新人事制度 大阪での報告①~③
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本棚の、普段は手を伸ばすことが滅多にない一番上の段から、こんな冊子を引っ張り出してみた。 発行は全逓教育センター。奥付をみると1979年5月25日となっている。 そのころ酔流亭は24歳。東京駅丸の内南口の真ん前にある東京中央郵便局で働いていた。その建物は現在は〔KITTE〕という商業施設に変わっている。 旧全逓労組の東京中部地区本部が主催した労働講座を受講したときの講座のテキストの一つが上の冊子である。 今さらなあ、と思いつつ、すこしページをめくっていく。どうしてどうして、悪くない内容だ。目次はこう。 これらの各章を、労働法学者、弁護士、全逓労組中央本部の法制部を担当する中央執行委員たちが分担して執筆、全体の監修にあたったのは野村 平爾・早稲田大学法学部名誉教授だ。当時の労働法学界における泰斗の一人であった。1.3.4章は野村教授が執筆している。 さて上述したように酔流亭は東京中央郵便局で働いていたから言うわけではないが、全逓労組の権利闘争の中でも輝かしい成果の一つは全逓東京中郵事件である。酔流亭が東京中郵で働き出す(1975年~)よりずっと前のことだ。 1958年の春闘で全逓労組は公然たるストライキはまだできなかったが、全国57局で職場集会を敢行、東京中郵支部も勤務時間に食い込む職場集会を行なった。官公労働者にスト権が認められていない中で、組合幹部8人が刑事罰に問われる。懲役3ヵ月~6ヵ月が求刑された。しかし、長い裁判をへて1966年10月26日、最高裁判所はこれを無効とする決定を下す。官公労働者の争議行為を一律に禁じてきた司法の姿勢を転換させる画期的な判決である。 画期的であるだけに、担当裁判官のあいだで意見が割れた。多数意見は8人。少数意見すなわち官公労働者の争議行為を刑事罰から解放することを肯んじない裁判官も4人いた。 この4人の中にあの石田和外もいたんですね。 9月まで放送されていたNHK朝ドラ『虎に翼』で松山ケンイチが扮した桂場等一郎のモデルとなった人である。 そうしてあのドラマでも描かれていたような司法の反動化がすすみ、66年の全逓東京中郵判決では少数意見だった保守派がやがて最高裁判所判事の多数派へと転じていく。上に写真を貼っておいた冊子『権利のはなし』中の記述によれば、こうだ。 「・・典型的事例が最高裁判官の入れ替えである。定年退官と新しい裁判官の任命の過程で、現行秩序を無批判に肯定する<秩序優先派>の裁判官が数を増し、労働基本権を尊重する<人権派>の裁判官が一人ふたりと姿を消していった」(226ページ)。 そんな中で、桂場・・じゃなかった石田和外が最高裁の第五代長官に任命されたのが1969年だった(任期は73年まで)。 ドラマの中での松山ケンイチの苦虫を嚙み潰したような顔を久しぶりに思い出したよ。暮れが迫ってきたら『虎に翼』の総集編がきっと放送されるだろうな。 とうとう1977年の全逓名古屋中郵事件最高裁判決では、東京中郵事件と全く同じケース(1958年春闘における勤務時間に食い込む職場集会)であったのに、66年の東京中郵判決とは反対の方向(官公労働者の争議行為の一律禁止)に戻ってしまった。 ところで冊子『権利のはなし』なんかを40何年かぶりに開いてみたのは、今月14日、映画『説得』を観て討論をするという講座が企画されていて、この映画はまだ闘っていた頃の旧全逓のストライキ闘争(74春闘)を記録した作品なので、同労組OBである酔流亭が解説みたいなことをやることになったからだ。 いい映画ですので、講座に参加してくださるとうれしいと、宣伝しておきます。
by suiryutei
| 2024-12-01 06:39
| ニュース・評論
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