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新人事制度 大阪での報告①~③
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紙誌の11月号に寄稿した文章の転写の途中ですが、今日は違う話題を割り込ませます。 小説『普天を我が手に』(奥田英朗著、講談社刊)は全3部作で、3部目は12月17日発売予定ということだから、以下に書くのは三分の二を読んだところでのメモだ。 代替わりしつつ4人の主人公が物語を転がしていく。 つまり途中から子の世代にバトンタッチされるのだが、スタート時点では・・・ 竹田耕三は日本陸軍で中将にまで出世する軍人。軍国主義者ではなくハト派だ。したがって陸軍では傍系に追いやられている。 矢野辰一は金沢の侠客である。ヤクザの親分だから、ときには経営者に頼まれてストライキを暴力でたたきつぶすこともやる。 五十嵐譲二はバンドマン上がりの興行師で、大陸で一旗揚げようと「満州国」へ行き、満鉄幹部らに気に入られて羽振りがいい。 4人の中で紅一点の森村タキは、親が一方的に決めた婚約を破って家出同然に郷里の奈良を飛び出し、東京で女性たちだけで発行している雑誌の編集に関わり、女性解放運動に飛び込んでいく。 まったく境遇の違う4人に共通するのは、1925年にそれぞれ親となることだ。昭和が始まった年である。この4人が、代替わりしてからはその息子や娘が、ちらちら接触しながら<昭和史>を背景に話が展開していく。 この多人称性(こんな言葉があるかしら?)がまずこの作品の優れた点だ。日本の直近の100年のうちの初めの20数年(2部終了の時点で時代は1948年まで進んでいる)を、読者は4人の動きを通じて立体的に眺めることができる。その時期、日本は帝国として膨張していった挙句、あんな酷い戦争を始め、敗れ、廃墟と化した。第1部の帯(腰巻きとも言うのかな?)に歴史学者の加藤陽子さん(『それでも日本人は<戦争>を選んだ』の著者)が 光と闇を背負った時代<昭和>。史実の間隙を縫って時代の子たる四つの魂が交差する。民草が躍動する大河小説がこれほど面白いとは! と持ち上げているのは、必ずしも過褒ではない。 そう同感した上で、瑕瑾と思われる点についても酔流亭は触れておこう。構想が雄大な反面、ディテール(細部)には粗さもあるように思う。 竹田耕三の息子・志郎が戦中(志郎は日米開戦時たまたまアメリカにいた)あるいは戦後すぐ接触を持つ米軍将官たちがいずれもフランクで寛大な好男子ばかりなのに対して、五十嵐譲二の息子・満が満州国瓦解に際して相対するソ連軍将校・兵士はどいつもこいつもろくでもない。そもそもソ連がまったくのならず者国家だ。 満州で棄民とされた日本人たちの苦労はよく描かれていると思うし、その辛酸の原因は元をただせば日本の植民地主義にあることも作者はわかっている。ただ、ソ連やソ連人の描かれ方はいかにも類型的だ。執筆を始めたのとロシアのウクライナ侵攻(2022年2月~)がおそらく時期がかさなるだろうから、世の反ロシア、さかのぼっては反ソ連感情の影響をかぶったのかもしれないけれど、あまりに単純な類型化は創作にとって禁じ手ではないのか。 その竹田志郎は戦後、東大に進む。1925年生まれだから、そういう世代である。共産党の東大細胞のリーダー格と言い争って、天皇家はヨーロッパの王室と違って財産を持たない、地主でもないと言い募り、共産党リーダーはそれにぐうの音も出ない(第2部、443ページ)。 これもちょっとおかしい。江戸時代を通じて皇室はいくらの土地も持っていなかった(禁裏御料は3万石ほど)。いっぽう全国の農村には領主の持ちものでもない共有地、共有林があった(入会地)。その共有地のかなりは明治維新のあと、帝国議会の開設(1889年)を前に、御料地、御料林として皇室の財産に繰り込まれるのである。それから第二次世界大戦敗戦までの日本皇室は、世界でも有数の大地主であり、資産家だ。土地だけでなく、日本銀行、横浜正金銀行、日本郵船などの政府保有株式がかなり皇室に献上された。 戦後の土地改革によって、それは崩されてはいく。具体的には、皇室財産法によって皇室所有物が国有なりにされていくのは1948年以降だ(同法は1948年6月公布)。戦後すぐの、改革がこれから始まるというときに「皇室は土地なんて持っていない」と言い張り、共産党細胞リーダーである秀才のマルクス・ボーイがそれに反論もできない、というのは、ありそうにないことである。 最後に、この時代の日本を全体像として捉えようとすれば、朝鮮と沖縄からの視点は欠かせないはずだ。しかし、それが抜けているように、第2部まで読み終えた時点で酔流亭は感じている。 今月17日刊の第3部(完結編)において、その不満が覆されるといいのだが。
by suiryutei
| 2025-12-01 08:09
| 文学・書評
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