新人事制度 大阪での報告①~③
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先々週の土曜は、所属している市民サークル『フォーラム色川』の例会があったのだけれど、酔流亭は昼間は勤務だったので夜の懇親会から合流した。 その懇親会の二次会は、西荻窪の小さな居酒屋に席を移した。カウンターだけの店である。われらはまだ10人ほど残っていたろうか。昼間から参加していた若い人と隣り合わせになった。今回が初めての参加で、年齢は酔流亭より20歳も若い。 上州のほうのご出身だというので、 「羽仁五郎はそっちのほうじゃなかったかしら」 羽仁は桐生の生まれである。ところが彼は羽仁五郎の名を知らない。これが世代のギャップかと思ったが、我が身をふりかえれば酔流亭だって彼くらいの年齢のときは服部之総の名を知らなかった。この歴史家のことを知ったのは、『近代日本のなりたち』という文庫本をたまたま手にしたことからで、40歳前後になっていた。 羽仁(02年生まれ)と服部(01年生まれ)は戦前の『日本資本主義発達史講座』における同志であり、また論敵同士。「羽仁・服部の苦闘によって文字通り切り開かれた日本近代史研究」(色川大吉『日本近代史の争点』)と評される二巨星だ。しかし羽仁五郎が1983年まで長命して全共闘世代に熱烈に支持されたのに対して、1956年に死んだ服部之総の史学は、その内容の新しさにもかかわらず、一見するだけではスターリン批判以前の古いマルクス主義とかたづけられ、いわば忘れられた。1955年に生まれた酔流亭にとって、羽仁五郎は、その著作は読んでいなくとも煌めかしい存在であったけれど、服部之総ははじめ歴史家なのか経済学者なのかの区別もつかなかった(それだけ服部の叙述は下部構造の分析がきっちりされているということでもあるが)。 羽仁も亡くなってじき四半世紀がたつ。若いころの酔流亭にとっての服部がそうであったように、20歳下の彼には羽仁五郎はもう歴史の彼方にいるのだろう。 そこで、どんな人の本から影響を受けたかを訊ねてみた。 「本多勝一の本は読みましたね。『マゼランが来た』はよかったです」 本多さんの本は酔流亭も20代のころ割りと読んでいる。ベトナム反戦運動の洗礼を受けた世代には、朝日新聞記者・本多勝一の存在感は小さくない。彼の『戦場の村』をはじめとする一連のルポがベトナム反戦世論の高揚する上で果たした役割は大きかったと思う。 もっとも酔流亭が本多さんの本を手にしたのはベトナム戦争が終わって以降である。組合の青年部で教宣活動を担当するようになってから。 この活動の柱は機関紙づくりだ。どんな紙面にするか。学生時代に学費値上げ反対ストを経験しているから、ビラ書きはしたことがある。しかし学生相手に書くような文章は職場では通用しない。 深夜不眠の単純反復労働を続けた合間のわずかな休息時間。そのときに、さかしらな理屈を並べた文章など誰が読むか。休息室の机に漫画本があれば酔流亭だって組合ビラよりそっちに手が伸びる。そんな中で組合の訴えを組合員にいかに伝えるか。教宣担当者の悩みであり、同時に腕のみせどころでもある。 本多さんの『日本語の作文技術』が文庫版になって出版されたのは、ちょうどそのころだ。これは、いい手引になった。さっと読み流されて捨てられるかもしれない新聞記事に、いかに読者の目をひきつけるかという記者の工夫は、労組のビラづくりの悩みと通じるものがあると思った。ただし、それがどれほどの“成果”となって酔流亭が書いたビラの紙面に反映したかは、また別の話であるけれど。 冒頭に書いたように、その夜は酔流亭は懇親会の途中からの参加である。だから、二次会では、みんなに早く追いつこうと、せっせと盃を重ねた。しかも、たしか『瑞泉』という銘柄だった酒(鳥取の地酒らしい)が美味かったのである。そのせいか、普段よりはいくらか饒舌だったかもしれない。 (関連する記事は、06年1月11日、同6月10日の日記に)
by suiryutei
| 2007-04-08 10:31
| ニュース・評論
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Comments(6)
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ume
at 2007-04-08 20:09
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『酔流亭日乗』も『育住日記』も誤字脱字の類がないのにはいつも感心しております。わたしなんぞは前回の短いコメントの中でさえも、脱字があったり、目的語の欠如した文章があったりと、読み返してみると赤面の思いです。数十年前に書いたラブレター以来、あまり文章を書く機会がなかったり、パソコンのTとQのキーが”うめ”(umeは実は飼い犬の名前です)が爪で引っ掻いたたために欠落していて、キーが打ちにくいというということが、誤字脱字の理由すべてである、ということにしておいてください。若い頃、本多勝一はずいぶん読みましたが、羽仁五郎は『都市の論理』(読んでおりません)という書名と羽仁進の父君ということくらいしか判りませんし、残念ながら、服部之総は初めて聞く名前です。育住日記も酔流亭日乗も、わずかに残っているわたしの知識欲、読書欲をかなり刺激しておりまして、『近代盆栽』以外の本も読もうかと思っている今日この頃であります。
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suiryutei at 2007-04-08 22:25
umeさん、こんばんは。
飼い犬からハンドルネームをとられたのですか。なるほど。きっと、さぞ可愛いワンコでしょうね。 羽仁五郎は私も著作はほとんど読んでいないのですが、あれは70年安保の年だったかなあ、TVの報道番組で中曽根康弘氏と討論していたのを視たのが妙に記憶に残っています。 中曽根氏は言葉は巧みだけれども実が無い。羽仁氏は中曽根氏より年上なのに青年のように純なところがあると、子供心(そのころ私は15歳前後でした)に感じた記憶があります。 ところで、盆栽をなさるのですか?
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ume
at 2007-04-09 22:06
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言い忘れました。『銭なんとかという銘菓』は三野屋の『継続だんご』です。
都市の論理で、ローマの風呂を例に挙げ、適度な労働と風呂が精神上とても大事であるという下りがあったように思いますが、現在、「鬱病」が増えている時に、羽丹五郎の提言を読み返す必要が有るかもしれません。
本多勝一の文章の書き方、数冊読みました。 日本語に主語が必要ない、修飾される言葉と修飾する言葉の繰り返しで文章を組み立てられる。 主語の必要性のない理由の一つに、欧米は神の存在を常に意識しているために、「神がそこに物を置いている」と意識していることを挙げていたのが印象的でした。
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suiryutei at 2007-04-12 10:00
umeさん、おはようございます。
三日間ほど留守にしていたもので、レスが遅くなってしまいました。 『継続だんご』でしたか。変った名の菓子だということは印象に残っていたのですが、面白い名ですね。 そのときは飛騨の馴染みの宿屋に行く途中でしたので、それを宿への手土産にしました。私たちはお店で買った「みたらし団子」を列車の中で食べたように記憶します。
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suiryutei at 2007-04-12 10:05
花筏さん、おはようございます。お久しぶりです。
ああ、羽仁五郎も風呂のことを書いているのですか。お風呂はいいですよね。 主語は必要ないと言われて、私なんかは文章が随分書きやすくなりました。私がチョムスキーの名を最初に目にしたのも、たしか本多さんの文章の本からであったと思います。
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