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今日は長崎の原爆忌だ。平和と反核への思いを込めて、このブログでの発信を続けていきたい。 さて『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』(仲宗根政善著)のことはこの夏くり返し書いてきた。 『伝送便』誌の8月号にも1ページいただき書いたので、それを下に転写します。新聞『思想運動』8月号に寄せた文章(このブログの8月5日更新記事)とかなり重なりますが、『思想運動』寄稿がほぼ1000字のところ今日写す『伝送便』寄稿は1200字強なので、少し膨らんでます。 沖縄戦のさなか、米軍の攻撃に追われて、陸軍病院が那覇に近い南風原の壕を棄て、もっと南の摩文仁へ移動するとき、ひめゆり学徒の一人は大腿部と胸部を負傷して痛みがひどく、おぶることができず連れて行けなかった。本書の編著者である仲宗根政善(一九〇七~一九九五)はそのとき教師としてひめゆり学徒たちを引率していた。断腸の思いである。 彼女はそのあと自決用に配られた青酸カリをどうしても飲むことができず、足をひきずって壕を這い出したところで精根尽き果て、米軍に病院に担ぎ込まれる。 「敵として恨んだ米兵が、かえって教えを説いた先生よりも親切であった。・・あの場合はしかたがなかったと、いくらいいわけをしてみても、それはいいわけにはならない。・・日本国家全体が犯した罪が、具体的には自分を通じてあらわれたのである」(一六七ページ)。 こうした痛切な自省が、西田昌司という参院議員(自民党)の舌先にかかるとこう変換されてしまう。 「ひどいですね。・・あの説明を見ていると、要するに日本軍がどんどん入ってきて、ひめゆり(学徒)隊が死ぬことになっちゃったと。そして、アメリカが入ってきて、沖縄が解放されたと」(那覇市内で今年五月三日に開催された改憲派のシンポジウムで)。 ひめゆり(姫百合)とはユリの一品種で、夏には濃紅色の小さな花を咲かせる。沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の通称でもあった。両校は<ひめゆり学舎>と呼ばれていた。沖縄全土への空爆が本格化した四五年三月二三日、両校の女生徒は陸軍病院に看護要員として動員される。仕事は水汲み、炊事手伝い、飯あげ(食料であるおにぎりの炊事場から壕への配送)、包帯交換など治療の手伝い、糞尿の始末、死者の埋葬、新しい患者の迎え入れ等である。水汲みや飯あげは弾雨の下を行き来するのだから危険で、この作業中に何人もが命を落とした。艦砲射撃も二四日から始まり、運び込まれる負傷者は増える一方。寝る時間もとれない忙しさであった。「満州から戦いに疲れて転進し、人間性をすっかり失い、獣欲にうえた兵隊のみにくい姿をいやというほど見せつけられた」という記述が女子学徒の手記にある。「満州から」に留意したい。日本軍は侵略者の軍隊であった。 女生徒二二二人、引率教師一八人で計二四〇人のうち死亡一三六名。こんなにも犠牲が多いのは、軍が戦闘に巻き込んだ挙句、捕虜になるよりは死を選べと教えこんでいたからだ。しかし、ギリギリのところで「死ぬな」と学徒に声をかけた大人もいた。 生徒たちの手記も多く採られているので、同じ場面が教師と生徒双方の視点で書かれている箇所がある。そうした複眼的な構成は本書の記録として優れた点であろう。「自分たちの納得できる歴史」(自分に都合のいい歴史ってことか!)などと言い立てる西田のような連中が足元にも及ばぬところである。 角川ソフィア文庫、六八〇円(税抜き)。電子書籍でも読める(税込み五五〇円)。
by suiryutei
| 2025-08-09 08:07
| 文学・書評
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