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新人事制度 大阪での報告①~③
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土曜の朝刊はずっしり厚みがある。本体のほかに別刷りの土曜版もあるからだ。 本体のほうの一面はこの記事である。 当然とはいえ、まずはよかった。 国が生活保護の支給額を2013年から段階的に引き下げたことを違法であったとする判決を昨日、最高裁が言い渡したのである。 「司法は生きていた」 この言葉が胸に迫る。ただ、判決は原告側が求めた国の賠償までは認めなかった。5人の裁判官のうち4人の多数意見である。 しかし、賠償も認めるべきだという反対意見が1人いて、それを出したのは裁判長でもあった宇賀克也裁判官である。 宇賀裁判官の名には憶えがある。2020年12月、最高裁第三小法廷が、死刑が確定していた袴田巌さんの再審を認めなかった東京高裁決定(2018年6月)を取り消し、審理を高裁に差し戻したときの裁判官の1人であり、しかも審理差し戻しではなく、ただちに再審を開始すべきだという反対意見も出している。5人の裁判官のうち2人がその意見を出した。 袴田事件のその後は、去年10月に袴田さんの無罪が確定したのは知られるとおりだ。 酔流亭は20年12月当時、このブログで宇賀裁判官に触れたことがある。 その少し前、メトロコマース旧労契法20条裁判判決でも非正規雇用労働者への退職金不支給を正当化した判決にただ一人反対意見を書いたのが宇賀裁判官であったので、酔流亭はその名に憶えがあったのだ。 最高裁にもこういう裁判官がいるあいだは、たしかに司法はまだ生きている。 さて朝刊本体に続いて、別刷りの土曜版のページをめくっていくと、4面下段、原武史氏の連載コラム『歴史のダイヤグラム』はタカクラ・テルと三木清のことを書いている。 タカクラ・テルは戦前からの共産党員だったが、哲学者の三木清を自分の逃走の巻き添えにしたことであまりよく言われない。原氏もそのことを書いている。 1944年11月、検挙されて特別高等警察に取り調べられているとき僅かな隙をついて逃げ出し、逃走中、鷺宮に疎開していた三木の家を訪ねる。身分を証明する米穀手帳を持っていなかったテルのために三木は東北本線に乗れるよう切符の便宜を図った。 テルはそのあと結局つかまってしまうし、三木は彼の逃走を助けた廉で検挙され、戦争が終わっても釈放されないうち獄死する。 原氏も文章の最後をこうしめくくっている。 「タカクラは戦後初の総選挙で日本共産党の代議士になったが、三木は45年9月に獄死した。その死を惜しむ声がある一方、死の原因をつくったタカクラを責める声も少なくない。」 上に貼り付けた過去記事(2018年6月21日更新)から、三木清の死に触れた箇所を下に写しておきます。 ・・疥癬で思い出すのは哲学者・三木清の死のことである。
三木清は戦争が終わって一ヶ月以上もたった1945年9月26日、豊多摩刑務所で死ぬ。原因は疥癬に罹病したためである。疥癬にかかっていた囚人の毛布を消毒せずにあてがわれた疑いがある。 三木が刑務所に入れられたのは、逃亡中の共産党員・高倉テルに金や服を与えたため。そういう囚人である三木(つまり共産党シンパ)に、刑務所はわざとそういう仕打ちをしたのではないか。 戦争が終わって一ヶ月以上たっていたのに三木がなお獄につながれ皮膚病にもがき苦しまなければならなかったのは、戦争が終わるやただちに政治犯を釈放せよという日本人民の闘いが起こることがなかったからである。そのことは、天皇制ファシズムを自らの力で倒すことができなかった日本の民主主義の弱さにつながっているだろう。そうして、あの酷いアベ政権になお一定の支持を与えて存続を許している今日の私たちの弱さにもつながってくるにちがいない。・・
by suiryutei
| 2025-06-28 09:14
| ニュース・評論
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