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この前の日曜の夜は、泊まり勤務の合間の「解放日」。夜は家で過ごすことができる。9時から映画『蝉しぐれ』のTV放映を視た。 劇場公開時(一昨年秋)には観ていない作品だが、まつわる想い出がふたつある。 ひとつは、三年前の初秋、庄内地方を旅したときのこと。鶴岡郊外にある史跡「松岡開墾場」を訪ねた。維新のあと失職した士族たちの授産施設として建てられ、養蚕などが行われた場所だが、その近くに『蝉しぐれ』のロケ地があった。海坂藩の下級士族が暮らす家のセットが作られていた。ダリアの白い花が咲き、桑畑が拡がり、彼方には月山が眺められる。庄内柿も実が色づいていた。素晴らしい風景だった。 もうひとつの想い出は、sakuraasakoさんがこの映画を公開当時に観て、その感想を『カマトト日記』に書いていらしたことである。ヒロインが木村佳乃なのは、配役としてどうかといったことを書いていらした気がする。あとはどんなことを書いていたか、改めて読んでみたいのだけれど、このブログは現在は閉じられている。 さて作品。 藤沢周平原作の映画化である。主人公・牧文四郎の父は少禄ながら人望ある人柄だったが、藩内の権力争いに巻き込まれて死罪になってしまう。その遺骸は、真夏の昼間に遺族に引き渡される。暑さで腐臭を放つ遺体。まだ十五歳の少年である文四郎は、大八車に載せた父の亡骸を郊外の組屋敷まで運んでいくのだけれど、腐臭に町の人々は顔をそむける。敵対した者に対しては、死体までも辱しめようとする権力者の非情さが浮き彫られる場面だ。 戊辰戦争のとき、最大の激戦地であった会津では、「朝敵」とされた東軍(会津藩側)の死者は埋葬することを禁じられ、野に置き捨てられた遺体はどんどん腐敗して、見るも無残な状態になったと伝えられる。酔流亭はそのエピソードを思い起こした。A級戦犯が祀られている靖国神社に総理大臣が参拝することをめぐって、「日本では死者を差別しない」「死ねばみなホトケ」などと、問題視する中国や韓国は執拗で偏狭、対する日本は寛大みたいなことを言う人がいるけれど、どうしてどうして、日本の権力者だって平気で死者を鞭打ってきたのである。 ともあれ、坂道にさしかかって大八車を引くのに立ち往生してしまった文四郎の前に、彼に淡い思いを寄せる隣家の少女・ふくがあらわれて、亡骸に合掌してから大八車を押すところは、映画後半の展開の伏線となる重要な場面で、ふくの思いがいじらしい。 その後半では、文四郎は凛々しい青年剣士に成長している(役者も少年から市川染五郎に替わる)。そして藩主の側室となっているふく(これも少女から木村佳乃へ)の危急を救うのである。原作を読んでいないので比較ができないのだけれど、殺陣のシーンはちょっと派手すぎるような印象を持った。敵役の剣士と文四郎とのあいだには因縁があるようだが、TV放映を視たかぎりでは、そのあたりは消化不良である。原作は長編らしいから、映画化の場合かなりの端折があるのはやむをえないのだろうけど。 心に残るのは、成人してからの二人の二度の出会いである。一度目は、世継ぎ争いに巻き込まれて殺されそうになるふくとその赤子を救ったとき。二度目は事件のあと長い歳月が流れてのちの最後の邂逅。酔流亭にはこの作品は純愛映画に思えた。だから華麗な殺陣は余計じゃなかったかという気がするのである。
by suiryutei
| 2007-08-30 15:11
| 映画・TV
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