|
新人事制度 大阪での報告①~③
記事ランキング
最新の記事
タグ
労働(124)
最新のコメント
カテゴリ
最新のトラックバック
以前の記事
2026年 05月 2026年 04月 2026年 03月 2026年 02月 2026年 01月 2025年 12月 2025年 11月 2025年 10月 2025年 09月 2025年 08月 more... ブログジャンル
画像一覧
検索
|
【いてんぜ通信】No.18(2025夏号)が届いた。いつもありがとうございます。 そこに寄稿した文章です。すこし長い(7300字ほど)ので、今日と明日、二回に分けて載せます。 2003年6月からブログを始めた。もう22年たつ。スタートから13年間は郵便局に在職していたので泊まり勤務の前などに書いていた。朝からの勤務の日は、夜は酒を飲んでしまうし、パソコンに向かう時間がない。更新の頻度は2日に一度、せいぜい3日に二度である。 2016年3月に退職してからは毎日更新を心がけている。朝早く外出する日とか、家にいても二日酔いでどうにも頭が回らないときは休んでしまうが。 更新に精出している以上、読んでほしいのはやはり直近に書いた記事である。ところが、書きたての記事はほったらかしで、古い記事にアクセスが集中することが時々ある。今年の3月末にもそれがあった。アクセスが多く来たのは、もう17年近く前、2008年9月17日に書いた記事である。そのほぼ全文を、表記を少し変えてつぎに写す。
正岡子規と糸瓜
今日、9月19日は正岡子規の命日である。1902年9月18日、子規は、どれも糸瓜(へちま)を詠んだ辞世の句を三つ、自ら筆を執って書きつけた直後に意識を失い、翌19日の未明に息をひきとった。まだ36歳であった。 その辞世三句とは、画板に紙を貼った中央にまず、 糸瓜咲て痰のつまりし仏かな 次いで紙の左端に 痰一斗糸瓜の水も間に合わず さらに右端に をとヽひのへちまの水も取らざりき ここまで書いて完全に力が尽き、あとは二度と目が覚めなかった。 糸瓜(へちま)は子規にとって馴染みのある植物だ。ヘチマの蔓を切って液をとり、飲むと痰が切れる、咳をとめるのにいいといわれ、子規の家でも庭にヘチマを育てていた。とくに十五夜の夜にとるのがいいという俗信があった。子規が亡くなる二日前が十五夜だったのだが、そのときはヘチマの蔓から水を取るのを忘れていた。三句目に「をとヽひのへちまの水も取らざりき」とあるのは、そのことを指す。 晩年の闘病生活の痛ましさを思わせる。しかし辞世三句はカラッとしている。死に対する覚悟がとっくについていた人の詠んだ句だからだろう。冒頭の「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」の「仏かな」なんて、生と死の境に来て自分を死んだ側に置いて詠んでいるのである。 盛岡に、駅から行くと北上川に架かる大きな橋を渡った先に石川啄木が新婚時代に住んだ家が残っている。このあいだ岩手の友人と会ったとき、彼はこの啄木の家に最近になって初めて行ったという話をした。「そんなものですよ。こっちにいたってオレは子規の家を知らないから」。そう私は返した。正岡子規が闘病生活を送った家は子規庵として根岸に保存されているが、そして根岸なら日暮里に近いから私にはほとんど通勤の通り道という場所なのに、いまだに訪ねたことがない。 私がいま参加している読書サークルで司馬遼太郎の『坂の上の雲』を取り上げることになって、初回のリポーターを仰せつかってしまった。この小説の前半は、秋山好古・真之の兄弟と正岡子規の3人を軸に展開される。のちに日露戦争で大役を果たす秋山兄弟と子規は松山出身の幼なじみ。子規が死んでからの後半は、作品は小説というより日露の戦史のようになってしまうのだが、前半については青春小説として読んだら悪くないと思う。子規が帝大を中退するのにも、秋山真之が学費のこともひとつの理由で文学をやめて軍人になるのにも、やはり中途退学者である私にはいささか感じるところがあった。 それで今、正岡子規についてぽつぽつと調べているところ。そんなわけで今年の糸瓜忌(子規の命日)は、例年より子規を身近に感じている。 (2008年9月17日のブログ記事)
この古い記事に今さらアクセスが集中したのには思いあたることがある。記事中、司馬遼太郎の長編『坂の上の雲』に触れた。同作をNHKがTVドラマ化したものの再放送が去年9月から始まり、今年3月末に終了したのである。毎週日曜の夜遅い時間帯だった。半年続いた再放送をずっと視ていた人たちが、終了を惜しんで『坂の上の雲』をキーワードにネット検索したら、私の過去記事も引っかかったのであろう。この時期、私のだけでなく、『坂の上の雲』を論じたネット記事はどれもアクセスが増えたはずである。 ドラマ『坂の上の雲』は最初2009年、10年、11年と3年越しでそれぞれの年の暮れに数回ずつ89分版としてNHK総合で放送された。それが44分版・全26回に編成されなおして2014年10月から15年3月までBSプレミアムで再放送される。そうして去年9月から今年3月にかけて総合でまた再放送されたのだ。秋山好古を阿部寛、真之を本木雅弘が演じ、正岡子規に扮したのは香川照之。子規の妹、律は菅野美穂である。 司馬遼太郎(1996年死去)は、この小説は映像化されるとナショナリズムを煽る懼れがあると、生前ドラマ化には難色を示していたといわれ、それだけにNHKがドラマ制作に乗り出したと報じられた当時かなり波紋が広がった。中塚明氏や安川寿之輔氏といった歴史学者も関わって〔『坂の上の雲』放送を考える全国ネットワーク〕というサイトが開設されもした。このサイトは現在もネット上に公開されている。私が2008年当時参加していた読書サークルが『坂の上の雲』をテキストに取り上げたのも、そうした状況の中でのことだ。
ひとびとの跫音
前出ブログ記事で正岡子規の辞世の句について書いたことは大岡信『正岡子規―五つの入口』(岩波書店、1995年刊)からの受け売りだ。同書は詩人・大岡信(1931-2017)が1993年の5月から6月にかけて岩波書店で働く人たちを主な聴き手に5回にわたって行なった講義をまとめたもの。詩歌に疎い私が読んでも面白かった。 子規が逝去するところは『坂の上の雲』でも文庫版(文春文庫)なら3巻目の冒頭、〔十七夜〕という章に書かれている。司馬の文章は美しく、全8巻(文庫版)の長編の中で私が最も好きな箇所の一つだ。ところが司馬は、大岡信が挙げた辞世の句三つには触れていない。どころか、子規は辞世の句は残さなかったと書く。 これはどういうことだろう。辞世の句だと言い残して詠んだわけではないから違うというのが司馬の考えなのだろうか。いっぽう大岡は、絶命前の最後の句なのだから辞世と受け取って差し支えないということであろうか。私はブログでは大岡に倣ったけれど、よくわからないところだ。 子規をめぐる人々を叙した『ひとびとの跫音』という作品も司馬にはある。跫音は<あしおと>。1979年から80年にかけ月刊誌『中央公論』に連載された。私は中公文庫上下2巻で読んだ。『坂の上の雲』(1968年から72年まで産経新聞連載)の後日譚のような作品である。 司馬は『坂の上・・』の取材を通して子規の養子の正岡忠三郎という人と親しくなる。子規の死後養子で、子規の叔父、加藤拓川の息子。拓川は外交官で、子規のよき理解者であった陸羯南の友人である。そして、この忠三郎の旧制二高時代の同窓かつ親友である西沢隆二とも司馬は昵懇になる。 西沢隆二(1903-1976)とは詩人・ぬやまひろし。徳田球一の娘と結婚した人だ。日本共産党の幹部でもあった。1934年に治安維持法違反により逮捕、投獄され、敗戦まで11年間の獄中生活を送る。 若者よ 体を鍛えておけ 美しい心が たくましい体に からくも 支えられる 日がいつかは来る その日のために 体を鍛えておけ 若者よ 彼が作詞して戦後うたごえ運動でよく唄われたという『若者』(1948年)はその獄中体験に裏打ちされたものだろうか。 戦後は党中央委員などを務めた。しかし、司馬と出会ったときには、もう党を除名されている。それは中国派ということで除名されたので、コミュニストであることをやめたわけではない。左翼嫌いというイメージのある司馬と老革命家というのは、私には意外だった。しかも2人は並大抵ではない信頼関係にあったことが筆致から覗われる。司馬遼太郎にはこういう面もあったのか。作中、司馬は彼を「タカジ」と呼ぶ。 この小説は司馬作品の中では私は一番好きだ。人間を内面まで深く理解しているように思われる。この作者には人間に対する優れた洞察力というものはやはり備わっている。じつは『坂の上の雲』の最大の問題点というのは、作者のそうした洞察というか他者理解が明治国家に対してまで発揮されてしまったことではないだろうか。明治国家によって迫害された民衆や無茶な要求を突きつけられた朝鮮の人たちに対してよりも。 しかし『ひとびとの跫音』では作者の洞察はもっぱら子規にまつわる人々に向けられているから、ここには司馬の小説家としての優れた面だけが出ていると思う。 ![]() (続く)
by suiryutei
| 2025-06-05 08:08
| 文学・書評
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||