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司馬遼太郎の『この国のかたち』を、必要があってところどころ拾い読みしている。 第81題目に『別国』という文章がある。文庫版(文春)では四冊目だ。昭和初期の10数年は、それまでの日本の歴史の中では異質で、あたかも別の国なってしまったような観があるというのが、そのタイトルの含意である。 ファシズムが支配していたのだから、酔流亭もあの時代はたしかに異質だったと思う。しかし司馬がこう書くのは正確だろうか。 「旧憲法的日本は、他の先進国と同様、三権(立法・行政・司法の三権)の分立によってなりたっていた」(73ページ)。 このあとのほうに「亡国への道は、昭和6年(1931年)から始まる」という文言があるから、ここで「旧憲法的日本」というのは憲法が発布された1889年から、その1931年までを指すと解してよいだろう。この時期の日本を、「他の先進国と同様・・・」と一行で言い切ってすませられるだろうか。 当時の先進国とは、アメリカやイギリス、フランス、ドイツあたりと解するのが常識的理解である(今日とあまり変わってないけど)。いずれも市民革命をへて共和制となっている(アメリカはイギリスからの独立戦争が市民革命を兼ねる。ドイツはすこし遅れたが第一次大戦後に帝政は崩壊する)。 これに対して、明治憲法は第一章に「大日本帝国憲法ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と謳う。ここにあるのは戦後憲法におけるような象徴としての天皇ではない。絶対的権力者としての天皇である。 しかし同時に、明治憲法というのは第一章から読んでいくと天皇制専制国家に見えるのだけれど、うしろから読んでいけば国民の権利のことも書いている。この憲法は、いわば二重構造になっているのだ。 じつは、この後者の面こそ憲法制定に先立つ明治10年代の自由民権運動の成果でもあった。あの運動の洗礼を受けたあとでは、明治の指導者たちといえど国民の権利をまったく無視してかかることは、もう出来なかったのである。 そして、この立憲主義的要素を、天皇専制の下にあっても最大限ふくらませようとしたのが美濃部達吉の『天皇機関説』であったろう。それは大正デモクラシーを追い風とした時代にあっては、専制に対する有効な抵抗となりえた。 ただ、ここで重要なことは、明治憲法は自由民権運動の勝利ではなく敗北の上に出てきたものだということである。二重構造といっても、立憲的要素は結局は専制的要素にねじふせられてしまっている。『天皇機関説』は、絶対主義的な天皇制の下では、やはり敗北するほかなかった。その歴史を知っている今日のわれわれが、「旧憲法的日本」を『天皇機関説』で説明する事は出来ない。天皇制と向き合うことを避けたことが司馬さんにとって躓きの石になっていないだろうか。 急いで付け加えておけば、司馬遼太郎は戦後憲法について否定的なことは一言も書いていない。すくなくとも酔流亭が目にした限りでは。 ここは、明治に対する愛慕から戦後日本の憎悪へとすすんだ江藤淳と違うところだし、「自由主義史観」の連中とも決定的に違う。彼は美濃部達吉や津田左右吉の流れにつらなるオールド・リベラリストなのだ。「自由主義史観」の藤岡某あたりは、美濃部や津田を狂信的に攻撃したほうの系譜だろう。 酔流亭は「司馬史観」には賛成しないけど、あの人のこと嫌いではない。コミュニズムを嫌う一方で、ファッショ的な動きが大きくなれば抵抗する人だったと思う。
by suiryutei
| 2008-03-29 23:15
| ニュース・評論
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Comments(2)
司馬遼太郎は、日露戦争まではよかった、あの戦争に勝ってから悪くなった。日比谷事件がその象徴、というようなことをどこかで書いていました。司馬遼は基本的に明治を明るく書いていますね。
最近、松本清張『小説東京帝国大学』を読みましたが、ここに書かれているのは暗い明治です。だんだんと絶対天皇制が強化されていき、その締めくくりが大逆事件です。 司馬遼は暗い昭和を批判したが、結局は、書かなかった。清張は書いた。司馬遼は好きですが、やはり、突っ込み方が浅いですね。だから批判されるのでしょう。
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suiryutei at 2008-03-31 09:43
きとらさん、おはようございます。
立花隆さんは『天皇と東大』で、司馬さんより踏み込んで天皇制のことを書いていますが、天皇制が果たしてきた役割を内心よく承知しつつ、それでもそれをはっきり書くことはやはり避けているフシがあります。 今日の象徴天皇制の下でさえ、そして司馬さんや立花さんのような良心的な人であってさえ、避けようとしてしまうところにまさに天皇制の魔術的なところがあると思います。 戦前の軍部の暴走については誰もが語りますが、「天皇の軍隊」であったからこそあれほど暴走したのだし、それを抑えられなかったわけですよね。
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