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    <title>酔流亭日乗</title>
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    <description>酔流亭の日記です。蕎麦屋の片隅で酒盃を傾けながら日々思うことを綴っていきます。</description>
    <dc:language>ja</dc:language>
    <dc:creator>suiryutei</dc:creator>
    <dc:rights>2026</dc:rights>
    <pubDate>Sun, 14 Jun 2026 09:12:03 +0900</pubDate>
    <dc:date>2026-06-14T09:12:03+09:00</dc:date>
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      <title>酔流亭日乗</title>
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      <description>酔流亭の日記です。蕎麦屋の片隅で酒盃を傾けながら日々思うことを綴っていきます。</description>
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    <item>
      <title>新宿で辺野古基地反対行動、それから神田〔みますや〕で酒童塾</title>
      <link>http://suyiryutei.exblog.jp/36512295/</link>
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      <description><![CDATA[新宿アルタというのは、JR新宿駅東口にあったファッションビルだ。その前がちょっとした広場になっていて、駅前で人目にもつくから、そこが色々なアピール行動の場になってきた。ところが、アルタは去年2月で営業を停止した。<br />
だから、今や旧新宿アルタ前ということになる。そこで昨日の午後3時から、辺野古新基地建設に反対するアピール行動が行われた。＜「辺野古唯一」はウソだ！ 普天間基地を返せ 6月アクション＞の一環であり、主催したのは〔辺野古の海を土砂で埋めるな！首都圏連絡会議〕である。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/14/51/b0050651_08582380.jpg" alt="_b0050651_08582380.jpg" class="IMAGE_MID" height="270" width="360" /></center><br />
酔流亭も参加した。辺野古基地反対の街頭行動に参加するのは久しぶりだ。久しぶりに来てみると、初めて顔を見る若い人が少しずつでも現れているのがわかる。前から顔なじみの人は、お互いにすこし老けてきたわけだが。とはいえ、こういう行動に参加している人は、世間一般の同年齢の人よりだいぶ若々しい。他の会合でも毎月のように顔を合わせるSさんなんて、酔流亭より20歳年長なので、もう90歳を越されて、もしかしたらこの日の参加者の中で最年長かもしれないが、お元気なものだ。<br />
参加者は手に手にプラカードを持ち、このかんの様々な取り組みについてのスピーチに聴き入った。作られたばかりのリーフレットも手渡された。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/14/51/b0050651_08553435.jpg" alt="_b0050651_08553435.jpg" class="IMAGE_MID" height="356" width="267" /></center><br />
このリーフレットについては後日また書こう。<br />
4時からデモに移るのだけれど、酔流亭はこの日は5時から酒童塾の集まりがある。申し訳ないが、旧アルタ前アピール行動だけの参加にして、デモに出る人たちを見送った。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/14/51/b0050651_08575356.jpg" alt="_b0050651_08575356.jpg" class="IMAGE_MID" height="109" width="146" /></center><br />
そうして酒童塾である。場所は神田の居酒屋〔みますや〕。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/14/51/b0050651_08571943.jpg" alt="_b0050651_08571943.jpg" class="IMAGE_MID" height="214" width="286" /></center><br />
〔みますや〕は3ヵ月前の前回もここを予定していながら、休業していた。そのときのことを酒童塾の塾生のひとり田中伸治さんが簡潔にこう書いている。<br />
<br />
<br />
「・・呑み屋は都内最古の居酒屋〔みますや〕の予定だったが、三連休のせいか店にやる気なし。一駅歩いて土田さんお馴染みの蕎麦の名店〔まつや〕へ行く。やきとりの塩が旨かった。」<br />
（〔いてんぜ通信〕No.22所収『酒童日記』㉛59ページ）<br />
<br />
<br />
引用文中「三連休」とあるのは、その日は3月21日の土曜日で、前日は祝日（春分の日）、翌日は日曜だったのである。〔みますや〕は普通の土曜日なら営業するのだが、休日と休日の間に挟まれては、いっそのこと三連休にしてしまえ、ということであったようだ。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/14/51/b0050651_08564778.jpg" alt="_b0050651_08564778.jpg" class="IMAGE_MID" height="253" width="190" /></center><br />
（創業明治38年とあるのが誇らしげですね）<br />
<br />
<br />
〔みますや〕は酒揃えがいい。初めエビス・ビールで喉を潤してから、田酒、真澄、黒牛、日高見・・・いろいろ飲んだ。上の引用文で田中さんは〔まつや〕のやきとりの塩が旨かったと書いてくれたが、〔みますや〕のやきとりも旨かった。穴子の煮つけは安くて絶品。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/14/51/b0050651_08560355.jpg" alt="_b0050651_08560355.jpg" class="IMAGE_MID" height="293" width="220" /></center>普天間を閉鎖しろ、辺野古の工事は止めろ　～『伝送便』寄稿 : 酔流亭日乗<br />
]]></description>
      <dc:subject>身辺雑記・自然</dc:subject>
      <dc:creator>suiryutei</dc:creator>
      <pubDate>Sun, 14 Jun 2026 08:34:47 +0900</pubDate>
      <dc:date>2026-06-14T08:34:47+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>映画『オールド・オーク』について労働者OBとしての雑感</title>
      <link>http://suyiryutei.exblog.jp/36503471/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://suyiryutei.exblog.jp/36503471/</guid>
      <description><![CDATA[今週水曜日（10日）に観てきた映画『オールド・オーク』は、巨匠ケン・ローチのもしかしたら最後の作かと話題になっているから、ネット上でも感想記事がいくつも載っている。そのうちの一つ、読売新聞の映評を貼り付けておこう。商業新聞のデジタル記事としては珍しく、会員限定（有料）ではなく全文を読めるし、内容も作品の紹介として、また映評として、過不足ない。<br />
<br />
<br />
【映画評】ケン・ローチ監督「オールド・オーク」…置き去りにされた町を舞台に名匠が描く、絶望への抵抗のすすめ : 読売新聞<br />
<br />
<br />
そんなわけで、作品の紹介は上の読売デジタル記事に任せるとして、酔流亭が映画の中で気にかかったのは、酒場〔オールド・オーク〕に入り浸る常連客たちのことだ。<br />
それは酔流亭が、あの彼らと同世代で、やはり酒好きだからでもある。<br />
しかし、もう一つの理由は、彼らがかつて労働者だったからだ。年齢からして、また明るいうちから酒場にたむろしているのだから、今や退職者である。その点も酔流亭と同じだ。<br />
彼らが働いていたイギリスの炭鉱では、効率化を追求して、また強力だった労働運動を叩き潰そうともして、廃坑が提案される。1980年代なかばのことである。労働組合はストライキをもって果敢に闘ったけれども、当時のマーガレット・サッチャー政権は強硬姿勢を貫き、ストライキは敗北を喫する。<br />
同じころ日本でも国鉄の民営化が断行され、強力だった国鉄の労働組合は大きく力を殺がれた。酔流亭が働いていた郵便事業では、その数年前の1970年代末、労働組合敵視の労務政策に抗って反マル生越年闘争と呼ばれるものが闘われたけれども、これも多くの解雇者を出して敗北している（懲戒免職58名）。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/12/51/b0050651_10102675.jpg" alt="_b0050651_10102675.jpg" class="IMAGE_MID" height="430" width="323" /></center><br />
（これは朝日新聞5/1夕刊に載った映評）<br />
<br />
<br />
さて映画の舞台であるイギリス北東部の旧炭鉱町では、炭鉱が無くなり、さびれていく街に、故国での戦火を逃れてやってきた移民たちが増えていく。〔オールド・オーク〕の常連たちは、それを自分たちの居場所がよそ者に奪われると感じるのである。<br />
イギリスの旧炭鉱町だけでなく、世界のどこでも見られる光景だろう。かつての工業先進国では、いまやたいてい製造業が不振だから、基幹産業にいた労働者階級も精彩がない。自分たちが精彩を欠く、その不満のはけ口が、増えつつある移民に向けられる。第三次産業（サービス業など）に職を得ることが多い移民労働者は世の中になくてはならない存在になっているというのに。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
こうした分断を乗り越えるためにまずやらなければならないのは、出会いの場を作ることだ。映画の主人公TJ（〔オールド・オーク〕のあるじ。常連客とは同世代）はそう考えて、シリアからの移民である若い女性ヤラたちと協力して、移民と地元民が顔を合わせる食事会を行う。ところが、彼らの協働が深まるほど、それを妬んでヘイトを鋭くしていく者がいる。同時に、それはまずいと、立ち止まる者も出てくる。同じ境遇にある者が、右にも左にも行きうる。<br />
右にも左にも行きうる人たちを、あっちに追いやるのではなく、こっちに引き戻すには、どうしたらいいか。<br />
食事会くらいでどうにかなるものかよ、と言うなかれ。そういう取り組みを続ける人がいることが大事なのだ。失敗し、妨害されても諦めない。その先に映画は希望をつないでいるように思う。<br />
<br />
<br />
※ケン・ローチ監督の旧作『わたしは、ダニエル・ブレイク』について、9年前にこんな記事を書いていた。貼り付けます。<br />
<br />
<br />
]]></description>
      <dc:subject>映画・TV</dc:subject>
      <dc:creator>suiryutei</dc:creator>
      <pubDate>Thu, 11 Jun 2026 10:46:58 +0900</pubDate>
      <dc:date>2026-06-11T10:46:58+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>さくらんぼの頃</title>
      <link>http://suyiryutei.exblog.jp/36504336/</link>
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      <description><![CDATA[墨田のカッパさんから、うれしい頂き物。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/12/51/b0050651_06394935.jpg" alt="_b0050651_06394935.jpg" class="IMAGE_MID" height="352" width="264" /></center><br />
カッパさんは国分一太郎の研究者だ。国分の郷里であり、国分の名とともに知られる生活綴り方教育が展開された山形県東根市はサクランボの産地としても知られる。その縁で、いつもこの季節になるとサクランボを贈ってくださるのだ。<br />
墨田のカッパさん、ありがとうございます。大事に大事にいただいております。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/12/51/b0050651_06391629.jpg" alt="_b0050651_06391629.jpg" class="IMAGE_MID" height="249" width="333" /></center><br />
ところで今朝、5時前に目を覚ますと、NHKラジオ深夜便が放送を終える間際で、今日が詩人・茨木のり子の誕生日であることを話題にしていた。今年はちょうど生誕100年にあたる。<br />
茨木のり子は大阪で生れ、戦後は東京で暮らしたが、お連れ合いの郷里は山形県鶴岡市で、のり子のお墓も鶴岡市のお寺にあるという。<br />
山形の空を思う。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/12/51/b0050651_08015148.jpg" alt="_b0050651_08015148.jpg" class="IMAGE_MID" height="260" width="195" /></center><br />
※関連して<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
]]></description>
      <dc:subject>身辺雑記・自然</dc:subject>
      <dc:creator>suiryutei</dc:creator>
      <pubDate>Fri, 12 Jun 2026 06:32:56 +0900</pubDate>
      <dc:date>2026-06-12T06:32:56+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>梅雨の晴れ間に　～映画『オールド・オーク』と＜白真弓の会＞</title>
      <link>http://suyiryutei.exblog.jp/36503269/</link>
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      <description><![CDATA[ケン・ローチ監督の新作『オールド・オーク』をようやく観ることができた。大型連休前の4月末から公開されている。うかうかしていたら上映が終わってしまうのではないかとハラハラしていた。行ってきたのは有楽町駅駅近くのヒューマントラストシネマ有楽町。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/11/51/b0050651_08204911.jpg" alt="_b0050651_08204911.jpg" class="IMAGE_MID" height="502" width="377" /></center><br />
感想は後日ゆっくり書きたいが、ケン・ローチらしい作品である。排外主義と向き合っているのである。かつてはストライキを闘ったこともある労働者たちもそれに蝕まれている現状。そしてそれをどう乗り越えていくかも模索される。<br />
映画を観終わってから神田へ向かった。<br />
先週、新東京郵便局時代の仲間たちと飛騨に旅したことは何度か報告した。じつはその前にも、春先に別の顔ぶれで飛騨へ行っている。そのとき古川の酒〔白真弓〕の一升瓶を蔵元（蒲酒造）で買った。宿（蕪水亭）での寝酒として用意したのだが、夕食のときたっぷり飲んだので、その一升瓶まで手が出なかった。そのまま持ち帰り、同行の1人、Iさんが手をつけず保管していてくれた。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/11/51/b0050651_08211978.jpg" alt="_b0050651_08211978.jpg" class="IMAGE_MID" height="434" width="326" /></center><br />
それを野外で呑もうじゃないかということになって、神田万世橋付近の某所に集合したのである。5人が集まった。Iさんは肴として豆腐も持って来てくれたし、Mさんはなんと刺身（鮪、鯛、鯖）に穴子寿司まで。Tさんは手作りのポテトサラダ（絶品！）。<br />
5人で一升というと、1人あて2合だから、適量とも、物足りないとも言える。空にしてから、蕎麦の〔まつや〕で、今度は菊正宗の燗酒を飲む。<br />
梅雨の晴れ間のよき一日だった。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/11/51/b0050651_08195764.jpg" alt="_b0050651_08195764.jpg" class="IMAGE_MID" height="450" width="338" /></center><br />
※ケン・ローチの前作『家族を想うとき』について4年前『伝送便』誌に書いた映評です。<br />
<br />
<br />
『家族を想うとき』のアクチュアリティ　～『伝送便』掲載文 : 酔流亭日乗<br />
]]></description>
      <dc:subject>映画・TV</dc:subject>
      <dc:creator>suiryutei</dc:creator>
      <pubDate>Thu, 11 Jun 2026 06:50:37 +0900</pubDate>
      <dc:date>2026-06-11T06:50:37+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>「辺野古 唯一」はウソだ！ 普天間基地を返せ6月アクション</title>
      <link>http://suyiryutei.exblog.jp/36501195/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://suyiryutei.exblog.jp/36501195/</guid>
      <description><![CDATA[こんなチラシを入手した。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/09/51/b0050651_15193676.jpg" alt="_b0050651_15193676.jpg" class="IMAGE_MID" height="290" width="387" /></center><br />
13日は、夕方から〔酒童塾〕の集まりがある。すると、午後4時からのデモに参加するのは時間的に苦しい。しかし、3時からのアピール行動（於 旧新宿アルタ前）には参加できそうだ。<br />
なお酒童塾というのは〔いてんぜ通信〕のお仲間。三か月に一度発行の同通信の2026夏号（No.22）が6月1日に出たばかりなので、その収穫祭である。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/09/51/b0050651_20192020.jpg" alt="_b0050651_20192020.jpg" class="IMAGE_MID" height="260" width="195" /></center><br />
― 琉球弧の軍事要塞化と一体の辺野古新基地建設 ―<br />
　長い滑走路の選定が行われるまで「普天間基地は返還されない」と米国防総省の公文書に明記されています。辺野古新基地とキャンプ・ハンセンとつなぐ拡張した道路の新設も返還条件とされています。<br />
　アメリカ政府は、「第1列島線」での兵力強化のため、海兵隊をグアム移転させず辺野古に留まらせ、普天間基地を大改修する計画をしています。辺野古新基地も、大改修し拡張された辺野古弾薬庫と新基地に設置する軍港と一体となって、琉球弧の軍事要塞化の重要拠点になるのです。<br />
　政府が「普天間の危険性除去には辺野古が唯一の選択肢」としているのはウソだ！ 普天間基地を返せ！ 辺野古新基地を造らせない！ とアピールしましょう！<br />
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊<br />
主　催◇辺野古の海を土砂で埋めるな！首都圏連絡会<br />
.　　　　　https://henokoumeruna2018.exblog.jp<br />
問い合わせ〇辺野古への基地建設を許さない実行委員会<br />
.　　　　　TEL：090-3910-4140(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)<br />
.　　　　 〇平和を実現するキリスト者ネット<br />
.　　　　　TEL＆FAX：03-3813-2885<br />
.　　 　 〇辺野古・高江を守ろう！NGOネットワーク<br />
.　　　　　Ｅmale：henokotakaengo@gmail.com<br />
<br />
<br />
<br />
※関連して<br />
<br />
<br />
普天間を閉鎖しろ、辺野古の工事は止めろ　～『伝送便』寄稿 : 酔流亭日乗<br />
<br />
<br />
『辺野古が唯一』の解決策というのはウソだ！　～新リーフレットについて新聞『思想運動』への寄稿 : 酔流亭日乗<br />
]]></description>
      <dc:subject>ニュース・評論</dc:subject>
      <dc:creator>suiryutei</dc:creator>
      <pubDate>Tue, 09 Jun 2026 15:17:44 +0900</pubDate>
      <dc:date>2026-06-09T15:17:44+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>飛騨の娘</title>
      <link>http://suyiryutei.exblog.jp/36498929/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://suyiryutei.exblog.jp/36498929/</guid>
      <description><![CDATA[6月2日、奥飛騨温泉郷、新穂高温泉の宿〔槍の郷〕を出てから、神岡へ向かった。<br />
<br />
<br />
奥飛騨の山の湯で山下清の画に会う : 酔流亭日乗<br />
<br />
<br />
神岡町は飛騨市の北部に位置し、富山県と境を接する。かつては亜鉛を産出する鉱山で栄えた町である。その鉛から出たカドミウムが神通川の下流域でイタイイタイ病を引き起こしたことも忘れてはならない歴史だ。鉱山は2001年に操業を終了。現在はその跡地を利用した研究施設スーパーカミオカンデが知られている。詳しいことはわからないが、ニュートリノというやつである。<br />
鉱山から運び出される亜鉛を積んだのだろうトロッコの線路の一部が、現在はガッタンゴーという観光施設になっている。廃線となった線路の上を電動アシスト付き自転車で走るのである。これに乗った。小雨が混じるようになってきたが、天気はまだギリギリもっている。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/09/51/b0050651_05445395.jpg" alt="_b0050651_05445395.jpg" class="IMAGE_MID" height="209" width="279" /></center><br />
神岡の街なかでは大坪酒造という造り酒屋にも寄ったのは4日更新記事に書いた。4日の記事には載せてない写真を追加します。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/09/51/b0050651_05453010.jpg" alt="_b0050651_05453010.jpg" class="IMAGE_MID" height="332" width="249" /></center><br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/09/51/b0050651_05460279.jpg" alt="_b0050651_05460279.jpg" class="IMAGE_MID" height="233" width="311" /></center><br />
蔵の中を当主ご夫婦が案内してくださった。話を聴いているうち、奥様は蔵元の家付き娘で、ご当主が婿に入ったのが覗われた。なんとも品のあるお2人であった。他に、事務室で若い女性が働いている。奥さま似の顔立ちからして、もしやと思ったところ、蔵の娘さんであると後で知った。こうして家族で家業を守っているのだろう。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/09/51/b0050651_05463293.jpg" alt="_b0050651_05463293.jpg" class="IMAGE_MID" height="209" width="279" /></center><br />
下の写真の純米大吟醸は、同行のKさんが蔵で買って、「お連れ合いに」と酔流亭に持たせてくれた四合瓶。帰宅してから、Kさんの心遣いに違えて、大半は酔流亭が飲んでしまったが、日ごろ日本酒はあまり飲まない連れ合いも、この酒は美味しいと絶賛した。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/09/51/b0050651_05432134.jpg" alt="_b0050651_05432134.jpg" class="IMAGE_MID" height="388" width="291" /></center><br />
2日は古川の蕪水亭に宿をとって、いつものように快適な一夜を過ごす。外は大雨になっている。台風6号は東海地方の太平洋岸をかすめそう。翌日は午前に名古屋を発してやってくる高山本線の列車が午後、古川で折り返すのに乗って名古屋から新幹線で帰京する予定である。高山本線が不通になれば飛騨にもう一泊？・・なんて思いながら寝に就く。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/09/51/b0050651_05540219.jpg" alt="_b0050651_05540219.jpg" class="IMAGE_MID" height="361" width="271" /></center><br />
ところが、翌朝10時、宿を出るころには、飛騨では雨は上がりかけていた。台風は夜のあいだに北上するスピードを上げたらしい。その時刻、関東では台風が接近して大雨だったようだが。都内杉並区を流れる善福寺川が溢れたなんていうTVニュースを視た。<br />
古川の街なかには、蓬莱という銘柄を醸す渡辺酒造と、白真弓の蒲酒造という二つの造り酒屋が、通りを挟んで向かい合っている。この日は白真弓のほうに寄った。<br />
造り酒屋を訪ねる楽しみの一つは試飲ができること。あれこれ色々な種類の酒を少しずつ注いでくれた若い女性の話を聴いているうち、蔵の娘さんだということがわかってきた。いったん家を出て東京で働いて、最近古川に戻ってきたのだという。どうも、今回の旅は、あちこちで造り酒屋の娘さんと出会う。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/09/51/b0050651_05442058.jpg" alt="_b0050651_05442058.jpg" class="IMAGE_MID" height="246" width="328" /></center><br />
名古屋行き高山本線特急が出るまで、まだ時間があった。二つの酒造が向かい合う四つ辻の角のひとつにOHAKOというカフェがある。ここで、この旅最後の酒盛りをやった。<br />
じつはOHAKOは蕪水亭の長女が店長として料理の腕を振るっているのだ。この店が4年前、NHK＜ハルさんの休日＞という全国の評判カフェをめぐる番組に登場したときの過去記事を貼っておきます。<br />
<br />
<br />
蕪水亭には娘さんが2人いて、長女はOHAKOを任され、次女は宿の若女将としてお連れ合いの料理長とともに家業を守っている。<br />
さて飛騨市内にある造り酒屋は、これまで書いてきたように<br />
大坪酒造<br />
渡辺酒造<br />
蒲酒造<br />
の三つ。今回の旅では蓬莱の渡辺酒造だけは行きそびれた。しかし、蕪水亭に居るあいだ蓬莱を（白真弓と交互に）たっぷり飲んだ。下の写真、ガラスの徳利に酌まれているのは蓬莱の冷酒です。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/09/51/b0050651_05435239.jpg" alt="_b0050651_05435239.jpg" class="IMAGE_MID" height="207" width="276" /></center><br />
]]></description>
      <dc:subject>旅行</dc:subject>
      <dc:creator>suiryutei</dc:creator>
      <pubDate>Tue, 09 Jun 2026 04:39:41 +0900</pubDate>
      <dc:date>2026-06-09T04:39:41+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>奥飛騨の山の湯で山下清の画に会う</title>
      <link>http://suyiryutei.exblog.jp/36496250/</link>
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      <description><![CDATA[先週、新東京郵便局で働いていた頃からの仲間と飛騨へ小旅行をしたことは4日更新記事に書いたとおり。<br />
<br />
<br />
飛騨の造り酒屋で : 酔流亭日乗<br />
<br />
<br />
二泊三日の旅の一泊目は奥飛騨温泉郷、新穂高温泉の〔槍の郷〕であった。なかなかハイカラな構えでしょう。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/08/51/b0050651_08293961.jpg" alt="_b0050651_08293961.jpg" class="IMAGE_MID" height="207" width="276" /></center><br />
館内の廊下に山下清の画が架かっていた。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/08/51/b0050651_08301460.jpg" alt="_b0050651_08301460.jpg" class="IMAGE_MID" height="296" width="395" /></center><br />
ベニスあたりをイメージしての空想画のように思う。<br />
じつは、旅に出る直前、わが家族のlineで山下清が話題になっていた。<br />
どういうことかというと、民放BSの立ち食いそば屋をめぐるTV番組がJR我孫子駅ホーム上にある〔弥生軒〕を取り上げた回があった。2年ほど前に放送されたのだが、そのユーチューブを次女が見つけて、教えてくれた。わが家は我孫子市内にある。<br />
<br />
<br />
千葉・我孫子　天才画家の足跡を味わう一杯｜ドランク塚地のふらっと立ち食いそば｜ＢＳ日テレ<br />
<br />
<br />
〔弥生軒〕は現在は立ち食いそば屋だが、昔は駅弁を製造販売していた。そのころ若き山下清がここで働いていたことがある。TV番組でも、もちろんそのことが紹介されている。<br />
下の写真は、最近、酔流亭が都心に出かけた帰途、我孫子駅で成田線への乗り換えを待つ間に撮影したもの。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/08/51/b0050651_08315282.jpg" alt="_b0050651_08315282.jpg" class="IMAGE_MID" height="222" width="296" /></center><br />
そんなわけで、旅先で、しかも山の中で山下清画伯の画に出会えたのに興趣を覚えた。<br />
さて旅館〔槍の郷〕の魅力は、なんといっても豊富な湯量の温泉だ。浴室（館内に二つ、外に三つもある）の入口には【源泉かけ流し認定証】が誇らしげに。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/08/51/b0050651_08304548.jpg" alt="_b0050651_08304548.jpg" class="IMAGE_MID" height="210" width="281" /></center><br />
下の写真は宿に着いてすぐ、2階の客室の窓から撮影。この日（6月1日）は好天だったが、翌日の午後からは台風6号の影響で飛騨も大荒れの天候になった。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/08/51/b0050651_08312112.jpg" alt="_b0050651_08312112.jpg" class="IMAGE_MID" height="207" width="276" /></center><br />
]]></description>
      <dc:subject>旅行</dc:subject>
      <dc:creator>suiryutei</dc:creator>
      <pubDate>Mon, 08 Jun 2026 08:21:17 +0900</pubDate>
      <dc:date>2026-06-08T08:21:17+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>映画『太陽（ティダ）の運命』を観て、三上智恵さんの話を聴く</title>
      <link>http://suyiryutei.exblog.jp/36495121/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://suyiryutei.exblog.jp/36495121/</guid>
      <description><![CDATA[昨日は松戸市民会館において映画『太陽（ティダ）の運命』を観、それから三上智恵さんの講演を聴いた。映画の内容は、下に貼った上映会チラシにあるとおり、沖縄の4代目知事だった太田昌秀と7代目の翁長雄志の姿を追う。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202605/19/51/b0050651_06460552.jpg" alt="_b0050651_06460552.jpg" class="IMAGE_MID" height="484" width="363" /></center><br />
三上さんは映画監督でもあるので、この映画も三上さんが撮ったのかと、つい思いがちだが、これを監督したのは佐古忠彦氏だ。いま沖縄在住の三上さんは、元々は松戸市の生まれだという。松戸まで話に来てくださったのには、そういうご縁もあったのだろう。<br />
映画も、三上智恵さんのお話もとてもよかった。＜三上智恵さんの今の思い＞として集会プログラムに挟まれていた文章を写真に撮ったから貼り付ける。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/07/51/b0050651_07571621.jpg" alt="_b0050651_07571621.jpg" class="IMAGE_MID" height="592" width="444" /></center><br />
初めのほうに<br />
「辺野古で起きた事故を沖縄の運動を叩き潰すために使おうとする黒い渦が大事な歴史まで捻じ曲げることを座視できないので書きました。」<br />
とあるのは、琉球新報の5月5日付け朝刊への寄稿のことである。その全文は琉球新報のデジタルで読めるので、貼り付けておきます。ぜひ読んでほしいと思う。<br />
<br />
<br />
三上さんの監督作品を酔流亭は過去に1本だけ観ている。2015年7月に沖縄を訪ねたとき、辺野古や高江も回った4泊5日の旅の最後の夜、那覇市内にある桜坂劇場という映画館で、完成したばかりの『戦場ぬ止み』を観た。そのときのことは、この過去記事に。<br />
<br />
<br />
沖縄への旅③　基地の町・嘉手納で : 酔流亭日乗<br />
<br />
<br />
でも、酔流亭の過去記事なんて飛ばしていいですから、今日は上に貼った三上さんの琉球新報寄稿を読んでほしい。<br />
<br />
<br />
作品情報｜映画『戦場ぬ止み（いくさばぬとぅどぅみ）』公式サイト<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/07/51/b0050651_07565061.jpg" alt="_b0050651_07565061.jpg" class="IMAGE_MID" height="552" width="414" /></center><br />
]]></description>
      <dc:subject>映画・TV</dc:subject>
      <dc:creator>suiryutei</dc:creator>
      <pubDate>Sun, 07 Jun 2026 06:10:57 +0900</pubDate>
      <dc:date>2026-06-07T06:10:57+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>イラン戦争と日本　～『伝送便』誌6月号寄稿</title>
      <link>http://suyiryutei.exblog.jp/36492979/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://suyiryutei.exblog.jp/36492979/</guid>
      <description><![CDATA[『伝送便』6月号への寄稿を転写します。リードにも書いたとおり、労働者文学会ホームページの5月前期コラムとして書いたものの転載です。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/05/51/b0050651_08234688.jpg" alt="_b0050651_08234688.jpg" class="IMAGE_MID" height="450" width="338" /></center><br />
　労働者文学会ホームページの五月前半期コラムとして『戦争加害の自覚の乏しさと向き合わねば』というタイトルで掲載された文章を改題して転載します。なお＜労働者文学会＞と検索すれば同会のHPにアクセスできます。労働者が創る文学に興味のある方は覗いてみてください。　二〇一五年の「イラン核合意」の内容は「イランは、兵器に転用できる高濃縮ウランや兵器級プルトニウムを一五年間は生産せず（ウランの濃縮度は一五年間にわたって平和利用に限られる三・六七％までに抑えることが義務づけられた）、一〇トンあった貯蔵濃縮ウランを三〇〇㎏に削減する。また一万九〇〇〇基あった遠心分離機を一〇年間は六一〇四基に限定する。かりにイランが核開発を再開しても、核爆弾一発分の原料の生産に最低一年はかかるレベルに能力を制限する」というものだった。これでイランは核兵器製造からはるかに遠のいたが、この合意から一方的に離脱（二〇一八年）したのは第一次トランプ政権のときの米国である。そんなことは棚に上げて、トランプはイランに核兵器製造の意図があると言い張り続け、とうとう二月二八日、イスラエルと組んでイラン攻撃に踏み切った。ヤクザが言いがかりをつけているようなものだ。<o:p></o:p>　トランプの取り巻きどもの言辞も酷い。朝日新聞の中井大助記者（同紙アメリカ総局長）によると、国防長官（戦争長官）ヘグセスは、イラン攻撃について記者会見で米国の武力の優位を嬉々として誇示し、「公平な戦いではない。倒れているところを殴っているのだ。そうであるべきように」と述べる一方、イランの学校にミサイルが撃ち込まれ一七五人もの児童が死んだのは米軍による可能性があることを問われても「調査する」の一言だけで、その後一か月以上、何の言及もないという（四月二一日朝刊）。<o:p></o:p>　ヘグセスといえば、小泉進次郎防衛相と会談するたび、二人はいかにも意気投合したような演出がされる。高市首相といい、日本の政治指導者たちは、ゴロツキのごときアメリカと、どうしてこうもベッタリなのか。もっと問題なのは、こんな高市や小泉に、日本の有権者が高い支持を与えていることだ。私たちは文学会であるから、文学作品を例に考えよう。<o:p></o:p>『普天を我が手に』と題する長編小説がある。奥田英朗著、講談社。三部作が去年立て続けに刊行された。男女四人の主人公はいずれも一九二六年つまり＜昭和＞の始まった年に生まれるという建て付けはなかなか面白いのだが、戦争をくぐり抜けた主人公たちの戦争への思いは、隣国を侵略して酷いことをしたことより、米国のような強い国と戦ってしまったことに対する＜反省＞に帰着する。だからこの先は、米国にだけは逆らわず、ついていかなければ。戦後日本の平和主義の内実は結局そのあたりに落ちぶれてしまったか。<o:p></o:p>　戦争加害の自覚の乏しさは、私たち労働者文学会が正面から向き合っていかなくてはならないテーマである。<o:p></o:p>※関連して長編小説『普天を我が手に』途中感想 : 酔流亭日乗<br />
労働者文学会<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/05/51/b0050651_08241537.jpg" alt="_b0050651_08241537.jpg" class="IMAGE_MID" height="296" width="222" /></center>伝送便 TOP - 伝送便<br />
]]></description>
      <dc:subject>ニュース・評論</dc:subject>
      <dc:creator>suiryutei</dc:creator>
      <pubDate>Fri, 05 Jun 2026 08:21:19 +0900</pubDate>
      <dc:date>2026-06-05T08:21:19+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>『辺野古が唯一』の解決策というのはウソだ！　～新リーフレットについて新聞『思想運動』への寄稿</title>
      <link>http://suyiryutei.exblog.jp/36491913/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://suyiryutei.exblog.jp/36491913/</guid>
      <description><![CDATA[　辺野古基地建設反対をわかりやすく訴える新リーフレット（辺野古の海を土砂で埋めるな！首都圏連絡会作成）を紹介する記事を新聞『思想運動』6月1日付に寄稿したので、その全文を写します。<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/04/51/b0050651_12441513.jpg" alt="_b0050651_12441513.jpg" class="IMAGE_MID" height="282" width="377" /></center>　普天間基地の返還のためには辺野古に基地を造ることが唯一の解決策だと日本政府はくり返す。それは本当か。<o:p></o:p>　そんなの嘘だと、わかりやすく説明するリーフレットが出来あがった。作成したのは辺野古の海を土砂で埋めるな！首都圏連絡会。タイトルは＜進む琉球弧の軍事要塞化「辺野古が唯一」の解決策というのはウソだ！普天間基地は返還されない！？＞。ぜひ手にとり、そして周りの人たちにも手渡してほしい。　海兵隊派遣のシンクタンク研究員が辺野古と普天間の併用と日米共同使用も促した論文を発表したのが今年2月3日。代替となる長い滑走路が選定されるまで普天間は返還しないとする米国防総省の公式見解は去年9月に出ていた。普天間の滑走路は2740ｍ。辺野古に予定されているV字型滑走路は1800mしかない。　すでに2017年6月、当時の稲田朋美防衛相が「辺野古の新基地建設が進んでも、その他の返還条件（長い滑走路を持つ民間施設の緊急時における使用の改善など全8項目。2013年に日米両政府で合意）が満たされない限り、普天間飛行場は返還されない」と参院外交防衛委員会で答弁していたのであった。8条件のひとつは長い滑走路の「使用の改善」であって、特定の空港の「選定」ではないのに注意。これまで曖昧にしていたのを、ここへきて米側はハードルを上げてきたのである。3000ｍと2700ｍ、2本の滑走路を持つ那覇空港の日米共同使用が狙われているのだろう。<o:p></o:p>　普天間返還のためでないなら、何のための辺野古基地か。海岸に造られる基地には、航空機の燃料を運搬するタンカーが接岸できる。内陸の普天間にはない軍港機能を持つ。米軍キャンプシュワブにある弾薬庫も拡充される。琉球弧に沿い、奄美大島、沖縄島、宮古島、石垣島、与那国島を結ぶ自衛隊のミサイル部隊ともつながって、対中国を想定した戦争準備の中核に辺野古基地は位置づけられるのだ。<o:p></o:p>　3月に起き、2名の犠牲者が出てしまった船転覆事故は痛恨事だが、基地建設の理不尽や戦争準備がそれによって覆い隠されてはならない。沖縄県知事選も9月に迫る。戦争を止めるために正念場だ。<br />
<o:p></o:p><center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/04/51/b0050651_12434216.jpg" alt="_b0050651_12434216.jpg" class="IMAGE_MID" height="466" width="350" /></center>※リーフレットは辺野古の海を土砂で埋めるな！首都圏連絡会のブログからダウンロードできる。印刷したものは、構成団体の〔辺野古への基地建設を許さない実行委員会〕にメールで申し込み可。辺野古の海を土砂で埋めるな！首都圏キャンペーン<br />
※関連して普天間を閉鎖しろ、辺野古の工事は止めろ　～『伝送便』寄稿 : 酔流亭日乗]]></description>
      <dc:subject>ニュース・評論</dc:subject>
      <dc:creator>suiryutei</dc:creator>
      <pubDate>Thu, 04 Jun 2026 12:12:30 +0900</pubDate>
      <dc:date>2026-06-04T12:12:30+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>飛騨の造り酒屋で</title>
      <link>http://suyiryutei.exblog.jp/36491604/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://suyiryutei.exblog.jp/36491604/</guid>
      <description><![CDATA[台風6号の影響で大雨が降り出す直前、飛騨を旅した。奥飛騨温泉郷の新穂高温泉と飛騨古川へ。新穂高温泉では〔槍の郷〕、古川ではいつもの〔蕪水亭〕に泊まった。<br />
途中、神岡の街なかにある蔵元〔大坪酒造〕にも立ち寄る。神岡は飛騨地方の北部に位置する静かな町だ。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/04/51/b0050651_07591339.jpg" alt="_b0050651_07591339.jpg" class="IMAGE_MID" height="281" width="375" /></center><br />
創業は、記録で確認できるのは天保13年（1842年）だが、もっと前から酒を醸していたように思われる。古格な構えの蔵である。<br />
店内に入って、石造りの階段を上がっていくと、酒の貯蔵タンクがいくつも置かれていた。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/04/51/b0050651_07584525.jpg" alt="_b0050651_07584525.jpg" class="IMAGE_MID" height="486" width="365" /></center><br />
いくらか甘口の＜飛騨娘＞と辛口の＜神代＞という二つの銘柄を醸す。昨日、帰路の新幹線の中で＜飛騨娘＞の原酒4合瓶を空にした。新東京郵便局で働いていた頃からの友人たちと3人連れの旅。4合瓶はKさんが提供してくれた。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202606/04/51/b0050651_07582196.jpg" alt="_b0050651_07582196.jpg" class="IMAGE_MID" height="414" width="311" /></center><br />
旅の報告はまた後日に。<br />
<br />
<br />
大坪酒造店 | 「飛騨娘」「神代」醸造元　飛騨市神岡町の酒蔵<br />
]]></description>
      <dc:subject>旅行</dc:subject>
      <dc:creator>suiryutei</dc:creator>
      <pubDate>Thu, 04 Jun 2026 06:40:16 +0900</pubDate>
      <dc:date>2026-06-04T06:40:16+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>ドリス・ディの歌とイラン戦争　～【いてんぜ通信】寄稿『ストレート・ノー・チェイサー』（後）</title>
      <link>http://suyiryutei.exblog.jp/36486798/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://suyiryutei.exblog.jp/36486798/</guid>
      <description><![CDATA[【いてんぜ通信】寄稿からの転写の3回目（最終回）です。<br />
ここまでおつきあいくださり、ありがとうございます。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202605/30/51/b0050651_09352517.jpg" alt="_b0050651_09352517.jpg" class="IMAGE_MID" height="246" width="328" /></center><br />
　セロニアス・モンクという存在をこの番組によって教えられてから、それまでは木曜夕方の再放送時間にたまたま自室に居れば聴くだけであった〔ジャズ・トウナイト〕を、私はもう少し楽しみにするようになった。すると4月8日の再放送の前半はドリス・ディの特集である。<o:p></o:p>〔いてんぜ通信〕の読者は、私と同じく、もうけっこうな年配だと思うから、ドリス・ディ（1922-2019）といえば馴染みがあるのではないか。『ケ・セラ・セラ』始めヒット曲は多い。私も好きだ。曲目までは覚えていないが、聴いたことのある曲が次々流れる。番組MCの大友良英氏が、歌声の合間に感に堪えないように「ドリス・ディいいなあ」と言って、「アメリカはこんな素晴らしい音楽を作ってきたのに、いま何やっているんだ」と嘆息し、そのあと「今だけじゃないか」とつぶやいた。<o:p></o:p>　この「今だけじゃない」が妙に耳に残ったのは、トランプがイランに向かって「石器時代に戻す」「一つの文明が滅ぶ」とかの脅しを繰り返していたときだからである。酷いことを言うものだが、アメリカ合州国は前からこういう言辞を撒き散らしてきた。「石器時代・・」も先例があって、カーチス・ルメイが前に言っている。<o:p></o:p>　ルメイは第二次世界大戦末期、日本に対する都市無差別爆撃を指導した軍人である（1906-1990）。一晩で約10万人が死んだ1945年3月10日の東京大空襲のときは米空軍第21爆撃集団司令官だった。時代が下って、1965年ベトナム戦争において米軍が北爆を開始するとき、ベトナム北部を「石器時代に戻す」と嘯いたのである。<o:p></o:p>　事実はベトナムは石器時代には戻らず、逆にアメリカが敗北して、10年後の1975年にベトナムから撤退した。しかし、この戦争でのベトナム人の死者は約300万人に上るという。アメリカ軍も約5万8000人が死んだ。こんにちのトランプの言動は常軌を逸しているが、アメリカ合州国は前からそういうことをやってきた。「今だけじゃない」のだ。<o:p></o:p>　そうして、その戦争犯罪人カーチス・ルメイに戦後の日本は勲章を授与している。1964年、ときの政権は佐藤栄作で、勲一等旭日大綬章を与えた。航空自衛隊の育成・支援に対する功績というのが授賞理由である。アメリカと日本の歪んだ関係を象徴するエピソードではある。<o:p></o:p>　2015年の「イラン核合意」の内容は「イランは、兵器に転用できる高濃縮ウランや兵器級プルトニウムを15年間は生産せず（ウランの濃縮度は15年間にわたって平和利用に限られる3・67％までに抑えることが義務づけられた）、10トンあった貯蔵濃縮ウランを300㎏に削減する。また1万9000基あった遠心分離機を10年間は6104基に限定する。かりにイランが核開発を再開しても、核爆弾1発分の原料の生産に最低1年はかかるレベルに能力を制限する」というものだった。これでイランは核兵器製造からはるかに遠のいたが、この合意から一方的に離脱したのは第一次トランプ政権のときの米国である（2018年）。そんなことは棚に上げて、トランプはイランに核兵器製造の意図があると言い張り続け、とうとうこんにちの事態に立ち至った。<o:p></o:p>　トランプの取り巻きどもの言辞も酷い。朝日新聞の中井大助記者（同紙アメリカ総局長）が4月21日朝刊に書くところによると、国防長官（戦争長官）ヘグセスは、イラン攻撃について記者会見で米国の武力の優位を嬉々として誇示し、「公平な戦いではない。倒れているところを殴っているのだ。そうであるべきように」と述べる一方、イランの学校にミサイルが撃ち込まれ175人もの児童が死んだのは米軍による可能性があることを問われても「調査する」の一言だけで、その後一か月以上、何の言及もないという。<o:p></o:p>　つい最近目にした人類学者エマニュエル・トッド氏の言葉が頭をよぎる。引用中＜彼＞とはトランプを指すが、ヘグセスら取り巻きも同類である。<o:p></o:p>「・・彼は悪をなすのに喜びを抱くタイプの人間ではないかということです。嘘をつく快感、人を殺害させることにさえ快感を得ているのかもしれない。・・以前、放送番組の中で、細かな違いがあることは承知しつつ、外交についてのドナルド・トランプとヒトラーを比較したことがあります。外交以外も同じだと言っているわけではないのですが、ナチスの連中も、悪は善であり、善とは悪のことだと言っていたのです。これもまたニヒリズムの一つの形です。」（エマニュエル・トッド他著『2030　来たるべき世界』朝日新書2026年3月30日発行から）。<o:p></o:p>　ヘグセスといえば、小泉進次郎防衛相と会談するたび、2人はいかにも意気投合したような演出がされる。トランプに抱き着く高市早苗首相といい、日本の政治指導者たちは、ゴロツキのごときアメリカと、どうしてこうもベッタリなのか。もっと問題なのは、こんな高市や小泉に、日本の有権者が高い支持を与えていることだ。どうしてなのか。<o:p></o:p>『普天を我が手に』と題する長編小説がある。奥田英朗著、講談社。三部作が去年立て続けに刊行された。男女4人の主人公はいずれも1926年つまり＜昭和＞の始まった年に生まれるという建て付けはなかなか面白いのだが、戦争をくぐり抜けた主人公たちの戦争への思いは、隣国を侵略して酷いことをしたことより、米国のような強い国と戦ってしまったことに対する＜反省＞に帰着する。だからこの先は、米国にだけは逆らわず、ついていかなければ。戦後日本の平和主義の内実は結局そのあたりに落ちぶれてしまったか。<o:p></o:p>長編小説『普天を我が手に』途中感想 : 酔流亭日乗　・・・ここまで書いてきたところで筆が止まってしまった。地団太を踏むばかりで文章を終わらせたくはないのに、現実はにっちもさっちも動かないように見えるからである。3日も4日も何も書けず足踏みしているうち、大型連休つまりこの稿の締め切り（4月いっぱい）が迫ってくる。しかし、私は書くことから逃げて、パーシヴァル・エヴェレットのもう一つの新刊『赤く染まる木々』を読みふけった。1月に出た『消失』よりわずかに早く、去年12月に早川書房から出版されている（訳・上野元美）。私が読み始めたのは4月下旬からだ。<o:p></o:p><center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202605/30/51/b0050651_09430608.jpg" alt="_b0050651_09430608.jpg" class="IMAGE_MID" height="387" width="291" /></center>　小説の題名から、ジャズに詳しい人ならビリー・ホリディの歌唱で有名な『奇妙な果実』を思うかもしれない。それはリンチされた黒人が木に首を吊るされている図だ。はたして、小説には黒人女性がその歌を歌う場面があり、歌詞も挿入されている。<o:p></o:p>&nbsp;　　南部の木々は奇妙な実をつける<o:p></o:p>　　葉についた血と根元に落ちた血<o:p></o:p>　　黒いむくろが南部の風で揺れる<o:p></o:p>　　ポプラの木にぶらさがる奇妙な果実<o:p></o:p>　　　　（以下略）<o:p></o:p>&nbsp;　合州国南部ミシシッピ州の田舎町で奇怪な殺人事件が続くのである。被害者は白人で、しかし、その傍には加害者らしき黒人男性の死体もある。州捜査局から派遣された2人の黒人刑事は息の合ったコンビだし、FBIからも派遣された女性黒人捜査官は頭が切れる。上質のハリウッド映画のような滑り出しだ。そういえば、かつてシドニー・ポワチエが主演した『夜の大捜査線』（ノーマン・ジェイスン監督、1967年）も、ミシシッピ州で起きた殺人事件の捜査にあたる黒人刑事の物語であった。<o:p></o:p>『夜の大捜査線』のラストでは、地元の、初め人種的偏見を持っていた警察署長（ロッド・スタイガー演）と主人公は和解する。しかし『赤く染まる木々』では推理作品としての枠組みは次第にかなぐり捨てられ、人種戦争の様相を呈していく。この小説は、トランプに代表される合州国支配層に、またトランプだけじゃない、合州国の差別と暴力の歴史に対する告発の書なのだ。<o:p></o:p>　梃子でも動きそうもない現実に、それでも穴を開けるために、パーシヴァル・エヴェレットの文学的営為に励まされる。<o:p></o:p>（了）　<o:p></o:p>ストレート・ノー・チェイサー　～【いてんぜ通信】26夏号寄稿（前） : 酔流亭日乗P・エヴェレット『消失』をめぐって　～【いてんぜ通信】寄稿『ストレート・ノー・チェイサー』（中） : 酔流亭日乗<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202605/30/51/b0050651_08103938.jpg" alt="_b0050651_08103938.jpg" class="IMAGE_MID" height="444" width="333" /></center>労働者文学会<br />
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      <dc:subject>文学・書評</dc:subject>
      <dc:creator>suiryutei</dc:creator>
      <pubDate>Sat, 30 May 2026 09:33:10 +0900</pubDate>
      <dc:date>2026-05-30T09:33:10+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>P・エヴェレット『消失』をめぐって　～【いてんぜ通信】寄稿『ストレート・ノー・チェイサー』（中）</title>
      <link>http://suyiryutei.exblog.jp/36486785/</link>
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      <description><![CDATA[【いてんぜ通信】26夏号寄稿の転写を続けます。タイトルにした『ストレート・ノー・チェイサー』に迫っていきます。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202605/30/51/b0050651_09222103.jpg" alt="_b0050651_09222103.jpg" class="IMAGE_MID" height="434" width="326" /></center><br />
鷲田清一氏が朝日新聞朝刊の一面題字の下に土曜日曜以外は毎日連載しているコラム〔折々のことば〕の2016年12月28日に、この言葉が論じられている。Kさんはそのコラムを写真に撮って貼り付けてくれた。全文を写そう。<o:p></o:p>&nbsp;Straight, No Chaser　セロニアス・モンク<o:p></o:p>「ストレートで。水は無用」。ジャズピアニストのヒットナンバーの一つ。強い蒸留酒をぐいといきたい、間に挟む軽い飲み物は不要と、バーテンダーに頼む。水割りなど論外。橋本雄一は東京外国語大学の雑誌「ピエリア」本年春号で、中国文学者らしくこれを生き方のこととし、「道はまっすぐ、追随者はいない」と訳して、独りわが道を行くその孤絶の「贅沢」を味わおうとの意気地と読む。<o:p></o:p>&nbsp;　私は若い頃、ウィスキーを飲む局面に立ち至ると、ストレート・ノー・チェイサーのつもりで「酒を水で薄めて飲むほど貧乏しちゃいねえや！」と吠えたりしたものだが、若気の至りと赤面する他ない。あの言葉にはもっと深い意味があったのだ。<o:p></o:p>　道はまっすぐ、追随者はいない。<o:p></o:p>　セロニアス・モンクについて教えてくださった田中伸治さん・Sさん・Kさんにこの場を借りて改めて感謝申し上げます。<o:p></o:p>　なお『消失』巻末の訳者あとがきによれば、セロニアス・エリスンの姓＜エリスン＞はラルフ・エリスンに由来するという。ラルフ・エリスン（1914-1994）も黒人小説家で、代表作『見えない人間』（1952年）は「南部の黒人青年がニューヨークで弁論の才を認められて白人の社会運動に重用されるが、やがて名前さえ取り上げられ、自分は白人に都合のいい黒人として利用されただけなのだと悟る物語」（訳者あとがき）だという。訳者の雨海弘美氏は、ジャズにはあまり関心がないのかな、セロニアス・モンクのことは書いていない。<o:p></o:p><center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202604/18/51/b0050651_05405090.jpg" alt="_b0050651_05405090.jpg" class="IMAGE_MID" height="315" width="237" /></center>　小説『消失』の内容はまだ何も書いていなかった。主人公モンクことセロニアス・エリスンは小説家としては実験的な作風であり、売れる作家ではない。ところが認知症が進んできた老母を介護施設に入所させなければならない。信頼できる姉は医師だが、妊娠中絶反対を唱える極右（今日で言えばトランプ岩盤支持層のキリスト教福音派のような連中だろう）に射殺されてしまう。兄とは関係が悪いし、頼りにならず。早急にまとまった金を作らなければならなくなり、自分の文学観とは正反対の、本人にとっては＜クズ＞としか言いようのない小説を偽名で書く。主人公の黒人青年は野卑で無教養で責任観念もないという、白人から見た黒人のステレオタイプそのものだ。ところが、その作品が米国でもっとも権威のある文学賞の最終選考に残ってしまう。黒人に対する偏見に満ちた虚像が、パロディとして笑い飛ばされるのではなく、白人には黒人の真実の姿と映り、絶賛されるのだ。<o:p></o:p>そのクズ小説『おれの病理』（のちに『FUCK』と改題）は、『消失』の作中作として邦訳書で400ページ近いうちの約100ページを占める。それをどう読むか、読者は作者に試されているようでもある。<o:p></o:p><center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202603/26/51/b0050651_08464214.jpg" alt="_b0050651_08464214.jpg" class="IMAGE_MID" height="189" width="252" /></center>『消失』は2023年になって『アメリカン・フィクション』（コード・ジェファーソン監督、脚本も）という映画の原作となり、映画は24年にアカデミー賞の脚色賞を受賞していることも付け加えておこう。<o:p></o:p>（つづく）<br />
ストレート・ノー・チェイサー　～【いてんぜ通信】26夏号寄稿（前） : 酔流亭日乗ドリス・ディの歌とイラン戦争　～【いてんぜ通信】寄稿『ストレート・ノー・チェイサー』（後） : 酔流亭日乗<br />
労働者文学会<br />
]]></description>
      <dc:subject>文学・書評</dc:subject>
      <dc:creator>suiryutei</dc:creator>
      <pubDate>Sat, 30 May 2026 09:16:22 +0900</pubDate>
      <dc:date>2026-05-30T09:16:22+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>ストレート・ノー・チェイサー　～【いてんぜ通信】26夏号寄稿（前）</title>
      <link>http://suyiryutei.exblog.jp/36486709/</link>
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      <description><![CDATA[昨夜遅く帰宅したら、【いてんぜ通信】の2026年夏号（第22号）が届いていた。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202605/30/51/b0050651_08103938.jpg" alt="_b0050651_08103938.jpg" class="IMAGE_MID" height="444" width="333" /></center><br />
全88ページという重量感ある仕上がり。いつもありがとうございます。<br />
この号に寄稿した『ストレート・ノー・チェイサー』を今日から3回に分けて転写していきます。<br />
よろしくおつきあいください。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202605/30/51/b0050651_08220009.jpg" alt="_b0050651_08220009.jpg" class="IMAGE_MID" height="352" width="264" /></center><br />
　この通信の前々号（第20号、2025年12月1日発行）への寄稿『あれから半世紀』の後半で『ジェイムズ』という小説に触れた。私が去年読んだ本の中でハン・ガン『別れを告げない』とともに最も心に強く残った作品だからだ。河出書房刊。マーク・トウェイン『ハックリベリー・フィンの冒険』のスピン・オフ的作品である。<o:p></o:p><center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202605/30/51/b0050651_08153129.jpeg" alt="_b0050651_08153129.jpeg" class="IMAGE_MID" height="348" width="262" /></center>傑作小説『ジェイムズ』のこと　～【いてんぜ通信】寄稿③ : 酔流亭日乗　今年になって、その作者パーシヴァル・エヴェレットの新刊が出た。『消失』。集英社刊。<o:p></o:p>　新刊といっても、書かれたのは2001年である。アメリカでは2024年に出た『ジェイムズ』よりずっと前の作品だ。思うに去年『ジェイムズ』が評判になったので、それまで日本ではほとんど紹介されることがなかった作者への関心がにわかに高まり、旧著も翻訳出版の運びとなったのだろう。<o:p></o:p>『ジェイムズ』では、時代は南北戦争の前、語りては黒人逃亡奴隷ジムであった。『消失』は現代の話だ。書かれた2001年時点での＜現代＞ということだが。<o:p></o:p>　語りてセロニアス・エリスンは1955年生まれの黒人小説家であり、大学教授でもある。すると作者その人とかなりかさなるのではないか。作者エヴェレットは1956年生まれで、やはり大学で文学を教えている（南カリフォルニア大学卓越教授）。創作であるから、もちろん語りて＝主人公は作者そのものではない。しかし、「マーラーとアレサ・フランクリンとチャーリー・パーカーとライ・クーダーを、レコードとCDの両方で聴く」（5ページ）といった主人公の嗜好は、おそらく作者エヴェレット自身のそれではないか。<o:p></o:p>&nbsp;　　ジャズピアニスト、セロニアス・モンク<o:p></o:p>&nbsp;　そんなことを勝手に推測していた、ちょうどそのころ、NHKFMラジオ〔ジャズ・トゥナイト〕という番組を聴くともなく聴いていると、セロニアス・モンクという人名が耳に飛び込んできた。3月25日（木曜）夕方4時を過ぎたところである。〔ジャズ・トゥナイト〕は毎週土曜の深夜、日にちをまたいで2時間枠で放送され、再放送が翌週木曜の午後4時から。私はそれを聴いていた。マイルス・デイビスが今年生誕100年ということで（1991年没）、その日の放送はマイルスと共演した演奏家たちを特集しており、ジョン・コルトレーン（1926-1967）らとともにセロニアス・モンク（1917-1982）も出て来たのだった。<o:p></o:p>番組で流れた、マイルス・デイビスのトランペットとセロニアス・モンクのピアノの共演は1954年のクリスマス・イヴに行われた。番組MCの大友良英氏によれば、それは2人のケンカとして知られるそうだ。取っ組み合いのケンカをしたわけではなく、ただモンクの弾きぶりがきわめて個性的であるので、“クールな”マイルスの演奏とかみ合わなかったらしい。私にはジャズのことはわからないけれど、それでも録音は名盤として残っているのだから、かみあわないなりに素晴らしい演奏なのだろう。「対立物を対立したまま統一する」という花田清輝（1909-1974）の言葉を最晩年の武井昭夫さん（1927-2010）から聞いたことがあったのを思い出す。<o:p></o:p>　前述したごとく私はジャズには無知なので、セロニアス・モンクと聴いて「おや、『消失』の主人公と似た名前だな」と、まず思っただけであった。一呼吸置いてから、主人公セロニアス・エリスンの愛称は＜モンク＞だったなと、ようやく思いあたった。<o:p></o:p>　つまり小説の中で彼が親しい人たちから＜モンク＞と呼ばれているのは、ジャズの巨人とフアーストネームが同じであるのを面白がられてのことなのだ。あるいは、自分からそう称したか。小説の冒頭に、こうある。「私はセロニアス・エリスン。モンクと呼んでくれ」（5ページ）。<o:p></o:p>セロニアス・モンク : 酔流亭日乗　翌3月26日のブログにそのことを書いた。私はブログを更新したら、いつもすぐフェイスブックにもそれを写す。すると〔いてんぜ通信〕の同人である田中伸治さんがセロニアス・モンクのアルバムのジヤケットの写真をFBのコメント欄に貼り付けてくださった。『Thelonious Himself』というアルバムである。ネットで調べると、<o:p></o:p>＜・・「モンクのピアノを純粋に、静かに聴く」ことをテーマに作られたソロ・ピアノ作品として、彼のキャリアの中でも特異な位置を占めるアルバムだ。1957年に録音・発表された・・・＞<o:p></o:p>ということである（〔ロック好きの行き着く先は・・・〕と題するブログから引用）。<o:p></o:p>　私のFBコメント欄には続いて、セロニアス・モンクを論じた別のブログ記事を若い友人のSさんが貼り付けてくれた。それはたとえば<o:p></o:p>＜あらゆる規則や約束事に縛られることを嫌い、何ものにも捉われないのがモンクであった。1960年代の公民権闘争の時代、政治的に共感することがあってもマックス・ローチやチャールズ・ミンガスとは違い、直接的政治行動に関わったり、集団や組織の一部として行動することを徹底して嫌い、多くの慈善興業やギグに出演しても常に個人として単独で行動している。その姿勢は宗教に関しても同じである。＞<o:p></o:p>　また<o:p></o:p>＜物語の途上では米国黒人史で起きた悲惨な事件や政治的事例が数多く挿入されている。モンク自身は、共感するところはあったにしても政治活動には直接関与しなかった純粋な音楽家だったことが本書からわかるが、日本人が知らない、あるいはよく理解していない、そうした歴史的背景とジャズという音楽は不可分なのだという思想はもちろん理解できる。実際モンクを始め、多くのジャズ・ミュージシャンが警察の暴力の被害に会っており、・・＞<o:p></o:p>　どちらも〔odanaka@jazz〕というブログの『モンク考』という記事から引用。二番目の引用記事中に＜物語＞＜本書＞とあるのは、『セロニアス・モンク　独創のジャズ物語』（ロビン・D・Gケリー著、2017年シンコーミュージック刊）という本のことである。<o:p></o:p>　さらに私のFBコメント欄には、私とほぼ同世代のKさんが続く。「セロニアス・モンクと言ったらコレ！」とばかり、「ストレート・ノー・チェイサー」という言葉を教えてくださったのだ。<o:p></o:p>（つづく）P・エヴェレット『消失』をめぐって　～【いてんぜ通信】寄稿『ストレート・ノー・チェイサー』（中） : 酔流亭日乗ドリス・ディの歌とイラン戦争　～【いてんぜ通信】寄稿『ストレート・ノー・チェイサー』（後） : 酔流亭日乗労働者文学会<br />
]]></description>
      <dc:subject>文学・書評</dc:subject>
      <dc:creator>suiryutei</dc:creator>
      <pubDate>Sat, 30 May 2026 06:24:38 +0900</pubDate>
      <dc:date>2026-05-30T06:24:38+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>普天間の＜真実＞は</title>
      <link>http://suyiryutei.exblog.jp/36485750/</link>
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      <description><![CDATA[昨夜、眠る前に本棚を眺めていたら、この雑誌が隅っこにあるのに目が留まった。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202605/29/51/b0050651_08331813.jpg" alt="_b0050651_08331813.jpg" class="IMAGE_MID" height="374" width="281" /></center><br />
月刊誌『世界』の2010年2月号である。特集が＜普天間移設問題の真実＞となっているのに惹かれて、16年前の当時購入したのである。<br />
その特集にはこんな論考が並ぶ。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202605/29/51/b0050651_08325001.jpg" alt="_b0050651_08325001.jpg" class="IMAGE_MID" height="536" width="402" /></center><br />
入江昭氏や翁長雄志氏、外岡秀俊氏らはすでに故人だ。16年の歳月を思う。<br />
さて「普天間移設」をめぐっては、今年になって、大きな、しかし「やはりな」とも思わせるニュースが続いた。普天間飛行場の代替施設とされて建設が強行されてきている辺野古の新基地がもし完成したとしても、それだけでは普天間は返さないよ、という発信がアメリカ側から相次いだのだ。下に貼り付けた記事を参照されたい。<br />
<br />
<br />
日米両政府の不実が追及されなければならないところである。上の記事は『伝送便』誌4月号に寄稿したもの。原稿を酔流亭が『伝送便』誌編集部に送稿したのは、いま送信既歴を確認したら3月13日であった。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202605/29/51/b0050651_09112353.jpg" alt="_b0050651_09112353.jpg" class="IMAGE_MID" height="306" width="230" /></center><br />
3月16日に辺野古沖で船転覆事故が起き、2人の犠牲者が出た。<br />
不幸な事故であり、安全性についてはきちんと検証されなければならない。しかし、それによって普天間や辺野古をめぐる理不尽が覆い隠されてしまっていいはずがない。<br />
この週末、16年前の雑誌特集をもう一度読み返しておきたい。<br />
<br />
<br />
※関連して<br />
<br />
<br />
教育基本法はお門違い　～辺野古沖船転覆をめぐって : 酔流亭日乗<br />
]]></description>
      <dc:subject>ニュース・評論</dc:subject>
      <dc:creator>suiryutei</dc:creator>
      <pubDate>Fri, 29 May 2026 08:29:59 +0900</pubDate>
      <dc:date>2026-05-29T08:29:59+09:00</dc:date>
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