新人事制度 大阪での報告①~③
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加藤周一さんが亡くなったことを知ったのは昨日(6日)の午後である。 現在ユニオンが争議をしながら自主営業を続けている京品ホテルの会議室で、東京ユニオン書記長の島崎さんの話が始まる前、「フォーラム色川」のスタッフが加藤さんのことを話している。「加藤周一がどうかしたの?」と尋ねると、朝刊に訃報が載っていたという。 戦後日本を代表する知識人だった加藤周一さんは5日午後2時、多臓器不全のため死去。89歳。 加藤さんが書いたもので酔流亭が最初に鮮烈な印象を受けたのは『戦争と知識人』という小論である。読んだのは20代の終わりごろだから、もう四半世紀ほども前のことだ。たしか『日本人とは何か』と題された薄い文庫本に収められていたのを読んだと記憶する。今朝、本棚を探してみたのだけれど、その本がみつからない。人に貸した覚えはないのに、どこへいってしまったのだろう。 だから、うろ覚えで書くけれど、1945年まで戦われた戦争のとき非協力を貫いた二人の文学者として永井荷風と石川淳の名を加藤さんは挙げていた。酔流亭がこの二人の文章に親しむようになったのは、それからである。 加藤さんご本人が書かれるものにも、以来、注目するようになった。朝日新聞で月一度連載され、今年の夏を最後に永遠に中断されてしまうことになったエッセイ『夕陽妄語』は、すでに終了した大岡信さんの『折々のうた』、今でもたまに載る吉田秀和さんの『音楽展望』とともに、いつも大切に読んできた。もっとも話題が古典芸術などに及ぶ回は、酔流亭には高尚すぎて、ちょっとついていけないこともあった。 酔流亭は音楽も門外漢だけれど、音楽はわからなくても吉田秀和さんの文章は、読んでいて、いい気持ちになる。あたかも上質のクラシック音楽を聴いているときのように。加藤さんの文章からはそういう気分にはならない。昨日の朝日新聞に浅田彰さんが「戦前・戦中の日本が情緒に流されたことへの反省から、加藤さんは徹底して論理的であろうとした」と書いているのと、それは関係があるのかもしれない。 上記のことは、もちろん加藤さんへの批判ではない。また吉田秀和さんの文章が論理的ではないと言っているのでもない。ただ、酔流亭は加藤さんの文章に接するときは読むこと自体を愉しむより何かを学び取りたいという気持ちが強いのだろう。 いま本棚から加藤さんの本を何冊か引っ張り出すとき、雑誌『すばる』が1988年4月に石川淳の逝去にあたって出した臨時増刊号も目に止まった。加藤さんがその孤高と反骨を敬慕すること深かったこの文士の葬儀では、大岡信さんが詩を捧げ、安部公房・加藤周一・武満徹・中村真一郎・丸谷才一の各氏が弔辞を詠んでいる。この中で、いまや生き残ったのは大岡信さんと丸谷才一さんだけになってしまった。寂しいことである。 ※酔流亭はよく加藤さんの著作から引用をしています。そんな過去ログをいくつかリンクしておきます。 ☆『石川淳の「マルスの歌」と加藤周一さん』(05年11月24日) ☆『言葉と事実~「労働貴族」の発想法』(07年12月8日) ■
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by suiryutei
| 2008-12-07 11:30
| ニュース・評論
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Trackback(2)
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Comments(11)
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タイトル : 訃報
なぜかこのところ訃報が多い。 先週知人の店に飲みに行った時にもその話から始まった。 「○○死んだんだって?」 「そうなんですよ。ひとりでアパートで死んでたって」 「あいつに最後に会ったのもこの店でだったなぁ。 確か××が死んだときで、その話をした覚えがある」 「そうですね。あれは葬儀の帰り寄ってくれたんですよ」 みたいな。 数日前には、私の実家のご近所さんで 神楽にもよく見に来られていた方が自宅前で車にはねられた。 3週間ほど前には、以前から旧知の社長さんが自死し、 その数日後にその会社の破産記事...... more ![]()
タイトル : 081206 日々歌ふ
―<加藤周一の死を悼みて> 恐れゐしこの日来たりて天空ゆつひに墜ちたり知の巨星の 時空をもジャンルも超えてものごとを巨人の深く解き飽かざりき 若き日に『日本文学史序説』を読みて知りたり巨人の知をば 肉声を聴きしは一度のみなれどその書を求め学びきたりぬ ぽつかりと知の天空に穴あくを誰ぞ埋めむ巨人亡き後 ミネルヴァの梟のごと夕陽に飛び立つ人の永久に立たざる (夕陽=せきやう) ... more
ご高齢を考えるといつかはと恐れていましたが、ついにその日がやってきてしまいました。
堀田善衛と並び僕が師として勝手に最も崇めていた人でした。 自立しなければなりません。
風屋さん、TBありがとうございます。風屋日記に拙ブログの記事のことも言及してくださいましたね。
自分の文章に加藤さんからの引用を何度もしていることに、訃報に接して改めて気づきました。
髭彦さん、TBありがとうございます。
30歳になるかならぬかの頃、岩波新書の『羊の歌』を持って一人で伊豆の温泉宿に行き、読み耽ったことがあったのを思い出しました。
受験生のとき、加藤周一さんといえば、大学入試に頻出(「夕陽妄語」)の人、という記憶があります。
難しいことを分かり易く語る人というイメージがあり、一昨年の 「復初の集い」(丸山眞男手帖の会)の講演(題は「丸山眞男の心理と論理」)でもやはり、丸山眞男の主要論文など、その執筆背景を踏まえて分かり易く語っていらっしゃったのを覚えています。
大使さん、おはようございます。
なるほど端正で論理的な文章だから、入試に頻出というのはわかりますね。 私が最後に読んだ本は鶴見俊輔さんとの対談『20世紀から』でした。図書館から借りたものですから、刊行されたのはもうだいぶ前だと思います。 丸山真男さんは難しいことをそのまま語るようなところがありますが、加藤さんは丸山さんの研究成果もふまえつつ、私たちになるべく分かり易く語ってくださった方ですね。
では、加藤周一と比べて、丸山眞男の文章は分かりにくいのか?
恐らく、そういうことではないと思うんですね。大体、丸山先生の扱っているテーマ自体が難しい。それを理解するのには、読み手にも知識が必要だし労力がいる。大変なのは致し方ない部分があると思うんです。もっと分かり易く書こうとしたら、倍以上の分量になってしまうでしょう。 加藤周一さんによる丸山眞男論文の解説は、丸山先生の言いたかったことをもうこれ以上削る部分が無いくらいのところまで削って、つまり要約して、それがまた見事なんですね。それは丸山先生の論文をきちんと理解しているからこそ出来る業だと思います。
大使さん、おはようございます。
丸山真男さんは大変な知的格闘をされた方だから、その格闘が安易に分かるわけがないのは当然で、読み手に怠惰は許されないのも当然です。 私の先のレスは決して丸山批判ではなく、丸山さんと加藤さんとは、結果として一種の「役割分担」ができていたのかな、というほどの感想です。加藤さんの『日本文学史序説』など、先行する丸山さんの日本政治思想史研究があればこそ、あのような叙述が可能だったのでしょう。
> 私の先のレスは決して丸山批判ではなく
ええ、分かっています。一連のコメントを、加藤周一、丸山眞男を読んだことが無い人が見ると誤解するかも、と思いましたので、生意気にもレスさせてもらいました(結果的には良い方向に議論が行ったのでは?)。 酔流亭さんの言われた「役割分担」という言葉、お二人の関係は正にそうだと思います。
大使さん、こんばんは。
ええ、いい方向に落ち着きましたね。これからもコメントよろしくおねがいします。 ところで天満敦子さんのクリスマス・コンサートに誘っていただいたのは去年の今ごろでしたね。あのコンサートはよかったなあ。 ![]()
去年の天満敦子さんのコンサート、たしか今頃でしたよね、良かったですよね。
そうそう、中野雄著の「丸山眞男 音楽の対話」(文春新書)に、丸山先生と天満さんとのエピソードが載っていて、また丸山眞男の思想を理解する上でも参考になる書なので、一読をおすすめ致します。 本日の午後10時からETVで加藤周一の特集をやるそうです。 花まきさんがおっしゃってた28日のコンサートは、酔流亭さんも行かれるのでしょうか?
コンサートの帰り寄った居酒屋もよかったですね。
丸山真男が音楽にも造詣の深かったのは聞いていましたが、天満さんとのエピソードもあるんですか。そういえば亡くなったあとの何かの会で天満さんが演奏したと、やはり大使さんから伺ったのを記憶しています。 加藤さんの番組、教えてくださって、ありがとう。視ます。 28日は泊り勤務なので残念ながら。
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