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酔流亭は千葉県の西北に位置する我孫子市に住んでいる。その我孫子市発の全国版ニュースである。写真は一昨日(28日)の朝刊社会面から写した。一昨日は夜のTVニュースでも紹介されていた。 志賀直哉は1915年から23年まで我孫子に住んでいたのである。記事によれば、我孫子を去るとき、交流のあった剥製製造店主に譲ったという。我孫子は手賀沼に沿った里山だから、その当時は一帯で狩猟も行なわれていたろう。鴨はたくさん飛来するし、まさか熊は当時としてもいなかったろうけれど、タヌキやキツネは今でもいるかもしれない。剥製製造店というのが我孫子らしい。酔流亭が越してきた1978年のころは、猟銃を扱う銃砲店が市内にまだあった。今は剥製店も銃砲店も無いが。 さて記事から草稿の写真だけ切り取ってみる。 当然ながら何度も推敲している。 志賀直哉の文章については、よく知られたエピソードがある。丸谷才一『文章読本』から引こう。 ・・あるとき芥川龍之介が夏目漱石と話をしていて、志賀を褒め、 「どうしたらああいふ文章が書けるでせうね」 と言ったところ、漱石が、 「文章を書かうと思わず、思ふまま書くからだろう。おれもああいふのは書けない」 と答えたといふのだ。ほかならぬ漱石の意見となれば文壇中に伝はるのは早かったらうし、また、重んじられもしたらう。あるいは、すでに志賀の文章についてこの種の説をなす者があって、漱石がそれをなぞったとも考へられるけれど。・・ (丸谷『文章読本』第3章「ちょっと気取って書け」) 丸谷の文体だから旧かなづかいになってますが。 こう漱石と龍之介の会話を紹介した後、しかしこのエピソードは漱石も龍之介も「思うまま」には書いていなかったことをこそ示していると丸谷は述べる。そうして直哉だって思うままになんて書いてはいないのである。文章はもっと人工的なものだ。 上の草稿の写真におけるおびただしい推敲の跡をみると、丸谷才一の言うことがなるほどと思う。 草稿は市内の白樺文学館に相談して我孫子市に寄贈されたということである。志賀直哉から小林多喜二にあてた手紙も同文学館には保存されている。いい手紙であって、文学館を訪ねてそれを読んだときの感想は下の過去ログに書きました。2009年5月30日の更新記事である。16年前の今日ではないか!
by suiryutei
| 2025-05-30 09:00
| 文学・書評
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Comments(2)
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拝啓。中野重治に「『暗夜行路』雑談」というのがあって、なかなかユニークな評論になっています。主人公時任謙作の金銭感覚の庶民離れした鈍感さを指摘したりして、さすがプロレタリア作家という感じです。
芥川や小林のような心理的屈服でもなく、太宰治のような感情的な反発でもない、いかにも中野さんらしい批評です。面白いですよ。
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牧子さん、コメントありがとうございます。中野のその文章、明日、起きたらさっそく読んでみます。
私はこのごろ佐多稲子にハマっています。中野重治と佐多稲子は重要だと改めて思うところです。この2人の関係というのも惹かれます。 今夜は『伝送便』6月号の発送と編集会議があって、いま帰宅したところです。
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