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狭山事件の石川一雄さんが亡くなられた。 酔流亭は昨夜6時台のTVニュースでそれを知った。亡くなったのは11日夜で、死因は誤嚥性肺炎とのことである。86歳だった。 石川さんの名と狭山事件のことを酔流亭が知ったのは高校生のときである。3年生になって、所属していた社研で文化祭に同事件の展示をやった。一昨年『文学する中央線』という本を書いた矢野勝己君たちと一緒に取り組んだ。わが母校の文化祭は校名をとって桐朋祭と呼ばれている。 冤罪で一審死刑となっていた石川さんに東京高裁で無期懲役の判決が出た1974年10月31日は日比谷野外音楽堂にいた。部落解放同盟をはじめ石川さんを支援する人々が全国から集まって、無罪判決が出るのを信じ、それを待ちわびていたのである。判決を聞いて、大阪からやってきていた解放同盟の青年たちが大粒の涙を流しながらデモ行進をしていた光景は今も目に焼き付く。 51年前だから、石川さんはまだ35歳くらいである。私たちはシュプレヒコールで「石川青年は無実だ!」と声を張り上げたものだ。 石川さんは1994年に仮出獄したが、有罪判決はまだ覆っていない。 上に写真を貼り付けた今朝の朝日新聞記事によれば、今月8日にあった再審を求める集会でも石川さんは「何としても生き抜き、冤罪を晴らす」というメッセージを寄せていたという。 遺志は、お連れ合いを初め彼を支えてきた人たちに受け継がれるだろう。酔流亭も「石川さんは無罪だ!」という声をこれからも上げ続けていく。
by suiryutei
| 2025-03-13 08:43
| ニュース・評論
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Comments(2)
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最近も黒川みどりさんを招いて、狭山事件冤罪の市民集会を開いたばかりでした。石川さんの生い立ちから事件に到る経過や自白に追い込まれた家族への思いなどを直接取材した話を聞きました。あらためて石川さんの無罪を確信し、権力の謀略の恐ろしさを知りました。
これで警察・検察・裁判所はほっと胸をなでおろしていることでしょう。袴田さんのように奪還できなかったのは痛恨の極みですが、石川さん本人の無念はいかばかりでしょう。 四月に黒川さんの講演があるのですが、思いの丈を話してくださるとのことでした。
2
牧子さん、コメントありがとうございます。
その市民集会のような取り組みを通じて、石川さあんの闘いは全国にひろがっていったのですね。黒川みどりさんの著作もいい本ですね。それにしても日本の検察・警察はひどいです。
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