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今日も泊り勤務なので、午前中は時間がある。そこでHPの更新作業をやった。『伝送便』誌今月号に載った文章を「手賀沼の畔より」のコーナーに取り込む。8月に刊行された色川大吉さんの新著の感想というか紹介。 よろしかったらHP『酔流亭日乗・酒と蕎麦の日々』を覗いてみてください。HPの表紙の写真も1日に更新してあります。今月は神田[まつや]の店先を。先月30日に行ったとき写したものです。 それから色川大吉さんの講演会が今月15日(土)午後1時半より、東京経済大学(国分寺市)で行われます。「東京経済大学の100年」刊行記念講演会とのことで、演目は「『ニセ学生』で賑わったころの東経大ー民衆史研究の楽しみ」。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 本の紹介 『廃墟に立つ 昭和自分史1945-49』色川大吉 自由民権運動の研究で知られる歴史家・色川大吉氏は、また「自分史」という言葉を造語した人である。それは1975年、著者50歳の夏に上梓された『ある昭和史 自分史の試み』においてであった。いらい、有名無名の人々による多くの「自分史」が書き紡がれていくことになるが、ところが著者自身は戦後の自分の歩みについてのまとまった著述は残していないのである。『ある昭和史』の中で自己を語った一章「十五年戦争を生きる」は1945年8月15日で終わっている。したがって、この新著は30年ぶりに書かれた続編ということになるのか。海軍の航空隊から復員して東大に復学し、さらに卒業後、「人民の中へ!」とばかり栃木の山村で1年間の教師生活を過ごす4年間が描かれる。戦後日本の出発時に青春を過ごした若者の貴重な魂の記録と言ってよい。 旧制高校の自由な空気を吸いながらも、軍国青年として自己を形成した著者(国のために死ぬことを運命づけられていた世代が自己の生を意味あるものに考えようとすれば、それ以外の道は少なかったろう)が、戦後改革の嵐の中で、苦悩しつつ脱皮していく。それが前半だが、ひとつの恋愛の顛末もそこには語られている。ある女性との婚約を著者は破棄してしまうのである。それは今もなお著者の心の傷として残っているようだ。あるいは、これまで戦後の自分史を書こうとしなかったのは、このことが影を落としていたのかもしれない。 しかし、より興味深いのは、本書の後半である。著者が教師として赴任したのは渡良瀬川流域の谷間の村。この村出身の同志とともに、彼は“村の革命”を目指すのだ。昼は教室で子供たちに教え、夜は村の若者たちを集めての夜間農民学校。休日には部落の古老から村の歴史を聞き取る。その話の中には、秩父事件の“暴徒”がこの村まで逃げ延びてきたという伝承もある(著者が後年、秩父困民党の研究に大きな業績を残したのはよく知られたところ)。 著者の代表作のひとつ、『近代国家の出発』(中央公論社「日本の歴史」21巻)には、明治10年代の多摩地方における民権運動のありようがじつに生き生きと描かれている。それを読んだとき私は「これは書斎で得た知識ではないだろう。この著者のどのような体験がこの精彩ある叙述を可能にしたのだろうか」と思ったものだが、今回この山村での著者自身の実践を知るに及んで、その理由がすこしわかった気がする。それにしても、この時代、せっかく戦争に生き残ったというのに、若くして命を落としてしまう者のなんと多かったことか。物資の不足による栄養の欠乏だけでなく、己の理想を実現しようとして我が身を省みず、若い命を燃焼しつくしてしまったのである。 「おれはマルクス主義とその運動の正しさを疑っていない。だが、その実践と自分に残された命との兼ね合いでもがいている」「このまま死んでしまったら、このおれに何が残るというのだろう。なにか大事なもの、生活が自分には欠けているし、そのむなしさにこれ以上じっとしていることができなくなった」。 これは著者とともに村で活動した同村出身の同志・野本貢の病床での悲痛な叫びだ。彼は心臓を病みながら子供たちに深い愛情を注ぎ、教師を始めてわずか9ヶ月で死んでしまう。本書は、この友人へのレクイエム(鎮魂譜)でもある。
by suiryutei
| 2005-10-06 10:33
| 文学・書評
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