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新人事制度 大阪での報告①~③
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昨日は労働者文学会の今年最後の拡大幹事会があった。そして特別企画として、幹事会のあと連環画『花岡ものがたり』の朗読を聴いた。会場は本郷三丁目のHOWSホール。 酔流亭は拡大幹事会には所用があって出られなかったが、遅れて行って『花岡ものがたり』の朗読だけ聴かせていただいた。 ![]() 花岡事件とはどういうものであったか。事件が起きた花岡鉱山は現在の秋田県大館市にあった。 ![]() 大館郷土博物館のHPに事件の概要が述べられているので引用する。 昭和19年から20年にかけて、986人(内、途中死亡7人)の中国人が花岡鉱山にあった鹿島組花岡出張所へ連行されました。彼らは花岡川の改修工事、鉱滓堆積ダム工事の掘削や盛土作業に従事させられ、道具はシャベルとツルハシ、モッコだけでした。 作業所での扱いは過酷なもので、補導員の中には指導の名のもとに激しい暴行を加える者もいて、加えて敗戦直前の時期から国内の食糧事情の悪化が彼らの上にも重くのしかかり、耐えがたい暴行と空腹で精神に異常をきたす者もでました。「中山寮」に強制連行された979人のうち137人が死亡し、更に暴行や栄養不良で身動きできない重症者が多くいました。 餓死か、暴行によって殺されるか、という状況の中で、耿諄大隊長ほか7人の幹部は「このままではみんな殺されてしまう。もはや一日も忍耐できない、蜂起するしかない」と考えました。寮内の動きを調べ、蜂起は6月30日の真夜中と決定。しかし、計画が知れわたると規制がきかない者もでてきて統制は大きく崩れ、以後の組織的行動は不可能となりました。とりあえず逃走命令を発しそれぞれ逃げましたが、重症者の一群は神山付近で最初に捕まり、次に身体の弱っている一群が旧松峰付近で捕まってしまい、残る主力集団約300人も獅子ヶ森山中に逃げ込み抵抗はしたものの食糧も水も無く力尽き次々と捕らえられてしまいました。 捕まった者たちは7月1、2、3日と共楽館前広場に炎天下のもと数珠繋ぎに縛られ、座ったままの姿勢でさらされました。3日の夜に雨が降ったため何人かは死なずにすみましたが、大勢が亡くなりました。 死体は10日間も放置されたあと、花岡鉱業所の朝鮮人たちの手で三つの大きな穴が掘られ埋められました。この後も中国人の悲惨な状況に変化は無く、7月に100人、8月に49人、9月に68人、10月に51人が亡くなりました。終戦後の10月7日、アメリカ軍が欧米人捕虜の解放のため花岡を訪れ、棺桶から手足のはみ出ている中国人の死体を見つけ、その日のうちに詳細な調査を開始しました。こうして「花岡事件」が明らかになっていきました。 版画と合唱と朗読が組み合わさった30分間ほどの構成であった。日本は中国や朝鮮の人びとに本当にひどいことをやった。敗戦間近の1944~45年に起きたのだが、それより20年ちょっと前の関東大震災における朝鮮人虐殺とつながっているだろう。 忙しい合間に練習をかさねて朗読に臨んだ皆さんに改めて感謝します。労働者文学会としても、とてもいい企画だったと思う。 なお、朗読チームの皆さんは今年6月、大館市で開催された中国人殉難者慰霊式にも参列している。そのときの模様を労働者文学会事務局の首藤茂さんが新聞『思想運動』の今年8月号に寄稿されているので、思想運動のHPから抜き出して貼り付けておきます。
by suiryutei
| 2024-12-20 09:01
| 文学・書評
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