新人事制度 大阪での報告①~③
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9日の午前、首都圏ではTV朝日で『想画と綴り方ー戦争が奪った子どもたちの”心”』という番組が放送された。山形放送の制作。 それを録画しておいたのを昨夜ようやく視ることができた。いい番組であった。 この放送を教えてくれたのは墨田のカッパさんである。国分一太郎が1930年代に山形の寒村で取り組んだ生活綴り方運動が番組で紹介された。カッパさんは国分一太郎と生活綴り方運動についての研究者でもあるのだ。放送の中にカッパさんの姿が映っている場面がある。 それにしても国分一太郎とはえらい人だったのだなと思う。彼は目の前のことを具体的に書けと子どもたちに教える。具体的に書くためには正確に見なくてはならない。書くことは批評眼を育てるだろう。生活綴り方運動に取り組む教師たちを特高警察が共産主義者扱いして弾圧したのはとんでもないデッチ上げだけれども、書くという行為には世の中の矛盾を見抜くことに発展していくものが秘められているのだ。特高は本能的にそれを恐れたのだろう。 迂闊だったのは、せっかくカッパさんに事前に教えてもらっていながら、この放送があることをブログで紹介するのを怠っていたことだ。あの人この人にも視てほしかったのだが、後の祭り。マスメディアでもあまり宣伝されていなかったように思う。 近く再放送があればいいのだが。
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by suiryutei
| 2019-02-12 09:20
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昨日の予報より早く、朝から雪が降り出している。都心も大雪になるかもしれないとのことだ。今日も明日も都心に出かける予定の酔流亭としては憂鬱なことである。 でも今朝は面白いこともあった。 NHK朝ドラ『まんぷく』では今、ヒロイン夫婦(演じるのは安藤サクラと長谷川博己)が即席ラーメンを完成させるべく試行錯誤をくり返している。スープは出来たが麺作りがうまくいかない。ヒロインの夫・萬平さん(即席ラーメンを発明した安藤百福がモデル)は高野豆腐から着想を得て、麵をいったん凍らせてみることにする。それで町内の氷屋さんに相談に行くのである。 その氷屋さんの向かいは酒屋さんで、その店頭になんとあの【蛸酒造】のポスターが貼ってある! こう書いたところで、7年前の朝ドラ『カーネーション』を視ていなかった人には「何のこっちゃ?」という話ですね。 『カーネーション』の舞台は大阪の岸和田。尾野真千子演じたヒロイン・糸子は酒豪であり、彼女がよく飲んでいた酒を醸していたのが岸和田の蔵元【蛸酒造】なのである。日本髪の女性と蛸をあしらった【蛸所蔵】のポスターがドラマではちらちら登場していた。もちろんこの酒造はドラマの中でだけの架空の存在なのであるが。 で、このポスターは図柄が奇抜だったし、視聴者の間で評判になったのでしょうね。NHK大阪の小道具係はそれで気をよくしたんだよ、きっと。その後『マッサン』(2015年)とか『べっぴん』(2016年)とか『わろてんか』(2017年)など関西が舞台になる朝ドラでたまにさりげなく登場するのだ。 『まんぷく』は、ヒロイン一家が東京に出てきた時期もあったけれど、今は大阪府の池田市に住んでいる。ドラマの制作もNHK大阪である。 だから、どこかで【蛸酒造】のポスターが出てこないかなと期待していたのだが、放送終了まで二ヶ月を切ったところで、とうとう登場した。 なお、肝心の即席ラーメン。いったん凍らせてみる手法はうまくいかなかったようだ。今日放送の回の終わりのほうで、福子が揚げていたてんぷらにヒントを得て、麵を油で揚げることを萬平は思いつく。来週の放送あたりで即席ラーメンは完成しそうである。 そうそう、今日の放送で、落語家の桂吉弥師匠が氷屋さんのあるじに扮していた。2007年秋から放送された朝ドラ『ちりとてちん』で、女流落語家を目指すヒロイン(演じていたのは貫地谷しほり)の兄弟子たちの一人を演っていましたね。 こういうことを書いていると、よほどの朝ドラおたくと思われてしまいそうだな・・・。 ▲
by suiryutei
| 2019-02-09 09:24
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一昨日の午前のこと。 9時半過ぎにラジオを点けたら、ちょうどイヴ・モンタンの『枯葉』が流れ出すところであった。 このシャンソンの名曲はあまりにポピュラーだから、秋ともなれば必ずどこかで耳にする。ところが、今年はこの日初めて聴いたのではないか。もう12月、秋は過ぎて冬が深まりつつあるというのに。 NHKFMの放送。その日はシャンソンを特集していたようで、『枯葉」のあとは今年亡くなったシャルル・アズナブールの歌声も流れた。曲の合間にナレーターが語ったところによれば、酔流亭がスイッチを入れる前の時間にはエディット・ピアフの曲もかかったようだ。聴きもらして惜しいことをした。もっともピアフなら二枚組のCDを持っているけれど。 モンタンもアズナブールもピアフに可愛がられて世に出た人だというのは皆さんご存じですね。 ところでイヴ・モンタンというと、『青い大きな海』という映画が酔流亭には思い出深い。高校生のころNHK教育TVで放映されたのを視た。酔流亭はいま63歳、あと二週間ちょっとで64歳になる。その高校時代だから、もう半世紀近く前の記憶だ。しかもなお鮮明なのである。 イタリアの漁村が舞台である。モンタンが扮するのは漁師で、ダイナマイトを海中で爆破させて、そのショックで浮いてくる魚を獲るやり方で漁をしている。普通の漁法より大量に獲れるけれど、危険だし乱獲にもなるから禁止されている漁法である。非合法であっても、家族を養うために体を張っている姿がたのもしく、酔流亭は自分の父親がちょっと弱々しい人だったから、モンタン演じる漁師に憧れのような感情を抱いた。 いまネットでこの映画を検索してみると、やはり少年時代にTV放映を視て感動したという人が酔流亭の他にもいるようである。 1959年の作品で、監督はジッロ・ポンティコルボ。のちにアルジェリア独立闘争を題材に傑作『アルジェの戦い』(1966年)を撮った人である。『青い大きな海』が彼の劇映画第一作ではなかろうか。 『アルジェの闘い』はやはり高校生のとき、これは当時高田馬場にあった名画座で観て、身体が震えるほど感動したものだ。 いま放送中のNHK朝ドラ『まんぷく』で、これはもう先月の放送だったろうか、ヒロイン夫婦が起業した会社がまだ塩作りに励んでいたころ、社員たちが工場の床下から出てきた手榴弾を使って魚を獲るエピソードがあった。戦後の米軍占領下のことだから、これが占領軍に「反乱計画か?」と疑われてしまう。 爆発を利用して魚を獲るのを視て『青い大きな海』とイヴ・モンタンを思い出した。 ▲
by suiryutei
| 2018-12-20 09:23
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映画『獄友』の上映会が昨日(9日)松戸市民劇場で行われた。このブログによくコメントを寄せてくださる墨田のカッパさん、ユナイテッド争議支援などでよくご一緒するTさんと誘い合わせて観に行った。お二人とも松戸市在住である。 映画『獄友』については下に貼り付けるサイトを参照してください。 1939年生まれの石川一雄さんは来年80歳になるわけだ。狭山事件のことを酔流亭が知ったのは高校生のときだから1970年代初めである。当時は石川さんは石川青年と呼ばれていた。「無実の石川青年を取り戻そう!」と、酔流亭も学生の頃また全逓労組の青年部員だったころ集会やデモで叫んだものだ。 石川さんは冤罪が晴れないまま、1994年に仮釈放された。狭山事件が起きたのは1963年だから、なんと31年間に及ぶ獄中生活である。 映像で観る現在の石川さんは、表情がじつにいい。よき伴侶にも恵まれた。その石川早智子さんが会場にみえていて、映画上映のあと監督の金聖雄さんに壇上に呼ばれて挨拶をしてくださった。 タイトルが「獄友」となっているように、布川事件の杉山卓男さんと桜井昌司さん、足利事件の菅家利和さん、袴田事件の袴田巌さんも映画に登場する。みな冤罪で無実なのに長く投獄されたのである。このうち布川事件と足利事件は再審で無罪が確定しているが、石川さんは上記したようにまだ再審に至っていない。石川さんは再審開始が決定するまではすぐ近くにあるご両親の墓にも行かないと決めている。何としても無罪を闘いとってからご両親に報告するとの思いなのだろう。 袴田さんは2014年に静岡地裁が再審開始を決定、釈放されたものの、今年6月、東京高裁はその地裁決定を取り消してしまった。最高検は非道にも袴田さんの再収監を求めている。 権力というのはひどいことをするし、それに何の反省もないのだ。 上映会のあとは、蕎麦の[関やど]に寄った。水戸街道の古くからの宿場町・松戸らしい落ち着いた佇まいの店である。 ▲
by suiryutei
| 2018-12-10 09:27
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昨夜7時ごろ外出先から帰宅し、夕食を始める前にこのブログへの「訪問状況」を見てみた。 アクセス数が普段より3~4割がた多い。 「おや、何がヒットしたのかな?」 すぐにはわからなかったが、夕方(午後4時20分~50分)二話ずつ再放送されている『カーネーション』(2011年秋~12年春に放送されたNHK朝ドラ)の昨日の分の録画を酒を飲みながら視ていて事情が呑み込めた。 http://www4.nhk.or.jp/P1939/ この朝ドラのヒロイン糸子のモデルとなったのは服飾家の小篠綾子。6ヶ月間の放送のうち5ヶ月間を尾野真千子が演じ、最晩年となる最後の1ヶ月だけは夏木マリが演じた。 現在すすんでいる再放送で、尾野真千子の5ヶ月間がいよいよ最終週に入ったのである。来週にはヒロイン役が切り替わる。 そうして昨日の再放送では、糸子の幼友だちの勘助がかつて戦地から精神を病んで帰ってきた理由が明かされる。それはあの戦争における日本の加害の問題に踏み込んだエピソードである。 6年前の放送のとき、そのことをこのブログに何度か書いた。昨日はその過去の記事にいつになくアクセスが来ていた。2本ほど下に再掲しておきます。 ★『「カーネーション」の脚本はすごい』(2012年2月28日更新記事) https://suyiryutei.exblog.jp/17881625/ NHK朝の連続ドラマ『カーネーション』の今日の放送をご覧になったであろうか。 ドラマの時代は1975年まで来た。ヒロイン小原糸子は50代。三人の娘のうち上の二人は独立して心斎橋と原宿にそれぞれ店を持っている。いっぽう、ヒロインを少女の頃から見守ってきた人たちには晩年が訪れている。 幼友達だった勘助の母・玉枝があと半年の命と聞き、入院先を足しげく見舞うようになったヒロインに、あるとき玉枝が病床から語りかける。 「待合でテレビを視ていたんや。日本軍が何をしたかっていう話やった。・・・勘助がああなったのはひどいことやられてだと思っていた。でも、違うんや。勘助がやったんや」。 思い出しつつ書いているので台詞そのままではないが、こういうことを玉枝は話したのである。 その勘助のエピソードについて、酔流亭は前にこう書いた。 ヒロインの幼友達の勘助も、1937年に赤紙が来て大陸に出征している。勘介は気が弱くて、ヒロインに「このヘタレが!」といつもあしらわれているのだけれども心の優しい若者であった。ところが二年後に除隊してドラマの舞台・岸和田に帰ってきた彼は、人前に出てくることができず、魂が抜けたよう。心配するヒロインに「心を失くしてしまった・・・」とつぶやく。 勘助に何が起きたのであろうか。ドラマは具体的には語らないから推測するしかないのだが、軍隊の中で苛められたというようなことだけではないのではないか。彼が出征した1937年といえば、暮れに南京で日本軍による住民虐殺事件が起きている(南京事件)。虐殺は南京市内でだけ起きたのではない。日本軍が進軍する途中でも引き起こされていた。勘助が「心を失くした」のは、そうした侵略戦争の実情を目の当たりにしたからではないのか。敗戦が迫るころ勘助はふたたび召集され、一月後には死んでしまう。(『TVドラマ「カーネーション」を推す』2012/0204) 酔流亭が述べた「推測」は間違っていなかったのだ。脚本家(渡辺あやさん)の見識に改めて敬意を持つ。『カーネーション』は、あの戦争における日本の加害の問題に踏み込んだ作品としても、永く私たちの記憶に残るだろう。 なお、ヒロインを尾野真千子さんが演じるのは今週いっぱいまでで、晩年が描かれるだろう三月の放送は夏木マリさんに代わる。オノマチちゃんのここまでの素晴らしい演技に心から拍手を贈りたい。 ★『勘助のエピソードに』(2012年5月26日更新記事) https://suyiryutei.exblog.jp/18343195/ 前にも書いたけれど、3月に放送の終わったNHK朝ドラ『カーネーション』を、今も時々DVDで視ている。最近視たのは、ヒロイン糸子の幼友達、勘助の二度目の召集と死の場面である。去年暮れの放送。彼は1930年代にいちど兵隊にとられて中国大陸へ行くのだが、二年後除隊したときは精神を病んで別人のようになって岸和田へ帰ってくる。 勘助が「心を失くしてしまった」理由がドラマの中で明かされるのは、ずっとのちになってから。しかし、その前に薄々気づいた視聴者はいたはずである。中国大陸で日本軍が行った非道・残虐行為に、おそらく上官の命令を拒むことができず厭々ながらも彼は加わってしまったのだ。 その勘助がまた召集される。戦場に出たところで使い物にならないだろう廃人を狩り出すところまで戦況は悪化してきたのだ。空襲が始まってヒロインたちの頭上に焼夷弾が降り注ぐようになるのは、そのあとすぐである。 さて出征の日、勘助は糸子の洋裁店の近くまで来て、窓から糸子の姿を見る。糸子は、例によって巻き舌でポンポンと縫い子たちを叱りつけている。この場面が美しいし、切ない。小さいときから男まさりの糸子と、対照的に気が弱くておとなしい勘助。彼が糸子を慕う想いは、愛とか恋とは違うだろう。紳士服の仕立職人と糸子が結婚するとき彼はべつに嫉妬の感情は表わさないのだから。もっと近い存在として彼女が慕わしいのだ。 しかし、今生の別れとなるに違いない日に、勘助は糸子の前に出ることができないのである。前の出征のとき大陸でやったことを思うと自分には彼女と会う資格がない・・・。 そして彼は一月もせずして死んでしまう。 この場面を視ていて、広島で被爆した詩人・栗原貞子さんの『ヒロシマというとき』という詩を酔流亭は思い出した。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ <ヒロシマ>といえば <ああ、ヒロシマ>とやさしくは 返ってこない アジアの国々の死者たちや無告の民が いっせいに犯されたものの怒りを 噴き出すのだ (略) <ヒロシマ>といえば <ああ、ヒロシマ>と やさしいこたえがかえって来るためには わたしたちは わたしたちの汚れた手を きよめねばならない TVというのは、基本的には体制側に都合のよい考え方を受け手に浸透させようとするものである。そのことはおさえておかなくてはならない。全体には最近いよいよひどくなっていると思う。ただ、そうした中にあっても、良心的な作り手が自分の思いを伝えようとする努力がある。『カーネーション』における勘助のエピソードはその優れたひとつとして記憶しておきたい。 ▲
by suiryutei
| 2018-10-05 09:17
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昨夜帰宅したのは10時半であった。 冷蔵庫を覗くと肉ジャガが残っていたので、それをアテに、例によって缶ビールをプシュッ! TVを点けるとNHKでは『歴史秘話ヒストリア』という番組が始まったところである。 http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/349.html この夜とりあげられていたのは水野勝成という戦国武将であった。「信長秀吉家康が愛した戦国ラストサムライ」と新聞の番組表に記してある。 水野・・・どこかで聞いた名前だなあと思いながらTVを視ていると、大阪夏の陣で後藤又兵衛と戦った武将である。ならば司馬遼太郎の『城塞』あたりで読んでいるはずだ。なお、酔流亭が後藤又兵衛のファンであることは前に書いたことがある。やはり司馬の『風神の門』における又兵衛など実に魅力的だ。 https://suyiryutei.exblog.jp/10713277/ ちょっと脇道にそれました。さてビールから冷酒に替わった頃には水野勝成の人物ヒストリーも終盤。彼の最後の出陣は島原の乱の鎮圧であったという。視ていて、段々いやな気持になってきた。 島原の乱には複雑な性格があったらしいが、蜂起した民衆に権力(幕府)が苛烈な弾圧をもって臨んだという事実は動かないだろう。原城に籠城した3万数千人は、内通者を除いて皆殺しにされたという説もある。 ところが、「戦国ラストサムライ」なる謳い文句からも察せられるように、番組は水野勝成ヨイショ一色なのである。番組の司会者・井上あさひアナウンサーのブログをいま覗いてみたら、「キャー、ステキ」とか「あこがれます」なんて言葉が躍っている。本心ですか? http://www.nhk.or.jp/osaka-blog/historia/301693.html 番組には水野家の末裔も出てきたから、色々気を使うことがあるのだろう。また、NHKの反動化を言うのも、何を今さらという気がする。しかし、もうすこし違う視点も出せないのだろうか。 ▲
by suiryutei
| 2018-07-19 09:55
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6月25日に放送されたTVドラマ『あにいもうと』を録画しておいて、昨夜ようやく視た。 http://www.tbs.co.jp/aniimouto/ 室生犀星の原作が書かれたのは1934年。ドラマの設定は現代である。登場人物の造形も原作とはいくらか違っているから、原作に忠実であれとこだわる人には不満があるかもしれないが、酔流亭はかなり満足した。 脚本は山田洋次である。今朝になってネットで調べてみると、1972年にもやはり山田洋次脚本でTVドラマ化されているという(過去、他にも何度かドラマ化されている)。このときは渥美清と倍賞千恵子が兄と妹を演じている。酔流亭が倍賞千恵子という女優さんに惹かれだしたのはその頃(1970年代初め)からだから、もしかしたらそのドラマを視ていた可能性があるけれど、記憶がもう曖昧。 その妹もんを、今回のドラマでは宮崎あおいが演じていた。兄の伊之助に扮したのは大泉洋。これ、どちらもよかった。 で、あおいちゃんのもんは長距離トラックの運転手である。乗務するトラックの車窓に赤いカーテンが備え付けられているのは、仕事の合間の僅かな休息時間に仮眠を摂るからであろう。あのカーテンは遮光のためだ。 郵便局で働いていた頃よく顔を合わせたOさんのことを思い出した。Oさんは郵便トラックの女性運転手だ。彼女が乗務するトラックにも赤いカーテンの用意があった。朝は早く、夜は遅くまで乗務していたから、途中、昼間に仮眠が摂れるよう、カーテンを付けていたのである。 https://suyiryutei.exblog.jp/22994997/ いっぽう、大泉洋の伊之助は大工である。ドラマの終盤、彼は父親から伝家の鑿を譲り受けて棟梁を継ぐ。これは原作には無い場面だ。原作では、そもそも父と息子は職業が違う。ところで我が家は先月、屋根の瓦の積み直しをやったのだが、その仕事をお願いした瓦屋さんは親方として4代目ということであった。なるほど建築の世界では、ああいう感じで代替わりしていくのかとドラマのあの場面を視て思った。 労働現場によく目配りされた場面を『男はつらいよ』シリーズでもしばしば目にしたものである。たとえば国鉄労働者の仕事ぶりを見事にうたいあげた濱口國男の詩『便所掃除』を、酔流亭は寅さん映画の何作目かによって知った。 https://iruka-sunflower.blog.so-net.ne.jp/2006-09-13 自動車運輸業と建築業は、今回の「時間外労働上限規制」の対象からも外されている(5年間の適用猶予)。過労死が多く、規制が必要な業種ほど対象外にされているところにも今回の「上限規制」の欺瞞が露呈されていよう。老大家と言われる年齢になっても山田洋次の時代を見る目に弛みがないことを喜ぶ。 ちょっとドラマの中身からは脱線した雑感になった。 ▲
by suiryutei
| 2018-07-06 10:09
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昨日は『伝送便』誌の来月号の再校作業があった。 5日前、初校をやった時点では原稿の集まりが悪く、果たしてページが埋まるか危惧されたのだが、そのあと届いた原稿がいくつかあって、蓋を開ければ反対に原稿が溢れることになった。 すると、今度は、どれを削るかということになる。編集する側としては嬉しい悩みではあるのだけれど。 後から届いた原稿には、22日に起きた大阪の地震の当日における郵便配達現場の報告もある。郵政で働く者の交流誌である『伝送便』にとって、こうした労働現場からの生の声こそ貴重だ。しかし、結果として、1ページぶん記事が余ってしまった。そうして酔流亭が用意しておいた原稿がぴったり1ページの長さなのであった。これは引っ込めるしかないですね。 それを下に貼り付けておきます。 『マルクス・エンゲルス』と『万引き家族』 六月は映画を二本みた(注。この原稿を書いた時点では『焼肉ドラゴン』はまだ観ていなかった)。岩波ホールに『マルクス・エンゲルス』(ラウル・ペック監督)を観に行ったときは、チケット売り場で郵産労ユニオンのIさんとバッタリ顔が合うなんてこともあった。 一八四〇年代の後半、二人のドイツ人、マルクスとエンゲルスが出会って意気投合し、あの『共産党宣言」を仕上げるまでが描かれる。つまりマルクス主義が今まさに形成されようとしているところだ。二人が飲み歩いてマルクス宅で朝を迎え、エンゲルスはピンピンしているのにマルクスは二日酔いでダウンしている場面なんか、酒好きの私には可笑しかった。 そのエンゲルスが実業家の長男として生まれたことは知っていたが、紡績業のエンゲルス工場というのがあんな大きな工場だったとは知らなかった。労働者階級の娘と恋に落ちるエンゲルスは自分の出自と思想の乖離に悩みもする。それだけなら家を飛び出しさえすればすむことだが、彼には貧窮の中で研究を続けるマルクスを財政的に支援するという使命もあるのである。映画の原題は『若きマルクス』であるのを邦題では『マルクス・エンゲルス』としたのは適切であったように思う。 もう一本、『万引き家族』(是枝裕和監督)の一家は働かないで万引きばかりしているのかと、映画を実際に観るまでは思い込んでいた。 しかし、男(リリー・フランキー)は建築作業現場で日雇いの仕事をしているし、女(安藤サクラ)はクリーニング店で働く。もっとも男は毎日現場に行っているようではなさそう。女もフルタイムではない・・・どころか経営状況の悪化を理由に勤務時間を短くされてしまう。そんな二人の乏しい賃金と老女(樹木希林)に支給される月六万円弱の年金では足りない分を万引きで補っているのだ。 男は仕事中に足の骨にヒビが入る怪我を負い、一か月くらい就労不能になるのに労災にならない。なぜ労災が認められなかったかの描写がないのはすこし不満だけれど、日雇い労働者には何だかんだ理由をつけて労災なんか適用したがらないというのが日本の労働現場の実情であろう。いっぽう女は、勤務時間短縮だけでは済まず、「時給の高い人から辞めてもらう」と雇止めされてしまう。 「時給が高い」ということは雇用されてきた期間が長いことを暗示するから、労働組合が目を光らせていれば労働契約法に照らしてもやすやすとは雇止めはされないはずだが、そうはなっていないのも日本の現実だ。 三人の子どもたちの表情がそれぞれにいい。いちばん幼い五歳の少女は実の両親に虐待されていた。見かねて一家が「拾った」のである。それは世間の目には誘拐と映る。映画の終わり、少女は両親に戻される。東京の目黒区でやはり五歳の少女が両親によって虐待死した事件がつい最近報道されたばかりだ。連れ戻された家庭で、冷たい目の母親に「ごめんなさい」をくりかえす場面に胸がつまった。 カンヌ映画祭のパルムドールといえば二年前のケン・ローチ『わたしは、ダニエル・ブレイク』を思い出す。そこに描かれたイギリスの現実に対して、あの国の人びとはコービンの労働党を押し出すことでNOの意思を明らかにしたように思われる。日本の私たちはどうであろうか。 ▲
by suiryutei
| 2018-06-28 08:49
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今月は映画づいていて、すでに『マルクス・エンゲルス』と『万引き家族』を観ているのだが、『焼肉ドラゴン』が22日から公開されると知って、観たくてたまらなくなった。9年前に舞台で上演された同作品をTVの中継録画で視て感銘を受けた記憶があるからだ。9年前の舞台中継については2009年8月26日のこのブログにごく簡単に書いている。 https://suyiryutei.exblog.jp/11796890/ 上のブログ記事から芝居に触れた部分を引用しておこう。 大坂万博(1970年)開催直前の大坂で「在日」の一家が経営する焼肉屋[ドラゴン]が舞台。冒頭、店の常連客がマッコリ酒を飲んでいる場面がある。15日に三鷹の焼肉屋で酔流亭も旧友たちとマッコリを飲んだ。15日の前にこの芝居を観ておいたら、あのときの酒の味わいはまた一段と深かったろう。すなわち、いい芝居であった。 焼肉屋[ドラゴン]の一家は済州島の出身だが、済州島では1948年に「4・3事件」というのが起きている。米軍の軍政下で島民が南北統一を求めて蜂起し、徹底的な弾圧がくわえられた事件である。詳しいことは酔流亭は知らないが、この事件で故郷を離れた・あるいは帰る故郷を失った人が「在日」の中には少なくないらしい。[ドラゴン]の初老の店主は戦争で片腕を失い、「4・3事件」で帰る故郷を失っている。 なんとも拙い「紹介」で、引用していて恥ずかしいが・・・。 映画のほうは昨日、観てきた。一家のうち、あるじと女将は韓国の俳優が演じ(ハン・ドンギュ、イム・ヒチョル)、3人の娘と一番下の中学生の男の子は日本の俳優が演じている(真木よう子、井上真央、桜庭ななみ、大江晋平)。 http://yakinikudragon.com/ 長女(真木よう子)のことをずっと好きだったのに、いったんは次女(井上真央)と結婚し、しかし結局長女と一緒になる男を演じた大泉洋を含めて、役者の演技がいずれも素晴らしい。演出も軽快。胸がつまるのは、一番下の男の子が学校で在日であることを理由にいじめを受け、自殺してしまうことだ。「日本で生きていくのだから、日本人の中で教育を受けたほうがいい」と、日本人の生徒ばかりの私立中学に進学させたことが仇になってしまった。 酔流亭が通っていた私立中学の上の学年に在日の人がいたのを思い出した。水泳部の先輩であったから知っているのである。彼は水泳選手として実績があったし(地区大会の自由形短距離で優勝していた)、勉強の成績もよく、当時あの人を差別と結び付けて考えたことはなかったが、つらい思いをしたこともあったのだろうな。映画の時代(1969年~1971年)と同じ頃のことだ。 焼肉屋[ドラゴン]がある、バラックの並ぶ町は飛行場と隣接していて(なにか沖縄の普天間飛行場を連想した)、そこは国有地だからと立ち退きを迫られている。しかし、あるじの記憶では、「醤油屋の佐藤さん」から金を払って買った土地なのだ。おそらく敗戦後のどさくさに、帰るくにをうしなった在日の人びとの苦境につけこんで騙した日本人がいたのだろう。 大泉洋が演じる男が「北に行く!」と言い出すのが、ちょっと唐突な感があった。その前にもうすこし伏線が張られていてもよかったのではないかと思う。しかし、共和国・韓国・日本と、立ち退いたあと一家が離散していくところに、在日の人たちの置かれている状況が浮かび上がる。そのことに責任があるのは日本なのである。 『万引き家族』の評判にやや隠れてしまう時期の公開になったが、こちらも見事な作品である。多くの人に観られることをねがう。 ▲
by suiryutei
| 2018-06-27 10:10
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7年前のNHK朝ドラ『カーネーション』(2011年10月~翌3月放送)の再放送が続いている。午後4時20分から30分間である。つまり2話づつ放送されているから、話が展開するスピードは速い。ただ、何しろハンパな時間帯だし再放送だしで、何かあると中断する。7月は大相撲があるし8月は甲子園の実況が入るから、結局、半年くらいかけての放送になるのだろうな。 で、再放送を視て、あのドラマについて書いた酔流亭の記事まで読んでくださる方が一定数いるようだ。このブログの左のほうを下がっていくと<記事ランキング>というのが出てきて、これまで書いた記事のうちアクセスの多い順に10本が貼り付けられている。そのトップが『勘助のエピソードに~TVドラマ「カーネーション」再論』である。2012年5月26日に書いた記事だ。 https://suyiryutei.exblog.jp/18343195/ 勘助というのはヒロイン糸子(尾野真千子)の幼なじみ。それがどういうエピソードなのかは、上に貼り付けた当の記事を読んでください。 さて昨日の再放送では、その勘助の兄で、ヒロインも実の兄のように慕っている泰蔵が召集されて戦地に赴く。すでに日本は敗色が濃く、戦争にとられるということは死をかなりの確率で覚悟しなくてはならない。 ヒロインの父・善作(小林薫)は自分の不注意で小火を出して大やけどを負っていた身体だったが、泰蔵が出征する日、無理を押して見送りにかけつける。そうして、その無理が祟って、また寝ついてしまう。のみならず疥癬を発症する。疥癬というのは現代ではあまり聞かなくなったが皮膚病であって、全身、激しい痒みに襲われる。火傷の治療のため全身に包帯を巻かれていては発症しやすかったであろう。 疥癬で思い出すのは哲学者・三木清の死のことである。 三木清は戦争が終わって一ヶ月以上もたった1945年9月26日、豊多摩刑務所で死ぬ。原因は疥癬に罹病したためである。疥癬にかかっていた囚人の毛布を消毒せずにあてがわれた疑いがある。 三木が刑務所に入れられたのは、逃亡中の共産党員・高倉テルに金や服を与えたため。そういう囚人である三木(つまり共産党シンパ)に、刑務所はわざとそういう仕打ちをしたのではないか。 戦争が終わって一ヶ月以上たっていたのに三木がなお獄につながれ皮膚病にもがき苦しまなければならなかったのは、戦争が終わるやただちに政治犯を釈放せよという日本人民の闘いが起こることがなかったからである。そのことは、天皇制ファシズムを自らの力で倒すことができなかった日本の民主主義の弱さにつながっているだろう。そうして、あの酷いアベ政権になお一定の支持を与えて存続を許している今日の私たちの弱さにもつながってくるにちがいない。 そんなことを考えながら『カーネーション』の再放送を視ている。なお三木清について上に述べたことは、先日亡くなった日高六郎の文章に教えられた(日高六郎『戦後史を考えるー三木清の死からロッキード事件までー』雑誌「世界」1976年9月号所収)。 ▲
by suiryutei
| 2018-06-21 09:12
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