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一昨日(金曜日)高円寺で飲んだことは昨日の更新記事に書いた。 行く途中、小滝橋のあたりをちょっと歩いてみたくなった。 酔流亭はいま佐多稲子が1930年代に書いた作品にハマッている。これは戦後になっての作品だが『私の東京地図』に30年代初めに佐多が小滝橋あたりに越してきたことが書かれているのである。越してきて早々、お隣の奥さんに 「思想運動なさる方は、そりゃアね、苦労なさいますよ」 なんて慰められている。そのころ夫だった窪川鶴次郎は治安維持法に引っかかって入獄中だった。 「都会の小さい長屋のつきあいでは、新しい隣人の家では夫が刑務所にいる、ということも一応すらすらと了解ずみになる」(『私の東京地図』)。 年譜を見ると、1932年12月、淀橋区(現新宿区)戸塚町に移転、とある。このときのことであろう。小滝橋のあたりというのは新宿区のはずれのほうで、中野区との境に近い。近くを神田川が流れているのはこんにちも変わらない。 (中央公論社「日本の文学49佐多稲子・壷井栄」中の挿絵。30年代初めごろの佐多稲子の姿か。) 翌33年の2月には小林多喜二が築地警察署で拷問されて虐殺された。窪川稲次郎は同年10月に保釈となったが、一年おいて35年5月には稲子自身が戸塚署に検挙され二か月勾留された。なるほど「思想運動」には厳しい時代であった。 酔流亭が<佐多稲子が1930年代に書いた作品にハマッて>しまったきっかけは、1930年に起きた東邦モスリン争議に取材した一連の短編を読んだことである。それら(『幹部女工の涙』『何をなすべきか』その他)の発表年月は1931年とか32年だから小滝橋あたりに越してくる直前である。 今は『素足の娘』という長編を読んでいる。題名のとおり自身の娘時代の日々をたどる自伝的作品だ。1940年3月に書き下ろしとして刊行された。彼女はプロレタリア文学者でありながら、左翼運動が窒息させられていた時代にあっても「売れる」作家であったようだ。その瑞々しい筆致、人の心の動きを描く鮮やかさを見ると、そうであった理由がわかる。 さて一昨日のわが散策だ。この日は一日曇り空で、太陽に照りつけられも、雨に濡れもせず、まずは格好の街歩き日和である。ただ酔流亭は脊柱管狭窄症の身であって、足が痺れて歩行困難に陥ることが時々ある。それを考えて時間の余裕を充分とって家を出たつもりだが、小滝橋から高円寺まで思ったより距離があった。休み休み歩いていくと中野駅近くの警察病院の前を過ぎたあたりから集合時刻に間に合うかちょっと焦る。『私の東京地図』では佐多稲子は落合から高田馬場、ときに新宿繁華街のマーケットへと足まめに出かけていく。1904年生まれの彼女は当時まだ20代だ。その若さが羨ましい。 呑み会の場では「佐多稲子いいよ」てな話もしたけれど、ずいぶん酔っていたから、あんまり論理的には展開できなかった気がする。 (こんな本が今年出たんだね。3月1日朝刊の書評欄から切り抜いておいたのを思い出した。)
by suiryutei
| 2025-05-18 08:00
| 文学・書評
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