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4日前、10日の更新記事で葛(くず)の花のことを話題にした。 上の更新記事に貼り付けた写真の画は、釈超空(折口信夫)が詠んだ歌「葛の花踏みしだかれて色あたらしこの山道を行きし人あり」を山口瞳が揮毫したものである。網走市郊外にある〔能取湖荘〕(現・能取の荘 かがり屋)という旅館の客室に掛かっていたのを、24年前そこに宿泊したとき撮影した。それを今度またスマホで撮影したのだが、反射がひどくて、あまりうまく撮れていない。でも、もう一度貼り付けますね。 菩薩様の絵は関頑亭さんが描いたものだ。 関頑亭さんは篆刻家であり、画家。山口瞳が紀行文を書くときにはたいてい同行して挿絵を描いた。山口にとって仕事上のパートナーであっただけでなく、人生の師のような存在であったことも山口の文章から覗える。 酔流亭は網走への旅から数年後、青森の八戸市に行って〔番丁庵〕という蕎麦屋にお邪魔したことがある。その店内にも関頑亭さんの画が掛かっていた。ナマズの絵だった。〔番丁庵〕ご主人に伺うと、その少し前、縄文文化にまつわるイベントが八戸で開催され、それに招かれていた関頑亭さんが来店したということであった。さすがに旨い蕎麦屋について鼻が利くのであろう。 さて酔流亭が山口瞳や関頑亭さんに、会ったこともないのに何となく懐かしい思いを抱くのは、2人が国立市の住人だったからである。酔流亭は、昨日も書いたが、国立の隣りの国分寺市で生れ、22歳まで育ち、学校も高校までは国立市内の学校に通った。 1926年生まれの山口瞳は1995年に亡くなった。関頑亭さんは山口よりも年上だから、もはやだいぶ前に鬼籍に入られたことと思い、つい昨日、恐る恐るネットで検索すると、2020年に亡くなっていることを知らせる記事が出てきた。 1919年生まれだから、101歳だったという。下の写真は山口の紀行文集『迷惑旅行』(新潮文庫)から。紀行文の内容からして、1970年代後半だ。左の帽子を被った黒メガネが山口瞳、右の柔和な表情が関頑亭。山口は50歳を過ぎたくらい、頑亭さんは還暦前か。
by suiryutei
| 2025-09-14 08:05
| 身辺雑記・自然
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