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加藤周一さんが朝日の夕刊に月1回連載しているエッセイ『夕陽妄語』の最新回(一昨日)は、こう書き出されている。 「その頃(1938年)、東京の巷には軍歌があふれていた。そこで石川淳は小説『マルスの歌』を書いて戦争を批判したが、軍国日本の検閲は、『反戦思想』を理由としてその本の刊行を禁じた。今(2005年)の東京にはまだ軍歌が流れているわけではない。しかし国会では、いくさを知らない政治家たちのマルス賛美の声がにぎやかである。検閲や『発禁』はまだない。しかし大衆報道機関における批判的言論はすでに急減して今日に至る」。 話題はそこから中国の古典の世界へ、さらに今日のイラク戦争へと転じる。古今東西の文にも理にも通じた加藤さんらしい筆の運びだ。しかし酔流亭などは、石川淳の名が加藤さんの文章に出ると、ついニヤリとしてしまう。加藤周一が石川淳について語るとき或る種の熱を帯びるのは、丸山真男が福沢諭吉を論じるごとく、あるいはレーニンがチェルヌシェフスキーについて語るごとくである(チェルヌシェフフキーは19世紀ロシアの民主主義思想家。レーニンがいかに心酔していたかは、彼の代表的論文のひとつ『何をなすべきか?』が晩年のチェルヌシェフスキーが若い世代への遺言として流刑地で書いた同題の小説から題を借りていることでもわかる)。 1920年生まれの加藤さんの人格形成期、日本はファシズムから戦争へと向かっていた。大正デモクラシーは窒息させられ、昭和初頭に一世を風靡したマルクス主義も弾圧および運動内部の未熟さから壊滅していた。知識人のほとんどは、積極的か嫌々ながらかの違いはあれ、翼賛体制に呑み込まれていた。しかし石川淳がいて、彼は大東亜共栄圏の正体も戦争の実態も正確に見抜いていたのである。そのことが加藤さんたち当時の若い世代にとってどれだけ心の支えになったかが察せられる。思想および言葉の力というものが思われる。 戦時中の石川淳の精神的態度について、「蕪村一幅、おちついて眺める習慣があれば、もっともらしい演説をぶつのがばからしくなるという石川の気持ちに私は賛成する」とも加藤さんは以前書いたことがある(『戦争と知識人』)。 ここには、一種の精神的貴族主義があり、それはときに超然主義の臭みとならぬこともないが、しかし精神の態度として必要なことであると思う。また最近の加藤さんは、憲法9条の危機にあって、全国を行脚しておおいに演説をぶっている。その奮闘には敬服する。
by suiryutei
| 2005-11-24 09:45
| 文学・書評
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Comments(2)
![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
ありがとうございます。
故・堀田善衛晩年の大作『ミシェル 城館の人』には感銘を受けました。 今日、送らせてもらいます。『伝送便』誌そのものは、私のところにも一冊届けられただけですので、とりあえず私の書いた誌面のコピーを送ります。『伝送便』誌については、下記のサイトに雑誌の輪郭が窺われるかと思います。 http://homepage1.nifty.com/densobin/
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