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新人事制度 大阪での報告①~③
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雑誌『労働者文学』の最新号が完成した。誌上では今年の労働者文学賞も発表されている。 酔流亭は文学賞の選評と、他にもうひとつ佐多稲子の初期の短編についての感想のような文章を寄せた。 後者のほうからここに転写します。 『労働者文学』No.94寄稿 佐多稲子の短編いくつか ~『煙草工女』、東モス争議をめぐる連作~ 春先に風が強いのは例年のことだ。今年もそうだった。二月一三日(木曜)の夜、新橋の居酒屋で高校以来の友人たちと飲み会をやったが、その日も午前のうちから強い北風が吹いた。お昼のTVニュースによれば首都圏では交通機関に影響が出るかもしれないという。それって電車が止まるかもしれないってことか。 午後になって、私は予定よりすこし早く家を出た。我が家は千葉県の西北に位置する我孫子市にある。近くを利根川が流れ、その対岸はもう茨城県だ。新橋に行くには、常磐線快速電車の上りで上野駅に出て山手線か京浜東北線に乗り換えればいい。順調なら我孫子駅から一時間前後だ。しかし、利根川対岸の取手駅を始発とする常磐線快速は、上野駅までに利根川や江戸川、荒川を渡らなければならない。橋梁の多い路線は強い風に弱い。ダイヤが乱れることに備えて文庫本を一冊リュックに入れた。青木文庫『日本プロレタリア文学大系 キャラメル工場から 佐多稲子』である。 一九二七年の『キャラメル工場から』を初め、一九三〇年前後に書かれた短編ばかり一三編。二〇〇四年生まれの佐多稲子にとって初期の作品が収められている。 定刻より少し遅れて我孫子駅に入線してきた上り快速電車は、案の定その先もノロノロ運転になる区間があった。しかし、幸い長く立ち往生することはなく、普段より二〇数分オーバーしたくらいで上野駅に着いた。乗っている間、私は車内で文庫本を開く。 冒頭の『キャラメル工場から』は前に読んでいる。二番目の『煙草工女』から読み始めた。末尾に「一九二九・二」と日付が入っていて、佐多の二五歳ごろの作品ということがわかる。その年は、共産党員及びそのシンパに対する大規模な弾圧となった三・一五事件が起きた翌年である。全国で数千人が検束、約三百人が検挙された。 「昼前であった。事務所の中は暖かい三月の陽がガラス戸越しに射していた。」 と書き出され、そのあとすぐ、煙草工場で働く主人公おそのは、同じ工場で働く夫が警察に挙げられたことを知らされる。この夫婦は左翼活動をしており、夫は間違いなく前記三・一五事件で捕まったのであろう。 夫が刑務所にいるあいだに、おそのは女児を出産する。 すると、これは中野重治『春先の風』(一九二八年八月発表)と対になる作品だ。 『春先の風』に登場する若い夫婦も三・一五事件で警察にひっぱられ、この夫婦にも女の子の赤ン坊がいた。この子は、母とともに警察の保護檻に入れられているあいだに身体に変調をきたし、亡くなってしまう。生後八か月の命であった。 『煙草工女』では、出産する前日まで工場で働いていたおそのは、予定日より一〇日早く産気づく。夜中であった。 「産婆の家までは四〇分くらい歩かねばならない。彼女は途中で三度もバスケットのうえにしゃがみ込んだ。それは恐ろしい瞬間だった。しっかりしなければいけないと、おそのは法華経信者の題目のように言い続けた。・・産婆の家へ着くと間もなく彼女は女児を生んだ。」 佐多稲子は一九二五年に長女を出産しているから、自らの母親としての体験にも裏打ちされた叙述であろう。『春先の風』における喪失と、ここでの誕生と。 彼女へは後日、救援会から五円の金が届けられる。一九二八年の五円って、現在ならいくらぐらいだろう。ネットで検索したら、約二万円だとAIが答えてくれた。刑務所に面会に行くと、夫が着て現われた白地のゆかたも救援会から差し入れられたもの。厳しい弾圧の中にあっても仲間同士の支え合いが続いていたことが覗われる。 普段より少し時間が長かった上野駅までの片道は、短編小説を一つ読むにはちょうどよかった。帰途には風はだいぶ収まっていた。新橋でたっぷり飲んで酔っていたから、帰りの車内では本は読まなかった。文庫本に収められた残りの作品を読んだのは後日になってのことだ。 『プロレタリア女優』という一編では中野重治の妻である女優、原泉のことを書いている。発表は一九三三年。そのころ中野は治安維持法違反の容疑で獄にいる(三二年四月から三四年五月まで)。原泉(小説の中では久保啓という名前)は、自らも松竹少女歌劇団のストライキや小林多喜二労農葬の関わりで拘引されながらも(どちらも一九三三年にあり、前者で四か月間、後者では二九日間、原泉は拘置された)、いつも周囲を笑わせる明るい女工の役を舞台では演じたりしながら、その合間に手作りの弁当を獄中の夫に差し入れる。 そして、ことに惹かれたのは、東洋モスリンの争議に取材した一連の作品群だ。『祈祷』『幹部女工の涙』『小幹部』『何をなすべきか』『恐怖』。 東洋モスリン(小説では東邦モスリンと表記)は亀戸に工場がある紡績会社であった。従業員二四八二人のうち女工は二〇六二人。一九三〇年、大恐慌のあおりを受けて操業短縮・工場の一部閉鎖・解雇に経営側は乗り出し、女工たちのうち約三六〇人を郷里に帰すという。女工たちのほとんどは小作人の娘であり、帰郷しても食い扶持はない。どころか、彼女たちが安い賃金からひねり出す僅かな仕送りが郷里の家族の命をつないできた。解雇→帰郷は家族全員が飢えることにつながる。激しい争議が闘われ、労働者側が敗北していった。この連作はいずれも一九三一、三二年に書かれた。『恐怖』だけは文庫本では発表年月が明記されていないが、おそらく同時期だろう。 古田ナカは工場の寄宿舎に暮らし、労組婦人部の副部長である。その当時は婦人部であっても部長は男性組合員だ。全従業員を組織する御用組合で、解雇に一応は反対しているけれど裏では会社と「穏便にすませる」ということで話をつけている。御用労組の中には少数ながら全協の影響を受けた組合員がいる。全協(日本労働組合全国協議会)とは共産党が指導する左派。合法労組の中に<革命的反対派>を組織することを目指し、自らは半非合法であった。 古田ナカはこの全協と接触を持ったことがある。男性の婦人部長に面と向かって 「全協だって何も間違ってやしないよ。わたしは正しいと思うよ」 そう言ったりもする。しかし、同輩の、全協とつながりがある女工を通じて全協から指令を伝えられ、これで婦人部はこちらのもの云々と聞かされると彼女の幹部意識が頭をもたげる。 「何か自分たちのものを人に盗られるように感じた。」 彼女は御用労組の幹部の側に押しやられていく。 杉田八重と三村タエは全協とつながっている。まだ二〇歳そこそこだろう。古田ナカも同年配。八重とタエは全協の活動家と連絡を取った或る晩、御用労組の警備隊から逃げた勢いで外泊してしまう。 「お前ね、わたしら寄宿舎を出てきたことどう思っている? そりゃ、わしら外にいたって会社の争議に対して働きかけられないことは無いけどさ、折角いた寄宿舎を自分でオン出て来てしまうの、誤謬だと思うよ」 「・・わたしらは、みんなの女工をダラ幹の影響から引き離して、こちらの影響をそこへ持ち込んでゆかなければならないのだよ。それだのにわたしらが今度寄宿舎を出て来たことは本当に誤りだったのだよ」 二人はこんな会話もした。 「八重ちゃん、お前、拷問されても何も言わない覚悟ついてるか」 「ついてるとも」 こういう覚悟を求められる時代だった。小林多喜二が警察に捕えられ、取り調べ中に拷問を受けて殺されるのは、東洋モスリン争議から僅か二年数か月後の一九三三年二月だ。 こうして二人は寄宿舎に戻っていくのだが、外泊を咎める古田ナカと、大勢の女工たちの前で取っ組み合いになる。二人は警察に引っぱられていくから、その後はおそらく工場を追われ、全協の非合法活動家になっていくのだろう。しかし、彼女らの奮闘を見て全協とつながろうとする女工も工場、寄宿舎の中に生まれていることが示唆される。 なお、ずっと後の作品に『疵あと』という短編がある(一九六五年一月雑誌「群像」発表)。 そこで佐多稲子は、戦後まもないころ大阪で井原とし江という女性と再会したことに触れる。 とし江は東洋モスリン争議のとき全協のオルグであった。外部から女工たちに働きかけ、女工を連れて佐多の家に駆け込んできたこともある。小説の題『疵あと』とは、警察で取り調べられたとき彼女が拷問で受けた疵のことである。杉田八重や三村タエ、二人より少し年長(当時二七歳)で寄宿生ではなく通いの女工だった小林いくの姿が井原とし江には投影されているのだろう。小林いくは全協の分会長だった。婦人部副部長の古田ナカと初めにつながりを付けたのも彼女だが、部屋にガサ入れがあったのを機に非合法のオルグになっていく。 この作品で佐多は、権力の暴力を糾弾するだけではない。性的虐待を伴う拷問が女性同志に加えられた模様を聞いても、男性活動家は彼女たちの屈辱をわがものとして受け止められない。深い問題が提出されている。こんにちのハン・ガンの文学にもつながっていくテーマだ。 ところで、ここまで頻出している全協という名詞に私はこの春、既視感があった。いま参加している読書会の三か月に一度の例会が三月九日にあって、『ある被抑圧者の手記』(金相泰著)という本がテキストに使われた。その本の中に全協が時々顔を出すのである。たとえば 「一九二八年のコミンテルン第六回大会で、一国一共産党になることが決定された。そのため、日本にあった朝鮮共産党は解体され、日本の党にはいることになった。それに朝鮮労働総同盟も解散して、一九二九年の十二月に全協に入ることを決定している。この時期、全協の組合員が増えたのは、このためである。」(発刊に寄せて安斎 庫治)といった具合に。 著者の金相泰は一九〇六年に朝鮮で生れ、植民地支配に抵抗する学生運動を経験したあと一九二八年に東京に来る。早稲田大学で文学を学びたかった。しかし、日々の生活に追われ、亀戸界隈の飯場を足場に労働運動・左翼運動に没頭するようになる。 全協は、先に述べたように共産党が指導し、合法労組の中に<革命的反対派>を組織することを目指した。主な活動期間は一九二八年から三六年ごろまで。金相泰が東京に来て左翼運動(共産党の活動)に入って行った時期とかさなる。在日の苦学生がやるアルバイトといえば、牛乳配達、新聞配達、洗濯屋の配達、廃品回収などだったという。佐多の小説の中に、東モス争議さなかの演説会で飛び入りの新聞配達がダラ幹に対する批判をぶつところがある。 「みんなお前ら、今夜の新聞配達の演説どう思う?」 演説会のあと杉田八重や三村タエはそれを捉えて、全協へと仲間の女工たちを引っぱっていこうとするのである。その新聞配達が金相泰だというのではない。しかし金のような朝鮮人活動家の一人であった可能性はあると思う。 その時期、コミンテルン第六回大会が打ち出した「社会ファシズム論」(社会民主主義主要打撃論)など路線上さまざまな問題があったに違いない。しかし、今ここでそれを論じるつもりはないし、私にその知識もない。そういうことを超えて、治安維持法下の困難な状況のなかで日本人と朝鮮人の労働者が力を合わせて闘ったこと、同世代の佐多稲子と金相泰が、二人は面識があったかどうかわからないけれど、同じ時代を近い場所で生き、闘ったことに感慨を覚える。金相泰は戦後も日雇い労働者の運動などに挺身した。日本共産党からは一九五五年ごろ離れる。戦前とは逆に、在日朝鮮人は日本の党には組織しないというのが共産党の方針になったようだ。『手記』は一九八六年刊。彼の没年はわからない。 私が参加している読書会は<『抗日パルチザン参加者たちの回想記』読書会>というもので、この先もまだしばらく続くはずなので、興味のある方は同題をネットで検索してくだされば参加案内が出てきます。 この文章を書き始めるきっかけとなった文庫本『日本プロレタリア文学大系 キャラメル工場から 佐多稲子』を私は、労働者文学会の先輩である岩見崇さんの書架から頂いてきた。去年の春先である。高齢になったので身辺を整理するから書架から好きな本を持って行っていいという有難い話であった。友人たちと三人で松戸市のご自宅にお邪魔して漁った本のうちの一冊である。 岩見さんの書架は、家を建てるとき大工さんに特注したのだろう、壁の一面が天井まで本棚になっている。上のほうの棚から本を抜くために梯子段があって、棚はスライド式に二重。すごい蔵書量だ。私は大佛次郎『パリ燃ゆ』全三巻や服部之総の随筆集『黒船前後』、エリック・ホプズボーム『二十一世紀の肖像』なども頂いた。著者がまだ生きているのでは柄谷行人の著作も。岩見さんの知識欲の旺盛さが覗われた。 佐多稲子の文庫本は一九五五年(私が生まれた年だ!)初版。ページは茶色く変色している。鳩居堂の青い包装紙を使って手作りのカバーをかけ、背表紙には白い紙を貼って「キャラメル工場から」と手書きしてある。くりかえし読んできたのだろう。文学を志してきた女性労働者にとって佐多稲子という小説家がどういう存在であるのかがわかる気がした。 最後に私事を書く。雑誌『労働者文学』に初めて載った私の文章は『深夜労働』と題するルポルタージュで一一年前、二〇一四年七月刊の第七五号であった。 「あなたの職場のことを書いてみない?」 岩見崇さんにそう声をかけられたのである。もうすこし詳しく言うと、清水克二さんが、あいつに何か書くよう唆したら、みたいなことをどうも岩見さんにおっしゃったらしい。四〇年ほど前、全逓東京中郵支部で青年部の副部長をしていたとき支部主催の教宣講座に清水さんが講師に来られ、当時私が調子に乗って書き散らしていたビラの文章の粗さを手厳しく(そして極めて適切に)指摘してくださったことがあるので、面識はあった。 清水克二さんは去年の夏に九二歳で亡くなられた。私が今こうして文章を書いているのは清水さんと岩見さんとの縁のおかげだ。ありがたいことだと思っている。 ![]() ※今年5月にこの文章を『労働者文学』編集部に送稿した直後、文中の終盤に名前が出てくる岩見崇さんが逝去された。享年92。清水克二さんと同じである。ご冥福を祈ります。
by suiryutei
| 2025-08-01 09:05
| 文学・書評
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