新人事制度 大阪での報告①~③
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昨日に続いて【いてんぜ通信】2025夏号寄稿からの転写です。 国民国家と絶対主義
さて『坂の上の雲』が始まったばかり、二番目の章になる〔真之〕の冒頭にこんな字句が置かれている。文庫版では1巻目の75ページ。 「・・明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の読書階級であった士族しかいなかった」。 この文句はTVドラマの初回冒頭でもナレーションとして流れた。しかし、その認識は正確であろうか。正確だったなら、のちに『菜の花の沖』(1979年から1982年にやはり産経新聞で連載)が書かれることはなかったろう。 『菜の花の沖』では、江戸時代後期の日本列島には農業だけではなく様々な産業が自生していたことが描かれている。各地に特産品が生まれ、代表的なのは灘・伏見の酒造業、西陣や桐生の織物業。産業革命以前だから大工業はまだないが、マニュファクチュア(作業場で分業を通じた共同作業)くらいの規模にはなっている。その活発な産業活動の上に列島をめぐる交易航路が活性化するのである。小説の主人公・高田屋嘉兵衛(1769-1827)は日本海沿岸を北前船で行き来して上方からは衣類やら赤穂の塩やらを北国に運び、北海道で鰊や昆布、酒田港では庄内の米を積み上方に。あるいは灘伏見の酒を樽廻船に詰めて太平洋岸を紀伊半島を廻って江戸に運び込む。そんな商業活動の先に北海道沖でロシアの軍艦に拿捕されてしまうわけである。船乗り・商人であって士族ではないが、自らが囚われたことでかえって日本国をいわば代表してロシアと交渉、当時両国間に醸されていたいざこざをほぐしていく。 司馬は或る講演で「江戸時代を通じて誰がいちばん偉かったでしょうか」と問いかけ、自ら「私は高田屋嘉兵衛だろうと思います」と答えている(『「菜の花の沖」について』洲本市民会館における1985年5月11日の講演から)。「それも二番目が思いつかないくらいに偉い人」(週刊朝日増刊『司馬遼太郎が語る日本』1997年1月刊より引用)。 その時代に続く明治初年の日本が、人材は士族しかいなかったなんてことはありえない。 幕藩体制の胎内に資本主義経済が孕まれていったことが市民層を成長させる。私はだいぶ前、木曽路を歩いて馬籠と妻籠も訪ね、妻籠では脇本陣を勤めた林家の屋敷を見学したことがある。妻籠の本陣は島崎家で、藤村が生まれた馬籠の島崎家の本家にあたる。藤村の母はこの本家から馬籠に嫁に入った。林家は妻籠では島崎本家に次ぐ家格ということになろう。幕末から昭和の初めまで造り酒屋をやっていた。つまり富農であるとともに醸造業を営むブルジョアジーでもあった。ということは他方では、貧農であるとともに、このブルジョワジーに雇われるプロレタリアを兼ねる人たちも生まれていたということだ。こうして農村にも賃労働と資本の関係が生まれ、資本主義経済が成長していく。 そのブルジョワジーたちは流通の自由と統一市場の形成を求めて封建的割拠の打破を要求することになる。それが明治維新である。黒船による外圧ということもあるけれど、それだけで世の中がひっくりかえったのではない。幕藩体制の内部矛盾が熟していたのだ。維新後、それまでの封建勢力、それは旧大名や公卿から転じた華族などだが、この旧勢力と、成長しつつある市民層の均衡の上に明治の絶対主義が成立する。旧勢力は新興の市民階級をもう抑えきれないし、市民階級も単独ではまだ権力を取れない。いっぽう、幕末から明治初めにかけては一揆と打ち壊しが激増した。これを抑えるためにも強い権力が求められる。近代日本ではそれは天皇制という形で出現した。 ところが司馬は絶対主義という言葉は絶対に使わない。絶対主義のかわりに国民国家という言葉を使う。しかし国民国家は絶対主義の成立を通じて形成されるのである。イギリスでもフランスでも絶対主義の段階で封建的割拠が打ち破られて中央集権が達成され統一国家が出来る。この段階で国民がほぼ形成されるといっていい。国民の上に乗っかっている王制を市民革命によって除去すれば国民国家の完成となる。 明治の日本にも市民革命を目指す動きはあった。1880年代の自由民権運動だ。明治になって10数年が経っている。けれども、この革命は結局つぶされてしまう。その上に明治の絶対主義が完成した。大日本帝国憲法が発布されるのは1889年である。この絶対主義は国内の民衆に対して凶暴だったしアジアに対しては侵略的だった。司馬はここを見ていないとは思わないが軽視している。おもにロシアからの圧迫(それは事実あったと思うが)を受ける存在として明治国家を捉えている。じつは日本もまた朝鮮や中国に対して侵略の牙を砥いでいたのである。 「朝鮮のことは全く相定まり候。・・鴨緑江以南はもとより事実上我が版図たるべく候。」 これは日露戦争さなかの1904年8月26日の日付で徳富蘇峰が政府高官に送った私信の書き出しだ。蘇峰は当時、政府御用の国民新聞を率いて政府中枢とはツーカーの仲。読み進むと「伊藤候(伊藤博文のこと=引用者)も朝鮮副王のつもりにて、大分色気を出し」云々なんて字句もある。いい気なものだが、これが当時の日本国家の本音であろう。私がこの蘇峰の書簡を知ったのは、中野好夫(1903-1985)が准陰生なるペンネームで岩波書店発行の雑誌『図書』に連載していたコラム『一月一話』に書いていたのをずっと後になって読んで。 その当該コラムは1971年9月の日付になっている。『坂の上の雲』の連載は前述したように1968年~72年だから終盤にさしかかっていた。小説というより日露戦争の戦史のようになってしまい、あの戦争はロシアに対する日本の祖国防衛戦争だという、いわゆる司馬史観が打ち出されていた。それへの反証として中野好夫はこれを紹介したのではないか。 司馬遼太郎が絶対主義というものは飛ばしてしまって明治維新と明治憲法の発効で国民国家や立憲主義が完成したと解釈するのは、やはり天皇制のことがあるからだと思う。絶対主義を認めてしまっては、この前の戦争のとき、その頂点にいた天皇の戦争責任の問題が出てくるから。だから明治憲法における天皇の存在をできるだけ小さなものにしておきたい。これは司馬遼太郎に限らず、美濃部達吉とか津田左右吉とか、いわゆるオールドリベラリストにも共通する姿勢だ。民衆のあいだに天皇に対する崇拝があるとき天皇を批判すれば民衆から孤立するのを恐れるのだろう。しかし、それでは『坂の上の雲』前半に活き活きと描き出された正岡子規のリアリズム、事実を正確に見るという態度(写生)に背いてしまわないか。 服部之総(1901-1956)という歴史家がいた。亡くなる4年前に福島大学でおこなった「マニュファクチュア論争についての所感」という講演は有名だ。彼も参加した戦前の日本資本主義論争について回顧し、その最後に1880年代の自由民権運動に触れて、この運動が敗北して天皇制絶対主義の成立を許したことが、のちの日中戦争と太平洋戦争の大犠牲につながったと痛憤する。明治における近代天皇制の成立と、昭和前期の軍国主義・ファシズムとの間には内面的つながりがあるということだ。『坂の上の雲』の作者が避けて通ったのは、この点ではなかったろうか。 最後に<補論>として短い書評記事を付けさせてほしい。『「坂の上の雲」の歴史認識を問う』という本(中塚明/安川寿之輔/醍醐聡著、高文研刊、2010年)について新聞『思想運動』の2011年新年号に寄稿したもの。批評した本は、先に触れた〔『坂の上の雲』放送を考える全国ネットワーク〕の活動から生まれた。
書評『NHKドラマ「坂の上の雲」の歴史認識を問う』 : 酔流亭日乗 「小さな、といえば明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。産業といえば農業しかなく・・・」 TVドラマ『坂の上の雲』第一回放送の冒頭のこのナレーションはもちろん司馬遼太郎の原作からとったもの。あの小説の最初の躓きの石はここにあった。事実は、明治初年の日本はそんなにかよわい国ではない。すでに幕末においても榎本武揚ひきいる幕府艦隊の陣容が世界に伍していたことはかつて服部之総が指摘した。「産業といえば農業しか」ないどころか、江戸後期からマニュファクチュアが各地で自生し、すなわち産業資本家が台頭しつつあった。だからこそ幕藩体制は破れざるをえなかったのではないか。それに替わった維新政府は絶対主義の胎内に近代的帝国主義を急速に成長させる。ここをおさえておかなくては明治国家の侵略性は理解できない。育ち盛りの日本ブルジョアジーの前に朝鮮半島は格好の獲物とされたのだ。『坂の上の雲』の歴史認識を問うた本書が、あのナレーションをまず俎上に載せたのは正鵠を射ている。 さて本書でもうひとつ特筆すべきは、丸山真男による福沢諭吉の誤読が司馬史観の背景にはあることを明らかにしたことだ。司馬の『この国のかたち』と丸山の『講義録』とを通読して、両者の問題意識に親和性があることに意外を感じた記憶は評者にもある。丸山の思索は、それはそれですぐれた知的格闘だけれども、これを通俗化して保守的な層の耳にも入りやすくしたのが司馬だと言えば、泉下の二人はともに苦笑いするであろうか。それはさておき、丸山の諭吉論に精彩があるのは丸山が福沢を論じることを通じて自分を語っているからだが、その結果として、ほんらい絶対主義のイデオローグであった諭吉がなにか戦後民主主義の先駆けみたいな存在にすりかわってしまった。それは虚像である。実際の彼はアジア侵略の鼓吹者であった。本書に紹介されている「日本の一万円札に福沢が印刷されているかぎり、日本人は信じられない」という尹貞玉さん(梨花女子大学教授)の言葉を私たちは胸に刻まなくてはならぬ。 ![]() ![]()
by suiryutei
| 2025-06-06 05:08
| 文学・書評
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