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泊り勤務明けで帰途、東京駅構内の売店で鯖の押し寿司(京都から毎日送られてくるもの)を買い、我孫子駅近くの床屋にかかって家に着くと、東京国際女子マラソンのTV中継が始まるところであった。 冷酒で鯖寿司をつまみながら、その中継に見入る。画面の真ん中には、フルマラソンは二年ぶりの高橋尚子選手がいる。 東京は快晴である。高橋選手が走るのを視ながら、既視感というか、同じようなことが以前にあったなと思い出した。 五年前の名古屋女子マラソンだ。あれは春だったと思うが、やはり今日と同じような快晴だった。そのときも、今日と同じように酔流亭は冷酒を飲みながら中継を視ていた。高橋選手はその前年、市民マラソンで転んで腕の骨を折り、そのためシドニー五輪の選考レースのいくつかに出そびれて、最後の機会となる名古屋を走ったのであった。 スポーツに疎い酔流亭がなんでそんなことを憶えているかというと、その当日の朝、NHK教育TVの『新日曜美術館』が画家・三岸節子の特集をやった。それと高橋選手のレースと、ふたつの番組を視た感想がとてもすがすがしかった記憶があるからだ。 その名古屋で優勝して高橋選手が五輪代表になったのは周知のとおり。そのあと、本番を控えて最後のレースとして走った北海道のハーフマラソンは、酔流亭はその中継を病院のベッドの上で視ていた。足を骨折して入院していたのである。足のギブスがとれ、仕事に復帰した頃にはシドニーのオリンピックが始まっていた。 酔いが廻ってくるにまかせて、そんなこと思い出しているうちに、画面では選手たちが次第にしぼられていく。先頭集団は数人に。30数キロ過ぎ、そろそろヤマが近いな、と手洗いに立って戻ってきたときには、高橋選手がもう飛び出していた。肝心のところを酔流亭は見逃したことになる。そのままトップでゴール。 金メダルとその翌年の世界記録樹立のあと、高橋選手が経験した様々な困難を思うと、今日のレースはやはり感動的なものであった。解説の増田明美さんなんか、後半はもう涙声である。酔流亭だってジーンときた。
by suiryutei
| 2005-11-20 18:53
| スポーツ
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Comments(2)
本当に清清しかったですね。彼女が飛び出すところをTVは映し損ねました。まだまだ、と言う油断だったのでしょうね。後ろの車からの映像にしていたのです。それほど知略に富んだ飛び出しでしたが、やはり自信と勇気がなくては出来るもんじゃありません。
三岸節子美術館も名古屋でしたね。
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シドニー五輪の前年に高橋選手が転んで骨折した市民マラソンというのは、じつは我が町の「手賀沼エコマラソン」だったんですよ。我孫子市民の一人として、申し訳ないような思いをしたことでした。
それにしても、たいした人ですね。
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