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『戦後の終わり』(金子勝)と一緒に地元の図書館から借りたのが『イラク戦争 日本の運命 小泉の運命』という本だった。立花隆著、講談社。 三年前に出された本であり、主に02年から04年にかけて雑誌に発表された文章がまとめられている。第一章にあてられた北京大学での特別講義(01年11月に行われたもの)に出てくる「1940年体制」の話が、まず興味深い。戦争遂行のための総動員体制として作られたこの体制が、戦後改革においても解体されることなく生き残り、よくも悪くも戦後日本の枠組みとなったとするのである。 戦争遂行のための体制といえば、なんともイメージが悪いし、事実それは満州国建国(=大陸への侵略)に出自を持つ。満州でやった“国づくり”をモデルとして本国に持ち込まれたらしい。しかし、たとえば満鉄調査部に相当数のマルクス主義者くずれがいたことに象徴的なように、そこには社会主義的な要素も流れ込んでいた。だから、敗戦で軍国主義が除去されてしまえば、社会民主主義的政策をも取り込む軽武装・通商国家としての戦後日本の発展をもたらす枠組みともなりえたのだ。 じつは、若き日の立花氏が全身を挙げて闘った田中角栄の政治には、金権腐敗だけでなく、そうした面もあった。したがって、かまびすしい「構造改革」(本書執筆時点では小泉改革)に対する立花氏の思いには、アンビバレントなものがあるようだ。それはまさに「1940年体制」の破壊を目指すものなのであるから。しかし「弱肉強食」の新自由主義については立花氏ははっきり「ノー」と考えているようである。 二章、三章で当時の政局について触れたあと、四章以降はイラク戦争論となる。 04年の春に起きた「イラク人質事件」のことが思い出された。高遠菜穂子さん達3人の日本人が武装集団に囚われた事件である。紆余曲折を経て3人が無事解放されたのはいいとして、その直後に日本社会に渦巻いた、人質3人及びその家族へのバッシングはすさまじかった。しかし立花氏は持ち前の豊かな情報収集力をふまえて、明快にこう断じる(本書第7章、発表されたのは『月刊現代』04年6月号)。 「・・・私にいわせれば、これは基本的認識が根本からまちがっている。政府関係者もいろいろ走りまわったのかもしれないが、基本的には高遠さんは高遠さん自身が救ったのである。高遠さんがこれまでイラクでイラク人のためにしてきたこと(ストリート・チルドレンの保護など)の数々がイラク人に伝えられたとき、この人を殺してはならない、の声がイラク人の間で(おそらく犯行グループの中でも)自然にもちあがったのである。高遠さんがそのような人であることをイラク人に伝えたのも、政府ではない。高遠さんの仲間の人々がイラクでも、日本でも動いた」。 「・・・それに対して、日本政府の働きがいかに小さなものであったかは、三人が釈放されることを、政府が最後まで何ひとつ知らなかったということですぐにわかる」。 「・・・解放されたあとになって、政府は(外務省も小泉首相サイドも)いかに自分たちがさまざまの裏ルートを使って工作していたかを、週刊誌が飛びつきそうな面白い話に仕立てて、あちこちにタレ流したが、おそらく、そのほとんどが、こういう場合に雨後のタケノコのように出てくるさまざまの情報屋に金を巧みにだまし取られたヨタ話を合理化せんがためのストーリーだろう。そういうヨタ話をかき集めた週刊誌が三人の解放にかかった費用が何億円だの何十億円だのと書きたて、それを三人に請求しろなどと叫ぶ政治家、評論家があっちにもこっちにも出てくるにいたってはほとんど正気のサタとは思えない」(以上、241ページ~243ページから引用)。 裏の情報にも充分に通じた、ジャーナリズムの申し子のような人が言うのだから、まことに説得力がある。当時、酔流亭は開設してまだ日の浅いこの日記(そのときはまだブログ化しておらず、「さるさる日記」というレンタル日記に書いていた。このレンタル日記では、某評論家が連日、高遠さん達を罵倒する記事を書いていたものだ)に、新聞記事やTVニュースからのわずかな情報だけを頼りにバッシングへの反論めいたことを書いていたが、『月刊現代』に載った立花さんのこの文章にどれだけ励まされたことか。 さらに書いておきたいのは、立花氏が高遠さんのホームページにも目を通して、イラクに人々の役に立ちたいという彼女の思いを正面から受け止めていることだ。高遠さんの父親くらいの世代になる、この“知の巨人”とも称される大家が、相手の真情をこのように汲み取れるみずみずしい感受性を持ち続けていることに、酔流亭などはちょっと感動してしまう。 しかし本書から学ぶべき一番のことは、著者の歴史感覚のゆたかさではなかろうか。 第五章「イラク戦争の大儀を問う」では、第一次大戦後のシベリア出兵を引き合いに出して派兵の愚を説いているが、イラク戦争を批判する論者の中でも、シベリア出兵にまで言及したのは酔流亭が知るかぎりでは立花氏だけだ。そしてシベリアといえば日本人のほとんどはまずシベリア抑留のことを思い、敗戦間際のソ連の対日参戦に恨み骨髄となる。たしかにソ連のやったことは横暴だが、しかしその前段で、革命で生まれたばかりのソ連に日本はシベリア干渉という形で随分ひどいことをしたのである。これが相手に報復心理を根深いものとした。 歴史を視野に入れて見るのでなければ物事の本質はわからないし、目の前の相手の非を詰るだけでは報復の連鎖にはまってしまう。念のため言っておけば、戦後処理にあたってスターリンがロシア人の民族的報復心を煽り、利用したのも、もちろんやってはいけないこと。 本書の序章のタイトルが『歴史を見る眼』となっているのを、なるほどと思う。
by suiryutei
| 2007-08-20 21:55
| 文学・書評
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Comments(2)
3年前に私がブログを始めたきっかけも
この人質バッシングでした。
0
Commented
by
suiryutei at 2007-08-22 08:56
風屋さん、おはようございます。お誕生日おめでとうございました。
このバッシングのときは、日本の世の中は、いったいどうなってしまったんだろうと思ったものです。 立花隆さんは、「田中角栄の研究」はいいとして、「中核vs革マル」とか日本共産党の研究」なんかはなんかキワモノっぽい感じがして、それまであまり読んでいませんでした。『月刊現代』でのイラク問題についての論稿が出たころ、水俣病患者支援の運動をやっている知人と「立花隆って、こんなマトモな人だったの」「売り出したころは仕事を選んでられませんからね」なんて会話をした憶えがあります。
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