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先週土曜から公開が始まった映画『エディット・ピアフ~愛の賛歌~』を観てきた。 酔流亭は音楽に対する関心は淡白なほうである。ピアフに限らず、興味のあるアーティストがいてもレコードやCDを買って聴くということはあまりしない。ただ、ラジオのFM放送を聴いていて、好きな歌が流れると、「ああ、いいなあ」と聴きほれてしまう。まずピアフは酔流亭にとってそういう歌い手の一番手であった。 だからピアフについては、シャルル・アズナブールやイブ・モンタンを可愛がり育てた人だということ、生い立ちは恵まれたものではなく、母親に捨てられ幼児の頃は娼館のようなところで育てられたことがある、ということを知っているくらいだ。そうそう、越路吹雪がピアフが唄うのを聴いてコンプレックスに打ちひしがれたなんていうエピソードは、ずっと後になってから知った。ピアフの名を初めて目にしたのも、中学のころ兄が持っていたアズナブールのLPレコードに付いていた解説を読んだときではなかったろうか。 そんな酔流亭にとって、この映画はピアフの全体像を知る上でのいい機会になると思った。妻を誘った。彼女は倉橋ルイ子さんのファンである。倉橋さんが歌うのはシャンソンではないけれど、あんなふうに心をこめて唄う歌い手を好むのであればピアフの歌が胸に響かないはずはない。実際、映画を観て妻は酔流亭以上に心を揺さぶられたようであった。 ![]() 歌うことだけが自分を支える拠りどころだった娘時代、絶頂期の増長、生涯の愛人であったプロボクサー、マルセル・セルダンとの出会いと飛行機事故による彼の突然の死。そして早過ぎる晩年・・・・晩年といっても、まだ40代だが、麻薬とリュウマチ、酒によって身体の衰えはひどいものであったらしい。しかし唄うことへの情熱は最後まで衰えなかったようだ。コップも持てないほど手はふるえ、歩くのもやっとのピアフが、オランピア劇場での最後の公演を行うのは死の一年前のこと。この場面は映画の終盤に配置されている。 印象に残る場面はいくつもあるが、たとえば戦後すぐニューヨークで公演しているときマレーネ・ディートリッヒに声をかけられるシーン。このときピアフもすでに世界の大スターなのだが、マレーネに対するピアフの表情が憬れのスターに逢った少女のようにキラキラ輝いて可愛らしい。実際のピアフも、こんな可愛い心根を持った女だったのだろう。 いっぽう、不満を覚えたのは第二次大戦中の時代がすっぽり飛んでいることだ。戦争中、パリはドイツ軍に占領されていたのだから、あの体験はかなり重要なことだと思うのだが。ウィキディペアでいま調べてみると、ピアフは表ではドイツの高官の前で歌ったりしながらも、裏ではレジスタンスに協力していたらしい。多くの人が彼女によって救われたという。 映画が終わって映画館のロビーに出ると、ピアフの二枚組CDを売っている。「買ってもいいよ」という妻の勧めもあって購入した。今もそのCDを聴きながらこの日記を書いている。 ■
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by suiryutei
| 2007-10-04 11:39
| 映画・TV
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Comments(15)
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先日まで加藤登紀子さんが書いた、ご主人との人生の本を読んでました。
近々拙ブログの記事にしようと思っているのですが、とてもいい本でした。 彼女がエディット・ピアフに憧れて東大生時代にシャンソンコンクールに出、 優勝したことが歌手への第一歩だったということは知ってましたので、 思わずレンタルで彼女のCDを借りてきて聴いてみました。 借りてきたCDに入っていた「リリー・マルレーン」が ディトリッヒを思わせて泣けてきます。 >ピアフは表ではドイツの高官の前で歌ったりしながらも、 >裏ではレジスタンスに協力していたらしい まるで映画「カサブランカ」のようですね。
風屋さん、こんばんは。
たしか、この映画の新聞広告にも、加藤登紀子さんのコメントが紹介されていました。加藤さんもピアフと同様、最愛の人を亡くしてしまったのですものね。 そして加藤登紀子さんというと、やはりsakuraasakoさんののことを思い出してしまいます。いつか、加藤さんとのことを書いていらした。 ![]()
suiryuteiさんともどもピアフの映画の話題。いつも仲良しね。
刺激されて、Edith Piaf の項目を百科辞典で見たら最後のコンサートでしょうね、(1962年12月)と書かれた大きめの写真がでていました。歌っているところです。47歳で亡くなったことは記憶していませんでしたが、この写真は一見、現在の私と同じくらいの年齢か?と思いました。そんなにも体が蝕まれていたということなのですね。TVで観た美空ひばりの最後のコンサートのことがオーヴァーラップしました。 「ばら色の人生」、「愛の賛歌」は彼女自身の作曲ですね。 私は若い頃、ピアフの「パダン、パダン...」という歌が好きでした。 ![]()
花巻きさんちにおじゃましておしゃべりしたつもりだったのだけど...
また、やっちゃった。毎度のことながら詰めの甘い Fouでした。 花まきさん、ここで読んでくださいね。
お久しぶりです。私もこの映画絶対観ようと思っています!
エディットの半生を描いた美輪明宏さんの舞台「愛の賛歌」を観たことがあり、大変感動したものでした。美輪さんはエディットそのものでした! 美輪さんが唄うエディットもいいけど、勿論本物も凄く好きです。酔流亭さんの記事を拝見して、きっと私も映画を観た後CDを握り締めているだろうな~と今から予感が・・。楽しみです♪
Fouさん、読みましたよ~。
この映画は、彼に誘われて行った映画の中ではイチバン良かったです。 過去、途中で席を立ってロビーで待っていたことも^^; この映画の中で主演のマリオン・コティヤールが晩年の老けメークをしていた年齢を頭の中で計算していたらまだ50歳前だったのでびっくりしましたけど、それは事実だったんですね。 劇中歌う「パダン・パダン」はとてもショッキングな・・・。 これから映画を観るかたのため、このくらいで。 Fouさんはこの映画、字幕なしで観られるんですよね。 すごいなぁ~。いいなぁ~。
酔流亭がシャンソンが好きで、花まきさんも
ピアフが好きになって、嬉しいですね。 20代前半の頃、高円寺にシャンソンフレールという喫茶スナック があって、そこは毎晩のように行って水割りとアズナブールで始めて ピアフで終わりにしていました。 銀座の博品館の近くに今でもあると思いますが、 鳩ぽっぽという経営者がシャンソン歌手で従業員も全員 シャンソン歌手のレストランバーで、全員が歌います。 30代から40代はよく通いました。 ゴルフと蕎麦にはまってすっかりシャンソンはお留守です。 ピアフ見たいけど、その頃の思い出が深いので 見れるかどうか。 ちなみに石井よしこさんの「パリの下でオムレツのにおいは流れる」 は愛読書で、すべてのオムレツ作りました。 ![]()
酔流亭さん
書き込みありがとうございました 事務局のコメントをアップしてから大大的に公表します これからもよろしくお願い致します
Fouさん、こんばんは。
私もよくやるんですよ。私の場合は、人のブログにコメント入れようとして、間違えて「花まき」の名で入れちゃうことがあります。同じパソコン使っているので。 「パダン、バダン・・・」、いま聴きながら書いています。映画の中でも歌われていました。あの「パダン、パダン、パダン・・・」というフレーズは耳に残りますね。
あっきさん、こんばんは。お酒の美味しい季節になりましたね(一年中、美味しいか)。
ピアフが幼い頃預けられていた娼館の女主人(ピアフの父方の祖母)の顔が誰かに似ているなあと思ったら、演じていた女優さんはシモーヌ・シニョレの娘だとのことです。イブ・モンタン夫人だったシニョレの娘がピアフの祖母を演じるとは! 歳月の流れを感じました。
花まきさん、お誘いした甲斐がありました。映画のあとの蕎麦屋もよかったですね。
夢八さん、こんばんは。
高円寺にシャンソンのかかる喫茶があったんですか。いいなあ。そこでシャンソンを聴きながら水割りを飲んでいた若き日の夢八さん、かっこよかったろうなあ。
iwapaiさん、こんばんは。
お返事ありがとうございます。事務局の皆さんにもよろしくお伝えください。
酔流亭サン。映画のお誘いをどうもありがとう。
蕎麦屋は、私が誘った蕎麦屋で正解だったでしょ? 前回感激した徳島の「鳴門金時」、今回もとても美味しかったです♪ なにしろ、徳島、だし^^; 夢八さん、私も若い頃、石井よし子さんが雑誌で紹介していたオムレツをよく作りましたよ。ジャガイモ入りのです。他にもいろいろあるんですね。
花まきさん、大正解です。
えっ、あれ徳島の・・・・。道理で、旨い!
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