新人事制度 大阪での報告①~③
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昨日、友人の十三回忌があった。 酔流亭より6歳の年長だから、生きていたとしてまだ50代なかば。亡くなったときは44歳であった。もともとは兄の友人である。酔流亭が郵便局に就職してほどなく、彼もいくつかの仕事を変わった挙句に郵便局に職を得た。以来、好きな者同士、よく酒酌み交わした。 いくつも職を変えたのは、彼の反骨精神による。大学を出て大企業のサラリーマンへというお定まりのコースをすすむことを、彼が身につけた思想はよしとしなかったのである。 法事は横浜のはずれにある静かな寺で行われた。そのあと近くの料理屋で会食する。未亡人と会うのは三回忌以来だから10年ぶりだ。そのとき中学生だった一人息子はこの春、大学を卒業したとという。父親の面影がはっきり認められる。そういえば酔流亭が初めて故人に会ったとき、彼は今の息子くらいの年齢だった。 その息子にとっての父の記憶というのは病気で衰弱してからのものがほとんどだから、故人が元気だった頃のことを息子に話してほしいという未亡人の希望で、参会者一人ひとりが思い出を語った。一升瓶を抱えて彼の家によく泊りに行ったことなどを酔流亭は話した。翌日が二人とも仕事は休みだと、朝から酒屋に酒を買いに行くこともあった。前夜の一升瓶は、とうに空になっている。彼の死因は肺癌だが、すこし多すぎた酒量も寿命を縮めることになったようだ。 しかし、きれいな飲み方であった。酔ってきても人が変わったり激したりすることは決してなかった。盃を重ねながら、問わず語りにあれこれ語り合うだけである。年齢が下だったこともあって、酔流亭はたいてい聞き役であったが。 器用な人で、何をやっても人より上手だった。女性にももてた。適当に折り合いをつければ世の中をうまく渡って行けたろうに、世の中は彼が目指したのとは違う方向に進んでいくのだった。酒量が多かった一因にはそのことがあろう。 それにしても、40代なかばでの死は早すぎた。
by suiryutei
| 2005-11-06 09:09
| 身辺雑記・自然
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Comments(2)
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