新人事制度 大阪での報告①~③
最新の記事
タグ
労働(124)
辺野古(46) 郵便局(43) 文学(31) コロナウイルス(31) 韓国(19) 朝鮮半島(12) 映画(11) NHK朝ドラ(10) ひよっこ(9) 大西巨人(9) なつぞら(8) 神田まつや(8) 労働者文学(8) 神聖喜劇(7) 関西生コン労組(6) 狭山事件(6) ブレイディみかこ(6) ケン・ローチ(6) 蕪水亭(6) 最新のコメント
記事ランキング
カテゴリ
以前の記事
2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 more... ブログジャンル
画像一覧
検索
|
亡くなったYさんとは、深夜勤が導入される前は、泊まり番が一緒になると、明けで時々食事をしたものだ。Yさんが属していた班の班長さんは食べ歩きの好きな方だったので、酔流亭もそれに混ぜてもらった。 Yさんは酒を飲まない。だから、そのかわり、都内のちょっとウマイ店へお連れした。御徒町[双葉]のとんかつ、根岸[香味屋]のメンチカツ、銀座[煉瓦亭]のハヤシライス。人数を募って[池之端藪]で鴨鍋を囲んだこともあった。 そういうことができたのは、04年2月以前までの泊まり勤務は一晩が二日分の労働としてカウントされたからである。実際、夕方5時頃に就労し翌朝9時まで勤務するのだから、二日分の働きである。この長時間労働もきつかったけれど、朝、仕事が終われば、もうその夜はまた出勤しなくていい。それに明け番の翌日は週休か非番が振り当てられるのがほとんどだった。だから、身体の疲れはきつくても、気分としては解放される。仕事帰りにちょっと寄り道してもいいや、ということになる。 深夜勤の導入によって事態は一変してしまった。一晩の拘束時間こそ短くなったものの、朝、仕事を終えても夜また出勤しなくてはならない。もちろん深夜勤の連続が終わった日の明けはそこで「解放」されるわけだが、連続して徹夜労働をやったあとにどこか寄り道しようという元気は残っていない。勤務が終われば誰もが急いで帰るようになった。そして泊まりが続く場合はYさんのような遠距離通勤者ほど厳しいのは前回日記の後段ににコピーした記事を読んでいただければおわかりと思う。 職場からちょっと離れて、たまにではあれ一緒にメシを食う仲間がいれば、職場でイヤなことがあったとしてもいくらかはお互い慰めあえる。そういう時間が奪われる一方で、労働現場での人間関係はギスギスしたものになってきた。人員はどんどん減らされていく中で作業量はむしろ増えている。同僚が思い通り動いてくれないとイラつくようになる。仲間同士が相手に不満をぶつけるようになるのである。 いつか、労組の事務室にいて、おそらくは分会の役員をやっているのであろう若い組合員が「あんな動かない年寄り連中、さっさと辞めちまえばいいんだ! 組合だって事業あっての組合じゃないか」と、いかにも憤懣やるかたないといった口調でまくしたてているのを耳にしたことがある。労働組合の役員でさえ(みんながそうだというわけではないが)、こういう気分に囚われる、そういう職場になってしまった。病気を抱えていて、思い通りに身体が動かない人にとっては、針のムシロの上に座っているようなものだろう。 Yさんの顔を最後に見たのは、まだほんの数日前である。亡くなる前日の日曜も出勤していた。死は突然Yさんを襲ったのだ。その最期が苦痛の少ないものだったことを願わずにはおれない。
by suiryutei
| 2007-11-15 18:03
| ニュース・評論
|
Comments(4)
|
ファン申請 |
||