新人事制度 大阪での報告①~③
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学生時代、一学年下の友人にSという男がいた。高校生のときから水俣病患者の支援運動をやっていた。横須賀に自宅があると聞いていたが、家に帰ることは滅多に無いようであった。支援団体の事務所などに泊り込む。水俣現地にも、よく足を運んでいたようである。現金はいつもほとんど持っていなかった。水俣と東京を行き来する旅費をどう工面していたのか、今もって謎である。 食費はどうしていたか。たとえば喫茶店を裏口から訪ねて、タダで、あるいは10円玉一枚くらいで、食パンの耳を分けてもらう。店とすればどうせ捨てるものだから、気前よく分けてくれる。大きな袋一杯もらってくる。それを砂糖水に浸して食べるのである。 栄養面でどうかと思うが、若さで乗り切ったのだろう。どうしようもなくなれば実家に帰って栄養補給したろうし。たまに一緒に飲んだときは、こちらも金の無い身ではあったけれど、飲み代をオゴッてやることもあった。支援活動への彼の献身をみれば、それくらいのことはしてやりたくなったのである。 Sは今どうしているだろう。30年間会っていないが、彼に限っては、基本的な生き方は変っていないんじゃないかという気がする。 献身といえば、職場でしばらく一緒に仕事をしたKさんもそうだ。非常勤職員として泊り勤務をこなしながら支援活動を続けていた。一晩不眠で働いて、朝の飛行機で熊本に飛ぶというような日々であったらしい。それで体調を崩して退職した。今も、自分の生活費はアルバイトで稼ぎつつ、東京と水俣を行き来しているはずだ。 そんな知人が身近にいたのに、酔流亭自身は水俣の問題に深く関わることはしてこなかった。ただ、繁栄のためには少数の犠牲はやむをえないんだというような考えに同調してはならないことを、彼らの生き方から教えられたと思っている。水俣病が1956年に公式確認されてから、昨日で50年。
by suiryutei
| 2006-05-02 14:07
| ニュース・評論
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Comments(7)
辺見庸の厳しい生き方に負けない人がいるのですね。気持ちだけでも持ち続けて生きたいと思います。
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佐平次さん、こんばんは。
辺見さんの生き方の厳しさはまた格別だと思います。でも、彼らと知り合えたことは私にとって貴重な財産です。
大勢いる人間の中にあってSさんやKさんの姿をきちんと捉え評価した酔流亭さんの確かな目。
彼らもまたそんな目(少数かもしれないけれど)に支えられていたんだと思います。
sakuraasakoさん、こんばんは。
asakoさんのコメントを読んだら、なんだか目蓋が熱くなってしまいました。ありがとうございます。
asakoさん、私も。
ユージン・スミスの水俣の写真を見て衝撃を受けたことがあります。わたしにとって水俣病というのは、社会科で習う4大公害のひとつに過ぎませんでした。けれどここ最近のニュースや新聞で記事を読んで、「もう終わりにしよう」的な動きのあるこの病気が全然終わってないことを知りました。薬害問題やBSE問題と体質が酷似していて、負の連鎖を感じおそろしく感じます。
むーちょさん、ユージン・スミスの写真は有名ですね。
政府は未解決のままに幕を引こうとしているようです。水俣病が公式に確認されたのと戦後の高度成長が始まったのは、ほとんど同じ時期。繁栄は何を踏み台にしてなされたのかを考えさせます。
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