新人事制度 大阪での報告①~③
記事ランキング
最新の記事
タグ
労働(124)
最新のコメント
カテゴリ
最新のトラックバック
以前の記事
2025年 04月 2025年 03月 2025年 02月 2025年 01月 2024年 12月 2024年 11月 2024年 10月 2024年 09月 2024年 08月 2024年 07月 more... ブログジャンル
画像一覧
検索
|
昨夜9時前後だったろうか。仕事帰りに我孫子駅で成田線を待っていて、ふと空を見上げると、月が素晴らしかった。ほぼ満月。その前の晩はかなり激しい雨が降ったので空気が澄んでいたからだろう。こんな見事な月は年にそう何度も観られないと思った。帰宅してカレンダーを見て、この夜が「八十八夜」であることを知った。 一夜明けて、今日、3日は憲法記念日だ。酔流亭が住む我孫子市では、毎年この日に憲法をテーマにした講演会が行われる。今年の講師は西田勝氏。たしか法政大学の教授で、平和の問題について研究をされている方である。ちょっと心が動くのであるけれど、酔流亭は夜から出勤だから参加は見合わせるほかない。 この前も日記に書いたけれど、連休はたいてい勤務なのだ。ただ、10年ほども前に、たまたま勤務の休みと3日がかさなり、そのときに一度だけ講演を聴きに行ったことがある。 その年の講師は評論家・佐高信氏であった。石橋湛山の話をされたのを憶えている。当時、佐高さんは湛山の伝記めいた読み物を雑誌に連載していた最中であったらしい。 気骨ある政治家・ジャーナリストとして石橋湛山の名は酔流亭も以前から知っていたが、彼の生涯の詳しいことはそれまで知らなかったし、著作も読んでいない。しかし、佐高さんのその日の話を聴いたことがきっかけで、しばらくして単行本となった佐高さんの連載(『孤高を恐れず』)を読むと、湛山というのは偉い人である。岩波文庫から『石橋湛山評論集』も出ているので、これも読んでみる。ますます好きになった。文章に気品がある。たとえば戦前の有名な論説『一切を棄つるの覚悟』など、その題名からして潔いではないか。 ここで湛山が「棄てろ」と言っているのは、戦前の日本が持っていた植民地の一切である。 「朝鮮・台湾・樺太も棄てる覚悟をしろ、支那や、シベリアに対する干渉は、もちろんやめろ。これ実に対太平洋会議策の根本なり・・・」(『大日本主義の幻想』)。 そして湛山は植民地経営によるよりも通商によって国を栄えさせることができると主張する。「小日本主義」と称される湛山のこの考えが、理想的な形ではないにしても或る程度実現したのが戦後の日本の歩みであろう。 戦後の日本は、憲法9条が自国内からの軍備拡張の欲求を抑え、またアメリカからする軍事協力の要求に対する盾ともなった。それが軽武装・通商国家としての繁栄をもたらしたのである。 もっとも、この「繁栄」は、朝鮮やベトナムでの戦争の特需が追い風になったという経緯があり、これらの戦争で日本はアメリカに基地を提供して加担してきたわけだから、憲法9条の理想にしんじつ忠実であったとは言えぬ。平和国家として胸をはりきれぬものが残る。 しかし、そうであっても、戦場に軍隊を派遣して殺戮に直接手を染めることはなかったし、武器輸出など「死の商人」としてふるまうこともなかった。くりかえすが、憲法9条の存在がそれを防いできたのだ。 憲法を完全には活かしきれてこなかったことに痛みを覚えつつも、それが果たしてきた優れた役割を胸に刻んでおきたい。石橋湛山の思想の先見性は改めて評価されてよい。 石橋湛山については、酔流亭にはもうひとつ嬉しい縁がある。 二年前の夏。 『靖国神社廃止の義 難きを忍んで敢て提言す』という湛山の文章(敗戦直後の45年10月に書かれたもの)のことにこのブログで言及したことがある(05年7月2日)。「石橋湛山」で検索していたsakuraasakoさんがこれを目に留めてくれたのだ。そこからお互いのブログにコメントを入れ合うようになったが、ブログ仲間の佐平次さんや夢八さんがいつのまにかasakoさんのコメント欄の常連になっている。すこし遅れて髭彦さんも加わった。 それが縁で、この人たちとついにオフ会をやるようになったのである。asakoさんは現在はブログを休止されているけれど、オフ会は現在も続き、参加者が増えてきている。 このオフ会を、私たちはよく「月見の会」になぞらえる。asakoさんは遠いところ(四国にお住いだ)にいるので会うことはかなわないが、遠く離れていても、見る月は同じだからである。昨夜の八十八夜の月は、四国の空も照らしていたろうか。 関連記事として05年5月3日のブログを。
by suiryutei
| 2007-05-03 10:22
| ニュース・評論
|
Comments(8)
![]()
今日はなかなかの名文でありました。
0
![]()
こんばんは。
夢八さんにまったく同感です。 お忙しい中、よくぞと、感嘆しきりです。 ぼくはすっかりこういう文章が書けなくなってしまったので、以前書いた拙い文章を60年目の憲法記念日に敢えて載せました。 お読みいただければ幸いです。
asakoさん、きっと読んでいると思いますよ。
「今日も」ではないでしょうか?夢八さん。
夢八さん、こんにちは。
ありがとうございます。それにしても、きれいな月でした。
髭彦さん、こんにちは。
いま髭彦さんのブログに行って読んできました。とても教えられました。アクセスしてくださる皆さん、髭彦ブログへも飛んで、是非ご一読ください。
いつのまにか、4月29日が「昭和の日」になったそうで・・・。数日前の新聞を読んでいて知りました。酔流亭さんの記事にある石橋湛山、わたしは名前しか知りませんでしたが、「昭和」の時代がどんなだったかをたぐるのにはかっこうの人物のようですね。
むーちょさん、こんばんは。
湛山は総理大臣にもなった人ですが、そのとき(1956年)自民党総裁選で破った相手が岸信介でした。現・安倍総理のお祖父さんです。同じ自民党といっても、あらゆる点で正反対の二人だったようです。 ところが湛山は病気のため総理在職二ヶ月ほどで辞任、そのあと岸内閣となり、強引なやり方で60年安保を成立させます。 安倍総理が誰の孫だっていいのですが、祖父の非民主的なところにまるで無批判らしいのは困ります。あのとき岸に反対した人々を「祖父の足をひっぱった邪悪な連中」くらいにしか思っていないような幼さを彼に感じますので。
|
ファン申請 |
||