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先週木曜にNHKBSで放映された『パピヨン』は1974年の公開当時かなり話題になった映画なので題名だけは知っていた。米仏合作。フランクリン・J・シャフナー監督、スティーヴ・マックイーンとダスティン・ホフマンが共演した。 しかし脚本にダルトン・トランボも参加していたこと(ロレンツォ・センプル・ジュニアとの共同)を知ったのは、つい最近のことだ。 主人公のパピヨン(スティーヴ・マックイーン)は濡れ衣で殺人犯とされ、終身刑となって南米ギニアの流刑地に送られてくる。1930年前後のことである。植民地帝国だったフランスでは重罪人をそのように南洋に流刑にしたのだろう。パリ・コミューンの蜂起(1871年)に敗れた人びとがニューカレドニアに流されたことは去年『パリ燃ゆ』(大佛次郎)を読んで酔流亭は知った。 映画の後半では、パピヨンにとって最後の流刑地となった悪魔島で海を見渡せる石に腰をおろそうとする彼が「その石はドレフュス大尉の指定席だった」と言われる場面がある。フランス陸軍のユダヤ人だったアルフレド・ドレフュス大尉がスパイの濡れ衣を着せられたあの事件(1894年)で、1906年にドレフュスは無罪判決を得る。 映画のパピヨンのほうは無罪判決が出るような見通しはないから、彼は脱獄を試みる。実話にもとづく作品だという。パピヨンというのは、胸に蝶(パピヨン)の入れ墨をしていることから付けられた通称である。 ダスティン・ホフマンが演じたのは、囚人仲間のドガである。国債の券を偽造して捕まった。あるときドガが看守に理不尽に痛めつけられているのをパピヨンが止めようとして、看守に暴行したことにされてしまう。懲罰として独房に閉じ込められたパピヨンに、ドガは助けられた恩義を感じてココナツを差し入れてやる。偽札づくりの名人で儲けてきたから、色々な抜け道があるのだろう、獄内でも金に不自由しない。看守に賄賂を使ったのである。 ところが、ココナツが密告で見つかってしまい、誰の指示での差し入れかパピヨンに口を割らせるため彼は房を24時間真っ暗にされ、食事も半分に減らされる。 飢えの苦しみと餓死の恐怖がパピヨンを襲い、とうとうドガの名前を出しかけるが、刑務所の所長の前に立つとその名前が出てこない。仲間を売らないという意地と、とことん飢えて精神が錯乱してほんとうに名前を忘れてしまったのが半々であったろうか。ともかくパピヨンは屈することなく2年間を耐えて、真っ暗な独房から元の房へと生還するのである。 もっとも心をゆさぶられる場面であった。赤狩りに屈しなかったトランボが脚本に参加しているのがなるほどと思う。 それが2時間半の長編の真ん中あたり。後半、パピヨンは脱獄を敢行する。 逃走する途中、ハンセン病の患者たちばかりの島に行き着く。『パピヨン』が日本公開された1974年には邦画の大作『砂の器』も公開されている。『砂の器』でもハンセン病が扱われているけれど、先日TV放映を視て感じた不満は、ハンセン病に対する偏見への向き合いが不充分ではないか、ということだ。映画が終わったときに、ハンセン病は伝染する病気ではないこと等がテロップでは流される。しかし、映画の進行の中でそれは展開してほしいことであった。 『パピヨン』では、登場人物たちの会話や行動を通じてそれは描かれている。患者が吸う同じ葉巻をパピヨンも吸い、「うつらない病気だと知っていたのか」と患者が驚く。パピヨンはそうとは知らず、しかし患者たちの助けを借りなければ逃走を続けられないのでそう振る舞ったのかもしれない。しかし、その場面を観て啓発された映画の観客もいたはずである。 余談ながら、いま思い出したので書いておくと、若き日のチェ・ゲバラを描いた『モーターサイクル・ダイアリーズ』という映画では、青年医師ゲバラと彼の友人とがハンセン病患者と接するとき手袋をすすめられるがそれを拒否する場面がある。そういうかたちで、あの映画は偏見を打破しようとしているのである。『砂の器』がテロップで語るだけだったのは、やはり不充分ではなかったか。
by suiryutei
| 2026-02-15 06:07
| 映画・TV
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