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歴史家・色川大吉さんの新著『若者が主役だったころ~わが60年代』(岩波書店)を読了した。1945年の敗戦からの自身のあゆみを辿る『昭和自分史』の三冊目。この本全体の感想については、また別に述べるおりがあるかもしれないが、今日はとりあえず、こんな記述が目に留まったことを書き留めておこう。 「服部之総のものには敬礼のしっぱなしだ。なぜ、この人からもっと多くのものを生前に学んでおかなかったのか。晩年、もっとも近くにいたのに、悔いても悔いきれない。服部さんの1949年前後の論文にはデーモンがある。なんというスパーク、ひらめきであろうか。そのたくましい構想力と理論、縦横のウィット、逆説、イロニーを駆使した歴史叙述にはあらためて瞠目する」(176ページ)。 このメモが書かれたのは1966年。そのころ色川さんは『近代国家の出発』という本の執筆準備をすすめていた。中央公論『日本の歴史』シリーズの第21巻にあたるもので、明治10年代の自由民権運動高揚期が色川さんの担当である。そこで維新史および自由民権運動研究の第一人者であった故・服部の著作に改めて目を通していたのだろう。それにしても「デーモンがある」とは、叙述にとってこれ以上の称賛はあるまい。 色川さんの前著『カチューシャの青春』(小学館 05年刊)の終章にも服部之総が登場する。1950年代なかば、演劇の世界から歴史研究者に戻った色川さんは服部が主宰する「日本近代史研究会」で働くことになったからである。 ところが、そこに登場する服部は色川さんによってかなり辛辣に描かれている。ケチで気難しい男だ。 つまり、こういうことだろう。 まだ無名の若者だった色川大吉を服部之総は大家然として、いいように使った。服部は01年、色川さんは25年の生まれだから親子ほど年齢はちがう。報酬も安かったようだ。そのことに色川さんは今でも腹を立てているのである。 同時に、歴史家としての服部の卓越した力量も充分承知している。そこで時に応じて前者の感情が噴き出したり、後者の認識を再確認することになるのだ。 ところで色川大吉氏の民衆史に対しては、従来のマルクス主義史学とちがうものを目指しているはずなのにマルクス主義離れが充分ではないのではないかという批判が以前からあるようだ。マルクス主義史家・服部之総に対する上に引用したような高い評価は、そうした批判の傍証とされるかもしれない。しかし、社会経済構成の分析がマルクス主義的方法でかなりのところまでなされたからこそ、民衆史はその達成の上に新たな分野を拓くことができたとも言いうるはずである。酔流亭などは、そう考えている。だから、上記引用には、我が意を得たりという思いがちょっとしている。 ※関連する過去ログとして、 ☆『網野善彦と服部之総』(2006年1月11日) ☆『講座派マルクス主義』(2006年6月10日)
by suiryutei
| 2008-03-14 23:15
| 文学・書評
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