでもダルトン・トランボの作品でもないが、主演は『ローマの休日』でオードリー・ヘプバーンと共演した同じグレドリー・ペックである。ロバート・マリガン監督、1962年。 ・・どうも、こう書いていくと、13号寄稿に続いて、田鍋さんの文章に寄りかかって筆を進めていくことになる。田鍋さんにはご迷惑なことと思うが、どうかご海容ください。
『アラバマ物語』
『アラバマ物語』を初めて視たのは高校三年生のときだと思う。1972年である。映画館ではなくTV放映だ。当時、日曜夜9時からの日曜洋画劇場では故・淀川長治が解説をしていた。彼は番組の最後に有名な「サヨナラ・サヨナラ・サヨナラ」三連発を言うだけでなく、冒頭でも作品の紹介をする。これが大変なホメ上手で、どんな映画でも誉めちぎる。中にはつまらない映画もあった。しかし始めに淀川解説を聴いてしまうと、つい視てしまうのである。高校三年といえば、私だって一応は受験生であったから、ハズレた場合の二時間のロスはなかなか痛かったのであるが。 『アラバマ物語』は勿論そんなハズレの作品ではなく、あのころTVで視た中では最も感動した映画の一つであった。 時代は、田鍋さんも書いていらしたように1930年代の大不況期。グレゴリー・ペック演じるフィンチ弁護士は、農家の白人の娘が暴行されたという事件の容疑者である若い黒人農夫の弁護を引き受ける。アラバマは黒人の弁護をするというだけで白人からは白い目で見られる土地柄だ。ところが、裁判の審理過程では、暴行というのはどうやら被害者の白人父娘の捏造であって、容疑者は無実であることが誰の目にも明らかとなる。フィンチ弁護士の弁論の優位は圧倒的である。 しかし、にもかかわらず、陪審員たちは有罪の判決を下してしまう。人種偏見と差別の酷さ、地域の主流的風潮への同調意識の強さに愕然とする。意地悪いことを言えば、フィンチ弁護士のインテリジェンスに対して“凡庸なる庶民”(彼らが陪審員を構成する)が抱いた反感のようなものも、いくらか働いたのかもしれない。判決に絶望した容疑者は、留置場に移送される途中、脱走を図って射殺された。 なんとも苦い展開である。それがフィンチ弁護士の二人の幼い子どもー小学生の兄と妹ーの目を通して描かれる。なお子どもたちはファーストネームでアティカスと父を呼ぶ。田鍋さんもアティカスと表記されている。 それからしばらく経って、この兄妹が襲われる。ハロウィンの晩だった。件の白人娘の父親が、弁護士が黒人を弁護したことを根に持って、夜道で兄妹に暴力を振るったのだ。兄は殴られて気を失い、妹はハロウィンの仮装でハリボテを被っていたのを転がされて身動きがとれない。それを救ったのは、近所に住む、心に傷を持つ青年であった。彼は今日で言う“ひきこもり”であろうか。町の人たちは目を触れないようにしている存在なのであるが(だから、この兄妹も彼の住む家には恐がって近づかないようにしていたのだが)、映画の始めから、子ども達を優しく見守っていた。この青年を演じたのがロバート・デュヴァル。のちに映画『ゴッドファーザー』(1972年)におけるマフィア・ファミリーの顧問弁護士などを演じた個性的な名優は『アラバマ物語』が映画デビュー作である。 半世紀以上も前に視た映画のことをよく憶えているなあと感心してくださるかもしれない。じつは今世紀に入ってからも、同作がTV放映されるのを何度も視かえしているのだ。そのたびにブログに何事か書きつけているから、ここまで書いてきた部分は2006年6月30日更新のブログ記事が下書きになっている。 一番直近で視たのは去年の夏、やはりNHKBSの平日午後の放映であった。そのとき2006年にブログに書いたことに少し修正の必要を感じた。 私は2006年のブログ記事では <しかし、にもかかわらず、陪審員たちは有罪の判決を下してしまう。> と書いた。この稿でも前述部分にそのまま残してある。けれども<にもかかわらず>ではなかったのだ。事実が明らかになればなるほど白人たちは頑なになっていくのである。 「暴行された」と騒いでいた白人娘は、じつはその黒人農夫に言い寄って拒絶されていた。黒人農夫は彼女が貧しく、友もおらず、父から家庭内暴力を受けていることに同情していた。 フィンチ弁護士の見事な尋問は法廷でそれらを明らかにしていく。だが、白人だけで構成される陪審員たちには、それは受け入れられないことなのである。ことに黒人農夫が白人の娘に同情していたということに「黒人が白人を憐れむとは!」と、差別意識を一段とかきたてられたのだろう。私が先に書いた<フィンチ弁護士のインテリジェンスに対して“凡庸なる庶民”(彼らが陪審員を構成する)が抱いた反感のようなもの>というのは、それもあったろうけれど、いかにも甘っちょろい。差別意識のどす黒さはそんなものどころではないだろう。 去年視たとき新たに気づいたのは、映画の終わりのほうでフィンチ弁護士が子どもたちに 「誰かの靴を履いてみる」 という言葉があることを教える場面だ。それまで聴き流して(台詞は字幕を読むから、見落として)いたのに去年に限ってその言葉が印象に残ったのは、そのすこし前、ブレイディみかこさんの『他者の靴を履く』という題名の著作(文芸春秋社、2021年6月刊)を読んでいたからだろう。 <誰か(他者)の靴を履く>とは、エンパシーを育むということであろうか。ではエンパシーとは何か。私は本通信の第4号(2021冬号)への寄稿(『ブレイディみかこさんの近著をめぐっての雑感』)で、こう述べた。 「それ(エンパシー)は共感力と日本語に訳されることがある。でも、ちょっとちがう。たとえば人種差別発言をする人がいる。その発言に賛成・共感することはできない。しかし、その人に人種差別発言をさせるものは何だろうかと考えることはできるし、差別を無くしていくためにも必要なことだ」。 ここまで書いてきたところで、私は『プレイス・イン・ザ・ハート』という映画のTV放映を視た。10月15日午後、NHKBSの放送である。ロバート・ベントン監督による1984年の作品。私にとってはTV放映でばかり、三度目の視聴であった。
『プレイス・イン・ザ・ハート』
舞台は1935年、テキサス州の小さな町である。サリー・フィールド扮するヒロインのエドナは専業主婦で、小学生の息子と就学前の娘がいる。連れ合いは町の保安官だったが、映画が始まってすぐ死亡してしまう。 黒人の若者(未成年のように見える)が泥酔して拳銃をふりまわしているのを補導しようとして撃たれてしまうのである。その黒人の若者は飲みほしたウィスキーの空瓶を宙に放り投げ、それを目がけて拳銃を何発も撃ち、弾倉が空になったはずなので、ふざけて保安官に銃口を向けた。ところがまだ一発残っていたのだ。彼はすぐ白人たちにリンチで殺されて、遺体は首に縄をくくられてトラックで引きずられた上、黒人たちの居住地で木に吊るされる。人種差別の酷さを視る者に突き付ける冒頭場面だ。ビリー・ホリディが歌った『奇妙な果実』が想われる。 稼ぎ手である夫を失い、幼い二人の子とともに遺されたエドナはたちまち経済的苦境に直面する。家のローンを払う目途もたたないのだ。夫が殉職してもろくに保障がなかったようだ。<自助の国>アメリカ合州国では社会保障制度の整備は欧州諸国より遅く、フランクリン・ルーズベルト大統領(任期は1933-45)のニューディールに端を発する。社会保障法が立法化されたのが映画の時代と同じ1935年である。施行は早くて翌年からだったろうから、僅かに間に合わなかったのだろう。 そんな彼女を救うのが流れ者の黒人農夫である。夕食と納屋での一夜と朝食を恵まれただけの縁だったが、一宿一飯の恩義とばかり、力を合わせて綿花の栽培に取り掛かる。そうして悪戦苦闘のすえ綿花収穫の一番乗りを果たし、綿花の売却代金と一番乗りの賞金によってエドナはピンチを脱する。 第一次世界大戦に出征して視力を失った繊細な性格の下宿人の登場、エドナの姉の夫の不倫、竜巻の襲来・・等いろんなエピソードをちりばめながら、おおよそこんなストーリーだった。 なにしろ『アラバマ物語』について書き始めたところで視たわけだから、つい対照してみたくなる。時代は同じ1930年代の大不況期。アラバマも、『プレイス・イン・ザ・ハート』のテキサスも、アメリカ合州国の南部に位置する。合州国南部の人種差別の激しさは本多勝一さんの古典的ルポ『アメリカ合州国』で読んだ記憶がある。フィンチ弁護士もエドナもどちらも配偶者をすでに失い、同じくらいの歳頃の男の子と女の子がいる。両映画にはけっこう共通するところがある。 『アラバマ物語』とは映画の日本公開にあたって付けられた邦題であり、原作小説(著者はハーパー・リー。1961年度のピューリッツアー賞受賞)も映画も、原題は「To Kill aMockingbird」=「マネシツグミ(物まね鳥)を殺す」。その意味は「無害な存在に無慈悲な行為をすること(は罪である)」ということだというのは、つい最近知った。 すると、かすかな引っかかりを覚えるのは、『アラバマ物語』で暴行事件の濡れ衣を着せられ、そのあと射殺されてしまう若い黒人農夫は「無害な存在」とだけ位置づけられているのか、ということである。不正と立ち向かうのはフィンチ弁護士のような良心的白人である。 『プレイス・イン・ザ・ハート』に登場する流れ者の黒人農夫はもっと能動的だ。農作業に従事してきた経験と知恵でエドナに救いの手を差し伸べる。収穫した綿花を白人仲買業者が安く買い叩こうとするのを「そんな捨て値で売ってはダメです」とエドナに囁き、価格交渉を成功させる。それで白人から「目ざわりな奴」と睨まれてKKK団(クー・クラックス・クラン。黒人をリンチにかける白人人種差別主義集団)に襲われもするが。 これは両作品の優劣を言うのではない。どちらの映画も私は好きだ。『プレイス・イン・ザ・ハート』を視るのは3度目と書いたが、『アラバマ物語』はもっとくり返し視ている。ただ、『アラバマ物語』が作られた1962年と『プレイス・イン・ザ・ハート』の1984年の間には、合州国における黒人解放運動の前進と蓄積がある。リンカーンの奴隷解放宣言から100年を期しキング牧師らが指導して20万人が参加したワシントン行進が1963年、人種差別撤廃を謳う公民権法の成立が64年である。おそらくそういったことが反映しているのだろうと思う。『アラバマ物語』のような秀作が多くの観客の心をつかんだことも運動を後押ししたにちがいない。
『ノーマ・レイ』
『プレイス・イン・ザ・ハート』でヒロインのエドナに扮したサリー・フィールドは、その演技で1984年度のアカデミー主演女優賞に輝いた。それは彼女にとって二度目の受賞で、5年前にも『ノーマ・レイ』という映画で1979年度のオスカーを手にしている。 『アラバマ物語』や『プレイス・イン・ザ・ハート』とは違って、『ノーマ・レイ』(マーチン・リット監督)の時代設定は戦後だが、舞台はやはりアメリカ合州国南部の田舎町である。 ヒロインのノーマは、紡績工場で働くシングルマザーだ。幼い子が二人いる。工場に労働組合は無く、酷い労働条件であっても労働者は経営者と交渉することもできない。そこへ、全米繊維産業労働組合から若い男性オルグが労働組合を作ろうとやってくる。ノーマは彼と出会ったことによって労働組合の運動に目覚めていく。 同じ工場で働いていたノーマの父親が機械に巻き込まれて重傷を負って死ぬ。労働環境が悪いことから起きた労働災害なのに経営側の対応は素っ気ない。ノーマは操業中の労働現場で「UNION」と手書きしたプラカードを掲げて立ち上がる。この場面に、労組役員になったばかりの私は背中を押された。ビラ配りといえば、通用門で出勤してくる人に手渡すか、休息室の机に置きビラするかであった。それを私は、始業前にミーティングで同僚が集まってくる課長席の前で、ミーティングが始まる直前に配ることを思いついた。 管理職によく制止されなかったと今は思うけれど、1980年代の東京中郵ではそれができたのだ。全郵政がおらず全逓だけだったことや、時間内職場集会への刑事弾圧をはね返した全逓東京中郵事件の勝利(1958年春闘で組合役員8人が郵便法違反の教唆犯として起訴されるも、1967年に最高裁で全員無罪判決)が背景にあったのだろう。局舎内の組合活動は現在と比べるとずっとおおらかにできた。ともかくそれが私の労組役員としての活動のスタートであった。 二度目は2015年の暮れ、労働者文学会の忘年会においてだった。私は同会に加入したばかり。同会では忘年会に映画を一本鑑賞する慣わしがあって、そのころ上映作品を選ぶのと作品解説は映画評論家の木下昌明さんがなさっていた。木下さんは2020年没。 ノーマはまず単独で決起したけれど、周囲の労働者は彼女の行動を見て、1人また1人と自分の前の機械を止めていく。それはノーマの決起に劣らず感動的な光景だった。二度視ることでそれに気づいた。 映画のクライマックスは、労働者全員による投票である。合州国の労働法では「排他的交渉代表制」といって、事業場の労働者の過半数の支持を得た労働組合だけが会社と団体交渉できる。その代表権を得られるかどうかの投票が描かれていたのである。ノーマらの奮闘によって組合は団体交渉権を手にし、活動の中でノーマと心が通い合うようになっていた組合オルグ(映画の進行の中でノーマは別の男性と結婚するので、二人の信頼関係は精神的なもの)は、まだ労組が代表権を得ていない他の工場での組織化のために去っていく。 労働組合がどこの事業場でも代表権を得てなかった米アマゾンで、とうとう2022年、ニューヨーク市スタテンアイランドにある物流センターにおいて労組が多数の支持を得て団体交渉権を獲得したというニュースを聞いたとき、私の頭にまず浮かんだのは映画『ノーマ・レイ』のあのクライマックスであった。もともと貧弱な労働法制に加えて新自由主義的政策の下で苦難を強いられてきたアメリカ合州国の労働運動も、去年の全米自動車労組ストライキ成功といい、現在は新たな高揚の時代を迎えようとしているのかもしれない。 さて私は本稿を書き始めるときは、後半で『大いなる西部』(ウィリアム・ワイラー監督、1958年)という映画について論じてみるつもりであった。『ローマの休日』『アラバマ物語』とともに『大いなる西部』も主演はグレゴリー・ペックだからである。ところが西部劇よりも労働映画に筆が進んでしまったのは、旧全逓→JP労組を通じて多少なりとも関わってきた労働運動の尻尾を私はまだ引きずっているからだろう。原稿締め切りは10月いっぱい。今これを書いているのは同月下旬である。街を歩くと、日本はいつのまにキリスト教国になったのかしら、どこもハロウィン気分で溢れている。31日は渋谷のあのスクランブル初め都心の盛り場はたいへんな賑わいになるのだろう。しかし、ハロウィンといえば私が思い出すのは、『アラバマ物語』でフィンチ弁護士の幼い兄弟が危うい目に遭った農村の寂しい夜道だ。
by suiryutei
| 2024-11-28 06:43
| 文学・書評
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