新人事制度 大阪での報告①~③
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昨日の日曜は勤務を終え帰宅したのが夜9時過ぎ。教育TVで『N響アワー』を視ながら(聴きながら)遅い夕食を摂った。ゴーヤ・チャンプルでビール。『N響アワー』の進行役が高橋美鈴アナウンサーではなくなったのがちょっとさみしいが、チョン・ミョンフンがタクトを振るブルックナーはなかなかよかった。 ビールから酒に切り替わる頃、TVの番組も10時からの『ETV特集』に替わった。この夜は大著『神聖喜劇』の作者、大西巨人さんを取り上げている。 番組の中の朗読では、俳優の西島秀俊さんが小説の主人公・東堂太郎に扮した。 その西島さんが作者にインタビューして、 「このごろ、出来なくなっている表現が増えてきたように思います」 という話題になると、91歳の老大家は、 「表現の自由が大事なんだ。世の中が満州事変の頃に似てきた」。 満州事変が起きたのは1931年。これが中国への侵略戦争の始まりで、これ以降、かつての日本は破滅への道を転げ落ちていく。 そして、この言葉が昨夜の酔流亭にはひどく印象に残った。というのも、その前々日(11日)、イラク戦争反対のビラ入れに有罪判決が出されたばかりだったからである。 04年1月、立川市の防衛庁宿舎に「自衛隊のイラク派兵反対!」というビラを各戸配布した3人は逮捕され、75日間も警察に留置場などに入れられた。ただのポスティングで二ヵ月半も拘留というのが異常だが、最高裁はこの警察の行き過ぎを咎めるどころか、被告の3人に罰金20万~10万円の有罪を確定したのである。 こと軍隊が絡むと、警察・検察は過剰かつ異常に反応し、裁判所までがかくも強権的になるなんて、まるで戦前と変わらぬではないか。ただし判決文は「私生活の平穏」という言葉を持ち出して、それを「表現の自由」より上に置いている。裁判官の頭の中は戦前と似たようなものでも、戦後ふうの言説を振り回してみせたところが、この判決のミソといえばまあミソであろうか。 それにしても、「平穏」という言葉を判決文に書きつけるとき、イラクの人々の「生活」のことは裁判官の頭にはちらりとでも浮かばなかったのだろうか。開戦以来、イラクでの民間人の死者はどんなに少なく見積もっても2万5千人を超えている(これはNGO「イラク・ボディーカウント」が新聞公表の数字を足して算出した“最低限”の数字。イラク保健省の06年11月の発表ではイラク人の死者15万人。65万人以上という報告もある)。 アメリカのイラク侵攻を支持し自衛隊を派兵した日本は、イラクの人々の「生活の平穏」を破壊する側にいるのである。それでよいのかを問う「表現の自由」を、あの戦争を支持する政府を頭に戴く我らはもっと大事にしなければなるまい。世の中に起きていることに目も耳も塞いだところに、本当の「私生活の平穏」は訪れないだろう。
by suiryutei
| 2008-04-14 10:31
| ニュース・評論
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Comments(11)
眠くてしょうがないのでビデオに代わりに見させておきました。
いつ報告を受けるかなあ。
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佐平次さん、こんばんは。
ちょうど佐平次さんがブログであの本を取り上げたばかりでしたね。NHKの「ETV特集」はなかなかいいです。トップは駄目でも現場には良心が残っている典型ではないでしょうか。 ![]()
酔流亭さん
こんにちは、昨日私もNHKチェックしていました (そのため、サラリーマンNEO見逃しましたが。。。) 「このごろ、出来なくなっている表現が増えてきたように思います」 流して観ていたのですが この言葉、本当に重い言葉だと思いました。 今回の「YASUKUNI」の問題にしても、権力者は真綿で絞めるように自由を奪っていくのですね
iwapaiさん、こんばんは。
あの時点では、もうかなり酔いがまわっていたので、私もいくらかボンヤリ視ていたのですが、あの言葉にはギクリとしました。 大西巨人氏は、文章が自分にはどうもしっくりこないのですが、その思想性というか、凄い人だと思います。 「靖国」の上映問題は、こんな状況にこの世の中はなってきたんだと思わされますね。 ![]()
YUKI-archさん、こんばんは。
以前、労組内の反主流派グループとしてビラ撒きをよくやっていましたから、このビラ入れ有罪判決は他人事ではありません。 就職したての1970年代には、職場の入り口や食堂で当たり前のことのようにビラ配りしていたのが、最近はやれなくなっています。経営側のガードが固くなっているし、労組主流派は経営側が嫌がることはやらないようになりました。 今回の最高裁判決で、そういう方向がますます強まるだろうなと思います。
>「私生活の平穏」という言葉を持ち出して、それを「表現の自由」より上に置いている。
絶対に等価値でなければならないものに軽重を付けたとき、社会が偏り始める事は古今東西の歴史が証明しています。 この記事は拙ブログの読者の皆様にも読んで頂きたいと思います。 TBしていただけませんでしょうか。
早速TBして頂き、ありがとうございました。
いつも郵便受けに入っているビラというと、家電製品などのゴミ処分、寿司やピザの出前、ポルノ、出会いサイト、派遣売春などの広告がほとんどです。稀に役所の広報や市会議員たちの活動報告がある程度ですから何が入っていようと気にならないのが普通ではないでしょうか。 捨てる手間以外に「生活の平穏」を脅かされる恐れはありませんよ。 >労組主流派は経営側が嫌がること 情けない経営者どもめ! そんな狭い了見だから市場ではアジア諸国に追い上げられ、労働搾取で僅かに残った収益は外国の投機資本に取られてしまうんですよ。
CBBさん(頭文字に略してしまいました)、こんばんは。
今朝、早い出勤だったので、TBするのを妻に頼んで家を出ました。挨拶が遅くなって申し訳ありません。 拙い文章ですが、声をかけていただけて嬉しいです。 ![]()
こんばんは。
「憲法の意味は実感されているか?」という文章に出会いました。伊東乾さんという方でわたしはお会いしたことはもちろん全く知らない方でした。 その中で、 >憲法は「国民が従わねばならないルール」ではなく、主権者である国民を守るために、国権にブレーキを掛けるべく設置されているものです。そんな「設置意図」を、子どもたちが学校で習う社会科で、どれだけきちんと実感しているでしょうか? なるほど「基本的人権」といった文言は習ってくるでしょう。テストで問われればそういう文字を書く。マルもつく。でも、国家が基本的人権を保障しなければならない、という切実さを、日本の子どもが、あるいはそのまま成長した大人が、どのように実感を持って身につけているでしょうか?少なくとも私自身は子どもの頃は全く無自覚でした。 という部分がありました。酔流亭さんも、同じように「憲法には国が守るべき事を書いてある」と言うことを書かれていたような記憶がよみがえりました。 自衛権、憲法遅まきながら考えなければと思っております。きっかけをくださった酔流亭さんに感謝しております。 変則勤務大変でしょうが、お体に気をつけて。
わらさん、こんばんは。
憲法は国家権力をしばるもの・・・これが立憲主義の基本と言われてますが、正直いうと私なんかも学生の頃そんなことはあまり考えていませんでした。 ぜんたいに法律なんかを軽んじる気分があったのでしょうね。 それが長い闘いの成果でもあるのだということを最近ようやくわかってきたような気がします。 お言葉ありがとうございます。
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