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雑誌『言論空間』に書いたハン・ガン著『別れを告げない』の書評を転写します。 同誌への寄稿は初めて。同誌の発行元は認定NPO現代の理論・社会フォーラムということです。 これが2025年最後の更新になるはずです。『別れを告げない』は、27日の更新記事にも書いたように、今年読んだ本の中でもことに感銘が深かった一冊なので、その作品についての文章で一年を締めくくることができるのを嬉しく思います。 ![]() 切断された指を縫合するには、血が固まって神経が腐ってしまわないように3分に一度の割で傷口を針で刺して出血させ続けないといけない。それを3週間続ける。こういう治療法が本当にあるなら(あるらしいが)それで切断された指が元通りになるとしても、3週間というものは耐えがたく痛いだろう。じっさいインソンは激痛に耐えている。 なんとも読むのが辛い場面であって、ここで本を放り出してしまう人もいるのではないか。私もそうしかけた。それでも読み続けたのは、『少年が来る』を書いた人のその後の作品を読まないわけにはいかないなという義務感みたいなものからだ。 自分が気絶して入院したことで家に置き去りになったインコの世話を、というインソンの頼みを聞いて、キョンハは済州島に向かう。冬の済州島は大変な悪天候で、雪と風によってバスの多くは運休、タクシーも走らない。道順をうろ覚えだったインソンの家に、僅かに動くバスを乗り継ぎ雪道を歩いてたどり着くまでのキョンハの苦労がまた一通りではない。インソンの家は、村から離れたところにある一軒家。途中、涸れた川に滑り落ちていっとき意識を失ったりして、ようやく到着したとき、無人の家の鳥籠の中で水と餌の補充がされずに二日間を過ごしたインコは寿命が尽きていた。籠に飼われた鳥は毎日世話をされないと長くは生きられないらしい。 しかし、韓国の現代史において闇の中に置かれてきた済州島4.3事件に近づいていくには、語り口のとっつきにくさ、晦渋さが、どうしても必要であったのだろう。 4.3事件とは何か 済州島は朝鮮半島の南方80㎞先の海上にある。事件は1948年、米軍政下で、すなわち第二次大戦後進駐してきたアメリカ軍の使嗾と黙認のもとで、韓国軍兵士・警察・民間右翼によって行われた住民大量虐殺である。この小説ではおそらく2003年に出た〔真相調査報告書〕に従って犠牲者数を2万5千~3万人としているが、1988年に東京で開催された〔四・三事件四〇周年追悼記念講演会〕では7万~8万人が殺されたとする発言者が多い。ともかく当時人口が30万人たらずだった島で恐るべきジェノサイドが引き起こされたのである。島民の一部が蜂起して警察支所や右翼団体事務所を襲い、14名の犠牲者が出たことが事件の端緒で(蜂起した日が4月3日)、それを逆手にとって米軍政や政府に抵抗する人びとを、そうでない人びとも巻き込んで皆殺しにしようとしたのは、現在ガザでイスラエル軍がやっていることを思わせる。 さてインソンは元々写真家であった。キョンハと出会った初めは仕事上のパートナーとして。雑誌などの取材でキョンハは文章を書き、それに付ける写真をインソンが撮影した。しかしインソンは写真家としての仕事の他に記録映画も制作していた。 「大学で写真を専攻したインソンは20代後半からドキュメンタリー映画に関心を持ち、生計の助けにならないその仕事を粘り強く10年続けた。もちろん、稼ぎになる撮影の仕事も手あたり次第にやっていたが、収入があるたび自分自身の仕事につぎ込むので、いつも貧乏していた」(30ページ)。 そのようにしてこれまでに作った映画は3本。 最初に撮ったのは、ベトナム戦争に派兵された韓国軍が現地で手を染めた性暴力事件のサバイバーたちへのインタビューだ。 つぎは「1940年代の満州で朝鮮独立軍に入って活動していたという、ある認知症のおばあさんの日常を扱ったものだった」(31ページ)。この「1940年代の満州で朝鮮独立軍」とは、作中ではそう表現はされていないが<抗日パルチザン>のことではないか。それを指導したとされる金日成が朝鮮の共和国のほうでは神格化されているので韓国では触れるのがなかなか難しいのではないかと推測するが、インソンの、そしてそういう人としてインソンを造形した作者ハン・ガンの視野の広さが覗われる。最初のベトナムでの性暴力は、自国の 加害の歴史にも目を背けない、ということであろう。 3本目でインソンは自身を取材対象として済州島4.3事件に迫っていく。彼女の両親は4.3事件のサバイバーだったのだ。 こうして4.3事件が語られていく。事件に生き残った人が自分の見聞きしたことについて重い口を開く、その語り口に似ている語調を前に目にした気がするなあと思い当たるのは、目取真俊の小説だ。たとえば『眼の奥の森』(2017年刊)において、幼友達の小夜子を強姦した米兵士たちに向かって独りで復讐に立ち上がった少年セイジが、老いてからも心の中で小夜子に向けて呼びかける島言葉(しまくとぅば)。「我は今も(わんやなまん)お前(いやーが)のことを思っておるよ(うむていうんど)」(目取真『眼の奥の森』120ページ)等々。 それもそのはずで、『別れを告げない』の斎藤真理子による訳者あとがきによれば、済州島の言葉は標準韓国語と大きく異なっているので、「・・朝鮮語の古層が残っているともいわれる済州語を生かして訳すにはどうすればよいか」(323ページ)思いあぐねた挙句「力を借りるとしたら、済州島との共通点も多く、自分もかつて四年暮らした沖縄の言葉以外思いつかなかった」(同)ということである。 言葉のことだけではなく、<暴力に抗う>という根本的テーマにおいてハン・ガンの文学と目取真俊のそれは共通するところがあるように思う。 なお、原書ではハン・ガンは、済州語をそのまま用いては本土の読者に理解できないので、可読性を損なわないよう本土の言葉と済州島のそれとの「中間点に収まるよう」に配慮したという。こういう配慮は目取真俊も沖縄でも周縁の地域での言葉で会話体を作るときに行なうと、ご本人がどこかで語っていたと記憶する。 その暴力は日本が持ちこんだ 斉藤真理子の訳者あとがきには大事なことがたくさん書かれている。第二次大戦末期、沖縄戦のあと日本軍は済州島をアメリカ軍との最終決戦の地と定め、将兵8万人が結集できる巨大軍事要塞化を進めた。日本の降伏が早まったために間一髪、玉砕の島になることを免れた。そんなことも訳者あとがきを読んで私は初めて知った。沖縄に続く凄惨な戦場になっていたかもしれないのである。 光州事件を題材にした作品を書いた小説家として造形されているキョンハが作者ハン・ガンの分身であることは言うまでもない。インソンもまたハン・ガンの分身である。『少年が来る』を書いた後、暴力はあのときだけ光州だけで行使されたのではないと4.3事件に向かって行ったハン・ガンと、母親が遺した資料を手探りしながら同事件と向き合うインソンとは重なり合う。同い年のキョンハとインソンは1970年生まれの作者ハン・ガンと同世代であり、物語が進行するのは2018年の暮れである。 後半、キョンハが訪ねて行った済州島のインソンの家に、そのときソウルの病院で激痛に耐えているはずのインソンが現れる。手遅れで死んだインコも生き返って。これはいわゆるマジック・リアリズムという創作法なのだろう。現実には起こりえないことを叙述することを通じて、しかし本質的なものが提示されていく。 先に、1988年に東京で開催された事件40周年追悼記念講演会に触れた。同集会を記録する『済州島「四・三事件」とは何か』(新幹社)の後半に収録されている座談会で、講演会では結びの辞を述べた玄光洙氏(当時、済州島4.3事件を考える会代表)は、世界の歴史の中でもこれほどの残虐行為はなかったのではないかと痛憤する。その暴力性は日本帝国主義が持ち込んだものではないか。たとえば第二次世界大戦において日本軍が進駐したフィリピンで行なった虐殺はすさまじい。東京裁判に出廷したマニラ生まれの女性は、舌を抜き、爪をはがし、耳、鼻を切り落とす等の残虐行為を証言した。『少年が来る』に描かれていた、光州事件参加者への拷問は、かつて日本の特高警察が朝鮮独立運動の闘士たちに対して行なったそれを思わせる。『別れを告げない』にも「日帝時代に特高刑事だった裏切り者がそのまま居残って解放前と同じような拷問をやっている」という記述がある(197ページ)。 ハン・ガンは日本の過去には触れていないけれども、私たちはそんな歴史を重く受け止めなければならないと思う。 ![]() 雑誌『言論空間』の上は表紙、下は目次の一部。 ![]() 季刊『言論空間』2026冬号 | NPO現代の理論・社会フォーラム ![]()
by suiryutei
| 2025-12-31 06:44
| 文学・書評
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