新人事制度 大阪での報告①~③
最新の記事
タグ
労働(77)
郵便局(27) 辺野古(21) 韓国(19) 朝鮮半島(11) 文学(9) なつぞら(8) NHK朝ドラ(6) 蕪水亭(5) ベネズエラ(4) 関西生コン(4) 関西生コン労組(4) 神田まつや(4) 台風19号(4) 慰安婦(3) 生活綴り方運動(3) 徴用工(3) 天皇(3) 労働者文学(3) ノレペ・ウリナラ(2) 最新のコメント
最新のトラックバック
記事ランキング
カテゴリ
以前の記事
2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 more... ブログジャンル
画像一覧
検索
|
秋が深まってきて、酒が美味くてしょうがない。 飛騨古川の[蕪水亭]がこの秋から、月に二日間だけ六本木に出店している。一昨日はそこで古川の銘酒[白真弓]のよく冷えたのを酌む。古川は街の真ん中に[蓬莱]を醸す<渡辺酒造>と[白真弓]の蒲酒造が軒を向かい合わせており、どちらも美味いのだが、先月は[蓬莱]を飲んだから、今回は[白真弓]を所望した。 下に貼り付けるのは先月の記事。 昨日は神田の蕎麦屋[まつや]で墨田のカッパさんとご一緒した。こちらでは[菊正宗]の熱燗をやった。暖簾を仕舞う時刻が近づいたころ、われわれの卓には肴としての鰊の棒煮が皿に二きれ残っていた。そこで〆にかけそばをたのみ、カッパさんとこの鰊を一きれずつ分け合う。この鰊が温かい蕎麦に合うのである。そういえば昨日は立冬。そろそろ温かい蕎麦が恋しくなる頃だ。 墨田のカッパさんに、こんなチラシをいただく。 この研究会は17日の日曜に一日かけて開催されるようだが、酔流亭は午後の神野直彦さんの講演だけでも聴きに行ってこようと思っている。 ▲
by suiryutei
| 2019-11-09 08:56
| 酒・蕎麦・食関係
|
Trackback
|
Comments(0)
旧友のOさんと、雨のため約束を一日くり延べて昨日会った。 午後4時、万世橋の袂で待ち合わせる。神田川に架かるこの橋を境として、秋葉原寄りは名うてのメイド喫茶街となるが、神田寄りには下町情緒がなお残っている。その下町情緒の残る神田須田町に暖簾を出す蕎麦屋[まつや]へ。 鰊の棒煮と、焼き鳥を塩でもらって、Oさんはサッポロ・ビール(ラベルに赤い星が描かれているやつ)、酔流亭は菊正宗の燗を手酌で飲み、お互いの近況を報告しあい世相を論じた。 そうして、頃合いをみて蕎麦掻きを注文した。 つかぬことだが先日、私は(中略)、大江健三郎と一緒に神田のそば屋で天ぷらそば(海老天二匹入)、わさび芋、それに、そばがきを二つ食って大いに満腹した。そばがきといふのは、私は子供の頃から何となく貧乏臭い気がして好きではなかったが、大江氏が食ひたいといふので、付き合って食ってみると、これがじつにウマかった。 上に写したのは小説家の安岡章太郎が雑誌『文藝』1974年2月号に寄せた文章。丸谷才一の名著『食通知ったかぶり』からの孫引きである。丸谷はこの文章を引用した後、自身は神田の[藪蕎麦]のほうに行った話を書いているのだが、上掲の安岡の文章に登場する「神田のそば屋」とは[藪]ではなく[まつや]である。[藪]の品書きには蕎麦掻きは無い。 さて[まつや]の蕎麦掻きは塗り物の湯桶に熱い湯を張り、そこに木の葉型の大きな蕎麦がきが浮かんでいる。安岡章太郎が書いたとおり「これがじつにウマかった」。 お運びの女性のことを蕎麦屋では「花番」と呼ぶ。いかにも素直そうで感じの良い娘さんがいた。Oさんが思わず見とれるので、その視線に気づいた彼女が 「何かご注文ですか?」 横合いから酔流亭が 「いや、ただ見とれていたんですよ」 彼女、はにかんでいた。 明治大学で平和運動に粉骨していたころ女子学生におおいにモテたOさんは永遠の青年である。 ▲
by suiryutei
| 2019-10-27 08:45
| 酒・蕎麦・食関係
|
Trackback
|
Comments(0)
飛騨古川の[蕪水亭]ご夫婦が今月も東京に出店をされた。一昨日と昨日の二日間、昼間だけの営業。 正午過ぎに伺った。カウンター席とテーブルが一つの店内は一杯の盛況である。[蕪水亭]なじみの人に混じって、初めて[蕪水亭]の味に触れた人はさぞビックリしたことだろう。どれも飛びきり美味しいのだから。 女将の修子さんが[蓬莱]の<亀の尾>を大きなグラスになみなみ注いでくださる。これが旨くて、ついつい進んでしまう。この秋一番の大酒となった。 では今日は二日酔いだろうって? いえいえ今朝の秋空のように爽やかな気分です。
▲
by suiryutei
| 2019-10-10 08:51
| 酒・蕎麦・食関係
|
Trackback
|
Comments(0)
六本木の真ん中に、飛騨の森を思わせる空間がつかのま出現した。 ![]() 飛騨古川の名旅館[蕪水亭]が、和製ハーブレストラン【ひだ森のめぐみ】と銘打って一昨日・昨日の二日間、昼だけ店を開いたのだ。東京ミッドタウン斜め向かいにあるビルの二階。 昨日の午後3時半ごろ訪ねた。普段は夜、バーをやっている店舗を借りての営業。揃いのTシャツを着た[蕪水亭]あるじ夫婦がいつもの笑顔で迎えてくれる。 時間が時間なので(ランチタイムが午後2時までで、その後ティータイムとなり5時閉店) 「酒、飲める?」 そう尋ねると女将さんが[蓬莱]純米吟醸の一升瓶をドーンと出してくれた。飛騨古川に泊まるときは朝から飲んでいるので、ティータイムだろうがこいつが飲まないわけないだろうと観念(?)してくださっていたか。 酒のあてには、薬草を用いての豆腐の小鉢を二つ、ご亭主が用意してくれる。 酒のチェイサーには冷えた薬草茶と葛の花のジュース。 よく冷えた酒がすすむ。 じき、友人の池田実さんがやってきた。6年前の大型連休のとき、大阪で開かれた郵便労働運動関係の集まりに一緒に参加したことがある。帰途、名古屋で新幹線から高山本線に乗り換え、二人で[蕪水亭]に立ち寄った。それ以来、池田さんもすっかり[蕪水亭]のファンになっている。 夏の終わりに、素晴らしいひとときを過ごすことができた。[蕪水亭]ご夫妻、ありがとうございました。 ▲
by suiryutei
| 2019-09-06 09:20
| 酒・蕎麦・食関係
|
Trackback
|
Comments(0)
松戸に[関やど]という古格な蕎麦屋がある。その店名からして、松戸が水戸街道沿いに古くから栄えた宿場町であったことを彷彿とさせる。むかし、江戸から北へ向かう旅人は江戸川を渡ったところでこの宿場町で一泊するなり、あるいは逆方向なら雨の続くときは足止めをくったりしたのだろう。江戸川を挟んで対岸が千住である。 さて昨日はその蕎麦屋[関やど]で墨田のカッパさん、Tさんと暑気払いをやった。お二人とも松戸市在住である。Tさんは一昨日のヤスクニキャンドル行動では日暮れてからのデモも最後まで貫徹されたという。お疲れさまでした。 なにしろ暑いからビールが美味い。アテに鰊の棒煮をたのむ。その鰊に墨田のカッパさんが感慨深げだ。 カッパさんは先月、国分一太郎と生活綴り方運動の研究会に出席するので山形県の東根市を訪ねた。研究会のあと、地元の人たちと[あらきそば]に行ったというのだ。最上川の中流にある有名な蕎麦屋で、鰊の棒煮はその[あらきそば]の名物でもある。 じつは酔流亭も15年前[あらきそば]を訪ねたことがある。そのときのことはこのブログに書いてあるから一部を引こう。 [あらきそば]の建物は築150年以上の民家である。蕎麦屋としての歴史も同じくらい古いらしい。出すものはもり蕎麦と鰊を煮たものだけ。あと酒もあるから酔流亭は鰊を肴にゆるゆると昼酒を愉しんだ。長方形の板箱に盛られて運ばれてきた蕎麦は黒っぽい太めのもの。 先週の木曜にIさんと神田[まつや]で飲んだときも鰊の棒煮を食べた。ずっと前、たまたま相席になった常連客に聞いたところでは、にしん蕎麦で有名な京都の老舗蕎麦屋の跡取りが[まつや]で修行していたことがあり、[まつや]が鰊を扱うのはその縁であるということであった(聞いた話なので正確かどうかは確認していません)。これが事実なら、北海道で獲れた鰊が、この場合は関西まで運ばれてあちらの名物料理になり、さらに東京にも伝わってきたわけである。 そんな物流の歴史に思いをはせつつ酒を飲み蕎麦をたぐった。夏の日が暮れていく。 15年前、2004年9月に[あらきそば]を訪ねたときのブログ記事全文はこちら。思えば、このブログも、もうずいぶん長く続いているなあ。 ▲
by suiryutei
| 2019-08-12 09:16
| 酒・蕎麦・食関係
|
Trackback
|
Comments(2)
昨夜は神田の蕎麦屋[まつや]で飲んだ。お相手してくれたのは友人のIさん。 6時に待ち合わせる。焼き鳥、鰊の棒煮、卵焼き。当然、酒がすすむ。 酔流亭より少し年長のIさんは高校生のとき学園闘争を経験する。そういう世代である。通っていたのは全国でも屈指の進学校だったが、Iさんは大学には進まないで働き出した。筋の通った生き方を貫いてきた人である。 世の中のことあれこれ、これまでの人生・・・色々と話が弾んだ。昨日の更新記事で紹介した、安倍政権に韓国への敵視政策をやめるよう求める声明にIさんも賛同していた。 蕎麦は太打ちを予約しておいた。卵焼きと太打ちの蕎麦はいま店の品書きには載っていないけれど、前もって頼んでおくとやってくれるのだ。そうして、時刻はいつのまにか8時を回っている。暖簾が仕舞われる時間である。 外に出ると夜空に半月が浮かんでいる。昨日は立秋だったが、まだ真夏の暑さだ。今年の十五夜は9月13日とのことだから、この月が満ちて欠け、そのつぎ満ちれば、もう中秋の月ということになる。 もうすぐではないか。
▲
by suiryutei
| 2019-08-09 09:23
| 酒・蕎麦・食関係
|
Trackback
|
Comments(0)
今日の朝日新聞朝刊掲載コラム【ことばサプリ】が「角打ち」という言葉の意味を説明しているのを読んで、国分寺市で育った子どもの頃を思い出した。 ![]() 「角打ち」とは、そのコラムが書いているように酒屋で立ち飲みすることだが、もちろん酔流亭が子どもの頃からそんなことやっていたわけではない。我が生家はJR中央線国分寺駅の北口からずっと続く商店街の、その外れに近いあたりで小さな菓子屋を営んでいた。道路を挟んで斜め向かいに酒屋があって、店内の隅で一升瓶から注がれた清酒を客が飲んでいる光景に憶えがあるのだ。 「角打ち」の角とは語源としては升の角から来ているそうだから、清酒が注がれるのが一合枡であったなら、より古典的。しかし、その酒屋はそこまでは徹底していなくて、コップになみなみと注いでいた。カウンターの上には大きなセルロイドの瓶が置かれ、串に刺したイカの燻製なんかが入っている。酒のアテである。そのイカ燻がたっぷり赤く着色してあるのがいかにも1960年代らしい。・・・このあたり、子どもにしてはよく観察していたでしょう。 もともとは九州の方言で、「打ち」のほうはなみなみ注がれた酒が波打つ様から来ている。東北では「もっきり」と言い、こちらはコップに溢れるほど注ぐ=「盛り切り」から来ている。そういえば石川淳の随筆に「モリキリ一杯の酒」という表現があったのをむかし読んだ記憶がある。 それにしても、今日では角打ちが出来る酒屋は滅多にない。そもそも街の酒屋というのが減ってしまった。都内では日暮里の駅前に一軒あるらしく、前から気になっているのだけれど、まだ入ったことがない。いっぽう、「角打ち風に」飲ませるスタイルの居酒屋が最近は出てきているようである。しかし、朝日新聞コラムにも書かれているように「酒屋で」飲むことに拘りたい思いが酔流亭などには抜きがたい。 関東では今日も梅雨空が続く。最高気温は23℃くらいにしか上がらないようで、5月頃の気温だという。こんな梅雨寒の日には昼間からでも一杯やりたいような気がするのだけれど・・・。 ▲
by suiryutei
| 2019-07-06 09:15
| 酒・蕎麦・食関係
|
Trackback
|
Comments(0)
昨日は大西巨人『神聖喜劇』の読書会に参加したのだが、懇親会にも出て、夜帰宅すると、嬉しい頂き物が届いた。 今が旬のさくらんぼ。それも一番の産地・山形のものである。 贈ってくださったのは墨田のカッパさんだ。彼とは昼間『神聖喜劇』読書会でも一緒だったのだが、こんな手はずを整えていたとはその場では何も言わなかった。驚かせ、かつ喜ばせてやろうという心遣いであろう。ありがとうございます。 カッパさんは生活綴り方運動、その実践者であった国分一太郎の研究者でもある。この運動は山形県を中心に展開された。さくらんぼは、そのつながりである。 口に入れると、上品な甘さの中にいくらかの酸っぱ味があって、なんとも美味い。 戦前の天皇制ファシズム下での北方の若き教師たちの苦闘に思いをはせつつ、大事に味わう。そういえば国分一太郎(1911年生まれ)も『神聖喜劇』の著者・大西巨人(1916年生まれ)も同じ時代をくぐった人である。 ▲
by suiryutei
| 2019-06-30 09:18
| 酒・蕎麦・食関係
|
Trackback
|
Comments(0)
今朝はコーヒーを普段よりちょっと多めに淹れた。 朝食のとき、トーストのあと、ガトーショコラを食べる。コーヒーによく合う。 先日、連れ合いが身内のケイちゃんと横浜に斉藤和義のコンサートを聴きに行った。そのときのお土産です。横浜の老舗[ホテル・ニューグランド]謹製。 包みを開くと、箱に6個入っている。 今朝はちょっと贅沢をしました。 ▲
by suiryutei
| 2019-06-12 08:50
| 酒・蕎麦・食関係
|
Trackback
|
Comments(2)
どうも影響を受けやすい性格のようで、この3月まで放送されていた朝ドラ『まんぷく』では終盤、カップヌードルを食べる場面がよくあったから、それを視た日のお昼はカップヌードルですませるということが時々あった。 それでいくと、これからしばらくはお昼はカレーが多くなるかもしれない。今のNHK朝ドラ『なつぞら』は今週から舞台が東京に移った。ヒロインの奥原なつ(広瀬すず)がアニメ作家を目指して北海道から上京し、新宿のパン屋、川村屋で世話になる。この川村屋が新宿中村屋をモデルにしているのは明らかであり、その名物はカレーライスだからだ。今週火曜日の放送だったかな、このカレー(カリー)の味がインド独立運動の闘士ラス・ビハリ・ボースによって伝えられたことがドラマの会話の中で紹介されていた。ちゃんと史実に沿っているようである。 ボースと新宿中村屋の縁については10数年前にも脚光を浴びたことがある。中島岳志氏の出世作『中村屋のボース』がそのころ出版されて話題になったからだ。いま調べてみたら、2005年、白水社刊。大佛次郎論壇賞などを受賞した。 当時ブログ仲間の間でも中島氏の本および新宿中村屋のカリーが評判になった。知的好奇心よりも食欲のほうが強い酔流亭などは『中村屋のボース』は今日にいたるまでまだ読んでいないくせに、カリーのほうは新宿の本店には行かなかったものの通勤途中の北千住に中村屋の支店があるので、そこに寄って食べたりしたものだ。 そのころのブログ記事を貼り付けておきます。 TVドラマの川村屋もそう描かれているが、実在の中村屋も若い芸術家を応援した。ロダンに師事した彫刻家・萩原守衛についての高村光太郎の詩に新宿中村屋が登場している。詩の中の「かあさん」とは相馬黒光で、ドラマで比嘉愛末が演じる川村屋マダムの祖母にあたるだろうか。 単純な子供荻原守衛の世界観がそこにあった
四月の夜ふけに肺がやぶけた。 ▲
by suiryutei
| 2019-05-25 07:55
| 酒・蕎麦・食関係
|
Trackback
|
Comments(3)
|
ファン申請 |
||