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■2004/09/14 (火) 16:47:25 大江健三郎さん 今年の春から朝日新聞朝刊では丸谷才一・梅原猛・大江健三郎といった人たちの文章をそれぞれ月一回ずつ掲載している。最近は文学作品をほとんど読まない酔流亭にはこれはありがたい。日頃の読書不足の補いをこれでつけているようなものだ。 で、今朝は大江健三郎さんの文章が載った。 その後半で、先日の中国でのサッカー「反日」騒ぎに対して石原都知事が「中国人は民度が低い」と発言したことを大江さんは批判して、「民度という言葉は、民俗学者柳田国男が、その全著作に一度も使っていないことでもわかる、差別的な表現です」と書いている。 文章全体の趣旨には酔流亭は賛成である。酔流亭も8月25日の日記で石原発言を批判した。ただ、大江さんの書き方には、ちょっとひっかかる。「柳田国男が使っていないことでもわかる」という言い方はやや権威主義的ではないだろうか。 えらい学者でも頓珍漢を言うことはある。いや独創的な学問をした人ほどそれは避けられない。だから「○○がこう書いているから(あるいは書いていないから)こうだ」ということは言わないほうがよいと思う。大江さんが民度という言葉のどこに問題があるのかを説明した上で「だから柳田国男だって使っていないでしょう」と書いてくれたのなら抵抗は無いのであるが。 大江さんが『9条の会』などを通じて護憲と平和のため奮闘していることを立派だと思う。しかし、この人、ちょっと権威に弱いのかなあと感じることもたまにある。東大在学中に芥川賞を受けたとき「芥川賞をとったら作家、とれなかったら東大教授になろうと思っていた」と語ったそうである。文士になろうが学者になろうが自由だが、どうして芥川賞と東京大学にこだわったのだろうか。文学も学問もそういうものではないだろう。まあ若い頃の、それに受賞して上気していたであろうときの発言をつつくのも酷かと思うけど。 しかし多少の批判はあっても護憲のためには有名・無名を問わず協力していきたいですね
by suiryutei
| 2004-09-14 23:16
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