新人事制度 大阪での報告①~③
最新の記事
タグ
労働(124)
辺野古(46) 郵便局(43) 文学(31) コロナウイルス(31) 韓国(19) 朝鮮半島(12) 映画(11) NHK朝ドラ(10) ひよっこ(9) 大西巨人(9) なつぞら(8) 神田まつや(8) 労働者文学(8) 神聖喜劇(7) 関西生コン労組(6) 狭山事件(6) ブレイディみかこ(6) ケン・ローチ(6) 蕪水亭(6) 最新のコメント
記事ランキング
カテゴリ
以前の記事
2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 more... ブログジャンル
画像一覧
検索
|
今朝の新聞のスポーツ欄の話題は、当然ながらイチローのランニングホームラン。昨日の大リーグ・オールスター戦でのもの。これはすごいですね。酔流亭は昨日の午前中は家にいたんだから、実況中継を観ていればよかった。残念。 さて日経新聞の文化欄(最終ページ)の『私の履歴書』は現在、長嶋茂雄氏の回想を連載中なのであるが、今朝の回では一塁ベース踏み忘れの“幻のホームラン”について語っているのは、たまたまのめぐり合わせというものか。 それは長嶋選手がデビューした年(1958年)のことであった。9月19日の対広島戦。1-1で迎えた5回裏。 打球は「ロケットみたいに吹っ飛んで左中間スタンドに到達していた」のだが、本人は打った瞬間、これはホームランではなく三塁打になると思い込んだらしい。それで全力疾走、そのあまり一塁ベースを踏み忘れた。 そうであったのか。酔流亭は今まで、長嶋氏はオッチョコチョイというか天真爛漫だから、それでホームランを打ってゆっくりランニングしているときにウッカリ一塁を踏み忘れたとばかり思っていた。三塁目指して全力疾走していたのなら、そりゃ勢い余って一塁を踏みそこなうこともたまにはあるのだろう。長嶋氏の回想によれば、「その時、藤井一塁手の『あっ』と言う声が聞こえたが、そんなもの、格好悪くて戻るわけにはいかない」ということであったそうだ。 かくて“幻のホームラン”は、結果は「投ゴロ」と記録されることになった。昨日のイチロー選手の場合は、二塁打か三塁打のつもりで走っているうちに、あれよあれよと本塁まで駆け抜けてしまったのだろうか。
by suiryutei
| 2007-07-12 15:32
| スポーツ
|
Comments(6)
Commented
by
夢鳥
at 2007-07-12 20:39
x
野球ネタでひとつ.. 本日の朝日新聞朝刊には、別刷りで高校野球特集がついています。東京版のそれを開いてビックリ..デカデカと写真付きで東京都高校野球連盟・森田郁朗理事長のご挨拶・・とあるではないですか..?まぎれもなく、森田(旧姓・木住野)先生ではありませんか!!ボクの卒業の時の担任、さらには親子2代の恩師であります。
5月のスポーツ推薦の騒動の時、盛んに「森田理事長」って出てきたのは先生だったんですね..ホントに驚き!!
0
Commented
by
suiryutei at 2007-07-13 20:17
夢鳥さん、こんばんは。
おや、木住野先生・・・顔が思い浮かばない。しかし、親子二代にわたっての恩師ですか。私の在学中は、三学年上に兄がいたので兄弟ともにお世話になった先生は何人もいますが、親子二代というのはまた格別ですね。 今年の西東京大会、桐朋はどこまで頑張れるかな?
Commented
by
夢鳥
at 2007-07-15 00:31
x
過去、準決勝が1回、ベスト8が2回。
最初の躍進は、王監督が早実でピッチャーやっていたころです。桐朋を破った明治が、そのまま決勝で早実を破り、春夏連覇の夢を断たれた王さんはプロ入りを決断します。40年に当時巨人の王さんが桐朋を訪れて軽く打ったら、打球がプール越して行ったそうです。 そして惜しかったのがボク達の代。野球部13人(投手は1人)、ノーシードで7-5の逆転勝ちから始まり、あれよあれよの準決勝進出でした。翌年がベスト8、ただし、この年の西東京代表・桜美林が全国制覇sましたから、本当に甲子園に出る力があったと思います。 記憶に新しいのが、21世紀枠騒動。下馬評ではNo1候補でしたから、朝から食堂が会見会場として設営され報道陣がわんさか構えていました。ところがだめだと分かった瞬間、報道陣の立ち去るのが早いこと、早いこと..急きょ、愚息の全国中学の出場激励会に変更になり、校長と愚息と担任の3人で「君は頑張ってください..」と励まされたとか..
Commented
by
suiryutei at 2007-07-15 16:11
準決勝に進んだ年のことはよく憶えています。私もまだ卒業して何年もたっていなかったときでしたから。75年ごろではなかったですか(ああ、もう30年以上前だ)。たしか国学院久我山とあたって敗れたんでしたよね。東京都の大会が東と西に別れたばかりの頃だったように記憶します。
このあいだの21世紀枠候補のときは、新聞のスポーツ欄に我が母校の名が出ているのにビックリしたものです。でも、そのとき母校にはご子息というもうひとつの“玉”(変な表現で失礼)があって、よかった
横レス失礼します。
桜美林が全国優勝した年なら1976年です。 当時エースだった松本投手は明治大で野球を続け、 現在は千葉経済大付属の監督として甲子園に顔を出してます。 早稲田大学野球部3番バッターの松本外野手はご長男ですね。 松本監督は以前は埼玉栄の監督として甲子園へ。 その前は花巻にある富士大や盛岡の盛岡大の指導者として 岩手でその指導手腕を振るっていました。 行った先々で甲子園出場を果たすってのもすごいですよね。 ちなみに1976年は私が高校1年の時。 わが校も岩手大会でBEST4に残り、甲子園への期待で大騒ぎしました。 ちなみに桐朋が21世紀枠候補になった時も、結局選ばれたのは確か岩手の一関一高。 こじつけですが(^^; 何やら縁を感じます(笑)
Commented
by
suiryutei at 2007-07-18 22:52
風屋さん、こんばんは。
ご子息の奮闘に、私も遠くからですが、拍手を贈ります。 ああ、76年でしたか。では、その年はお互いに母校がBEST4まで行ったのですね。 我が母校は、なまじシードなんかされて有望視された年は、一度勝ったくらいで敗退してしまうようです。春に21世紀枠騒動があった年の夏も、そうじゃなかったかな。ノーシードの年のほうが、一回勝つごとに調子を出していくような・・・。さて今年はどうなるか。
|
ファン申請 |
||