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リリー・フランキーさんの『東京タワー』を読んだ。一昨年出版されてベストセラーになった本である。TVドラマ化されたものも、先週から放送が始まった(オカンを演じているのは倍賞美津子さん)。 単行本一冊四百数十ページの長編。これだけのページがあれば、著者自身のことやオトンのこと、あるいはオカンと気が合いながらも著者とは別れてしまった「彼女」とのことなどをもっと書き込めたろうけれど、著者のフランキーさんの筆はそちらへは向かわず、ひたすらオカンとの想い出を綴る。これを潔しとするか、あるいは母への思慕にのめりこみ過ぎているとみるかで、この作品に対する好き嫌いは別れるだろう。ではお前はどうかと問われれば、酔流亭はこの作品を冷静に評価することができない。なぜかというと、オカンが亡くなるときの状況が、自分の母が死んだときとあまりに酷似しているからである。 著者の母上・・・オカンは2001年の4月15日に亡くなっている。死因は胃癌である。享年69歳。それ以前に甲状腺癌などを患ったことがあったが、それはほぼ完治していた。しかし前年の暮れあたりから体調に異常を感じるようになり、年が明けてすぐ入院、末期の胃癌と診断された。もはや手術は施せない進行状態だったようだ。フランキーさんは1963年生まれだから、そのとき38歳だったことになる。 酔流亭の母は1992年に死んだ。74歳だった。その年、酔流亭は37歳だから、オカンを失ったときのフランキーさんとほぼ同年齢だ。死因が胃癌であるのも一緒。やはり末期で、手術はもう無理ではないかと医師に告げられた。母と同居していながら、その体調の異変に気付くのが遅かったのは酔流亭の痛恨事である。 入院したのは前年暮れで、絶命まで一冬を病院で過ごした。小説ではオカンが入院していた病院は東京タワーの麓あたりで、窓からタワーが間近に望めたとあるが、酔流亭の母が入院していた信濃町の慶応病院の窓からも東京タワーが見えた。命日が4月11日というのは、オカンと4日の違いに過ぎない。だから、本のうしろのほう三分の一ほどを読んでいると、最後に母に付き添った数ヶ月を追体験したような気分に襲われた。 担当の医師はあまり薦めなかった抗がん剤による治療を、フランキーさんら家族は選択する。抗がん剤は副作用や激痛をともなう。効果が必ず上がるとも言い切れず、患者の体力を消耗させるだけの結果になってしまう場合もある。医師が積極的でなかったのは、そのためだ。けれども、生きる可能性があることなら何でもやってみようというのが家族の判断でありオカンの意思だった。しかし、あまりの苦痛のひどさに、この治療は長く続けることはできなかった。ここのところは読むのが辛い。書いたフランキーさんはもっと辛かったろう。 酔流亭の母はこの治療はしなかった。身体への負担のきつさをやはり医師に聞かされたからである。それには74歳という年齢のことがあった。もし70前であったら、つまりオカンと同じくらいの年齢であったら、どういう判断をしたかはわからない。著者には辛い記憶だろうが、オカンも遺族もベストを尽くしたのである。 4月13日、亡くなる二日前に、オカンが何か言いたそうに口元を動かした。その口元を注意深く見て著者が言葉を探る。「ありがとうって、言いよるん?」。小さくうなずくオカン。 酔流亭の母も、あれは死ぬ前日だったか、痛みを和らげる薬の投与で、もうしばらく前から意識が朦朧としていた状態が続いていたのに、たしかに「ありがとう」という言葉を口にした。 どうも自分の母親のことばかり語ったようである。読書感想文としては失格だ。リリー・フランキーさんのことを亡母への思慕にのめりこみ過ぎているなどと言えた義理ではない。
by suiryutei
| 2007-01-16 08:43
| 文学・書評
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Comments(8)
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東京タワーは、
下町で育った小学生のゆめの シンボルでしたね。 それを見に行くために、 遠征という「冒険」もしました。 タワーはきっとなつかしい、 かけがいのない記憶と結びついているのです。
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YUKI-archさん、こんばんは。
一昨年の映画『ALWAYS 三丁目の夕日』では、建設中の東京タワーが作品の時代を象徴する役割をしていましたね。小学校低学年のとき、これは父親にでしたが、一度だけ連れて行ってもらいました。そのときのことは今でもよく憶えています。
ジ~ッとゆっくり噛み締めるよに読ませていただいたさ。
何か何かさ、胸の中がゆらゆらするよな。うまく言えんけんど。 言葉に出来ん感情ががじゅの中に。 何書いとるか分からんなったもんで、余計なお話を。 地上デジタル「新東京タワー」出来たら「東京タワー」は淋しいなるさね。 ・・・ああ何を言うとるんかし・・・あは・・・。出直して来るさ~。
これを読むと、この本は到底読む気になれないです。妻のときが思い出されます。ガンケンと言うひどい病院にいたので暫く大塚にいくのがいやでした。今、くう、だの岩舟だの行くのが不思議なくらい。
がじゅたん、こんばんは。
お母さん思いのがじゅたんの気持ちが伝わってくるコメントです。どうもありがとう。 これを書いていて初めて気付いたんですが、母が74歳で死んだとき私は37歳だったというのは、母の人生のちょうど折り返し点で私は生まれたということ。三人きょうだいの末っ子でした。オクテで、中学生くらいまでは何をやらせても三人の中で一番ダメだった。だから、出来の悪い子ほど可愛いということで愛されたところもあったと思います。今年の春で、もう15年がたつんだな。 あの本にも書いてありましたが、東京タワーは取り壊されるという話も出ているそうですね。ちょっと淋しい。
佐平次さん、こんばんは。
大塚には、そんな想い出があったんですね。あの本は妻が先に読んだのを借りて読んだのですが、「酔流亭は読まないほうがいいかもしれない。お母さんのことを思い出してしまうから」と言われました。ご覧のように、たしかに思い出してしまいました。
夕べ『義喬」に行って来ましたよ。いい店ですね。ちょっと遠いのが・・。
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