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新人事制度 大阪での報告①~③
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大病を患って夏のあいだ病院に入院していた知人が、退院して現在は自宅で静養している。その見舞いに行ってきた。知人は神奈川県相模原市の橋本に住んでいる。 新宿駅から京王線で調布駅まで行くと、ホームの向かいに橋本行きの急行電車が停まっていた。終点までは乗り換えて20分ほど。電車は多摩丘陵を縫うように走る。その丘陵の紅葉が見頃になっていて美しい。 多摩丘陵というのは、東京都から見ると多摩川の対岸になだらかに続く丘である。酔流亭が通っていた中学・高校は国立市にあったから、当時この丘陵を校舎の窓からよく眺めていたものだ。丘陵にあったハイキングコースはもう宅地化されてしまったと、その頃すでに言われていたものだし、実際いま車窓から眺めても住宅が並んでいるけれど、それでも樹木は多い。摘み取りはとっくに終わった梨畑が斜面に広がっていたりする。天気が良かったこともあり、ちょっとした遠足気分である。 知人は、橋本駅の改札口に迎えに出てくれている。訪ねるのは酔流亭を含めて3人。市民サークルの読書会で知り合った仲間だ。 橋本駅の周辺には高層マンションがいくつも建っている。知人の家も、そんなマンションの中にあった。途中、酒屋があったのでちょっと目をつけておいた。 酔流亭の心積もりとしては、病気療養中の人を見舞うのであるから、昼間から酒盛りにはならないだろうということがある。しかしまた、時刻は昼どきなのである。成り行きによっては「自分は飲めませんが皆さんはどうぞ」という話になるかもしれない。そのときはこの酒屋にひとっ走りしてもいいな、と思った。 しかし、それは余計な心配であった。というのは、奥様が手料理とともにビールと焼酎を用意されていたからだ。知人は大分の出身だから麦焼酎である。そのお湯割りが美味かった。奥様の料理も美味しい。さらに大皿に盛られた手作りの稲荷寿司を酔流亭は四つも平らげてしまった。一つにご飯いちぜん分くらい入っているから、すなわち満腹する。 知人は学生時代、思想史家の橋川文三のゼミで学んだ人である。橋川は没して大分たつけれど、姜尚中氏や中島岳志氏らによって再評価の気運が最近出ているらしい。本棚には、その橋川文三の著作を真ん中に置いて、思想書や歴史書がずらり並んでいる。藤沢周平、司馬遼太郎、それに平岩弓枝の小説なんかも。「『御宿かわせみ』は好きなんです」とおっしゃっていた。 ともあれ、思っていたよりずっと元気であったのが嬉しい。 帰途はJRで八王子に出ることにした。橋本から八王子までが近いのである。橋本は交通の要衝であって、横浜へ通じる路線もある。現在の鉄道路線も、過去に開けた交通路を辿って敷かれることが多いのだから、橋本は古くから人々の往来が盛んだったのだろう。 山間の農村では、つい最近まで農家の多くは蚕(かいこ)を飼っていた。繭玉を作るため蚕が吐き出す糸が生糸となり、絹になる。多摩地方の養蚕農家でひかれた生糸がまず八王子宿に集められ、橋本をへて横浜港へと向かい、海外に輸出されていく図が頭に浮かんだ。幕末開港後から明治にかけて、生糸は我が国の輸出の主力である。日本の「絹の道」であったのだろう。
by suiryutei
| 2008-11-22 09:52
| 身辺雑記・自然
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Comments(4)
>思想史家の橋川文三のゼミで学んだ人
実は私も夜学時代に、橋川さんの授業を受けたことがあります。懐かしい名前です。残念ながら授業のことは何も覚えていません。
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umeさん、おはようございます。
わあ、そうだったんですか! 世間はこんなふうにつながっているんですね。私は橋川文三の著作をじかに読んだことはないので詳しいことはわかりませんが、若い頃ナショナリズムに深くはまり込んだ上で、それを乗り越えていった人というイメージがあります。
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