新人事制度 大阪での報告①~③
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『アラバマ物語』を前回観たのは高校三年生のときだと思う。日曜夜9時からの洋画番組であった。亡くなった淀川長治さんが解説をしていた。淀川さんは番組の最後に「サヨナラ・サヨナラ・サヨナラ」を言うだけでなく、冒頭でも作品の紹介をする。これが大変なホメ上手で、どんな映画でも誉めちぎる。中にはつまらない映画もあった。しかし彼の話を聞いてしまうと、つい視てしまうのである。高校三年といえば、酔流亭だって一応は受験生であったから、この二時間のロスはなかなか痛かったのであるが。 『アラバマ物語』は、勿論そんなハズレの作品ではなく、あのころTVで視た中では最も感動したものの一つであった。しかし、昨日またTVで視て、ちょっとショックだったけれど、ストーリーはもう全然憶えていないのである。ただグレゴリー・ペックの役が弁護士であったのと、彼のところに農夫が作物(クルミであった)が入った袋を持って来る冒頭のシーンだけは覚えがあった。その農夫は、相続の問題で弁護士に世話になったのだが、その費用を金で払えないので、自分の農産物を時々届けに来るらしい。 しかし映画や小説の鑑賞法はそれでいいと思っている。ストーリーは忘れてしまっても、接したときの感動がその人間の芯のところに蓄積されていけばいい。 さて舞台となった小さな町があるアラバマ州は、アメリカ南部の人種偏見の強い土地であるらしい。グレゴリー・ペック演じるフィンチ弁護士は、暴行事件の容疑者である黒人の弁護を引き受けるのだが、黒人の弁護をするというだけで非難されるような土地柄である。ところが、裁判の審理過程では、暴行事件はどうやら被害者の白人父娘の狂言であって、その黒人容疑者は無実であることが、誰の目にも明らかとなる。フィンチ弁護士の弁論の優位は圧倒的である。 しかし、にもかかわらず、陪審員たちは黒人容疑者に有罪の判決を下してしまうのだ。 人種偏見と差別の酷さ、地域の主流的風潮への同調意識の強さに愕然とする。意地悪いことを言えば、フィンチ弁護士のインテリジェンスに対して“凡庸なる庶民”(彼らが陪審員を構成する)が抱いた反感のようなものも、いくらか働いたのかもしれない。 そして、判決に絶望した容疑者は、留置場に移送される途中、脱走を図って射殺されてしまう。 なんとも苦い展開である。それがフィンチ弁護士の二人の小さな子供ー兄と妹ーの目を通して描かれる。その事件の後しばらく経って、今度はこの兄妹が襲われる。暴行事件の“被害者”の父親が、弁護士が黒人を弁護したことを根に持って、夜道でこの兄妹に乱暴を振るったのだ。それを救ったのは、近所に住む、心に傷を持つ青年であった。彼は今日で言う“ひきこもり”のようなものだろうか。町の人たちは目を触れないようにしている存在なのであるが(だから、この兄妹も彼の住む家には恐がって近づかないようにしていたのだが)、映画の始めから、子供達を優しく見守っていた。 ・・・以上が、感想も交えた下手な要約である。 世の中とは理不尽なものであって、理性が必ずしも勝つわけではないこと、しかし、それでも穏かに理性を語る人は少数であれ必ず存在していることを、高校生だった酔流亭は胸に刻んだことと思う。それから30数年が経った昨日の午後、50を過ぎた酔流亭は、この映画のエンド・マークを視ながら胸に熱いものがこみあげてきて、しょうがなかった。10代の頃より感受性は確実に鈍くなっているはずだが、涙腺のほうは逆に緩んでくるものらしい。 ▲
by suiryutei
| 2006-06-30 10:19
| 映画・TV
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泊まり勤務から帰宅して朝食を摂り、一眠りして起きたのが午後一時過ぎ。もうすこし寝ておきたいところだが、新聞のTV番組欄によれば、一時半からテレビ東京で映画『アラバマ物語』が放映される。 迷うところである。この時間帯のテレビ東京の映画放映というのは、ものすごくカットされているし、CMが多い。このあいだ視た『ぼくの美しい人だから』なんか、作品は良かったが最後の30分間なんか5分おきくらいにCMが入っていた。 『アラバマ物語』は高校生のとき、やはりTV放映されたのを視て、とても良かったという記憶がある。その記憶のままとっておくか、ズタズタに切られているのを覚悟で視るべきか。 結局、視た。そして、やはり素晴らしかったのである。カットは相当されているのだろうが、それでも通じてくるものは通じる。 そのあたりのことを書きたいのだけれども、なにしろ寝不足なので、今日はこれで力尽きた。明日、もし時間があれば・・・(予告編みたいですが)。 なお、『アラバマ物語』は1962年のアメリカ映画。監督ロバート・マリガン。主演グレゴリー・ペック。 ▲
by suiryutei
| 2006-06-29 19:04
| 映画・TV
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昨日は午後から青空が広がり、梅雨の晴れ間は今日も続くようだ。今年は何だか梅雨入り前と入ってからの区別がはっきりしない。五月から、同じような天気がずっと続いている。カラッと晴れるときがあまり無いかわり、まとまった雨も降らぬのである。 もっともこれは関東での話。ここ数日、九州では記録的大雨だという。雨が少ないことに不満を言ったりしたら、水害に遭った人に申し訳ない。 去年の今ごろは逆に、西日本では全然雨が降らなくて水不足が心配されていたのではなかったかと思う。東はそこそこに降っていた。日本列島は気象も多様である。 昨夜は家で飲み始めたのは午後6時半過ぎか。この季節、天気の良い日は6時をまわっても充分明るい。肴は枝豆、目刺、バチマグロの切り落としなど。ゆるゆる飲んでいるうちに、日が暮れた。BSで映画『ザッツ・エンタティメントⅡ』が放映されるようなので、チャンネルを合わせる。 『雨に唄えば』のジーン・ケリーが監督して、ハリウッドのミュージカル映画の見せ場シーンばかりを集めた作品。1975年制作。 「両雄並び立たず」という言葉があるけれど、同じ時期に二人の傑出した存在が対をなすというのも、よくあることである。李白と杜甫。鴎外と漱石。長嶋と王。羽仁五郎と服部之総なんてのもそうだな。あと馬場と猪木? フレッド・アステアとジーン・ケリーが、ハリウッド・ミュージカルでは、そういう存在だろう。『ザッツ・エンタティメントⅡ』は、この二人が進行役。最後は二人が仲良く踊り、握手して終わる。 ミュージカル映画なんてあまり観ていない酔流亭には、ここに登場する数々の名場面がどの映画のものなのか、いくらもわからなかったけれど、それなりに愉しめた。 さて、今日からまた泊まり勤務。 ▲
by suiryutei
| 2006-06-28 10:40
| 身辺雑記・自然
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![]() 「私は大学受験を前にした高校三年生のとき、東京・国立市の書店で、たまたま『歴史における個人の役割』(岩波文庫)という本を買いました。ゲオルギー・プレハーノフというロシアの思想家が1898年に書いた薄い本です。・・・自分は時代のなかでどんなことができるのかということを考えながら、単調な受験勉強の時期の活力にしていました」(23ページ)。 この国立市の書店というのは、たぶん増田書店だろう。酔流亭も高校生のとき、この本屋でよく立ち読みをしたものだ。水島教授とは、世代だけでなく、或る時期までは暮らしていた地域も近かったらしい。そういえば、酔流亭が『歴史における個人の役割』を手にとったのも、同じ頃であった。プレハーノフは、のちにレーニンと対立するからマルキストの間でもよく言われないことが多いが、理論家としては優れた人である。 さて、本書の著者に感心するのは、現場から物事を考えようとする姿勢に徹していることだ。北海道の自衛隊基地、広島の被爆地、ベルリンにあるヒロシマ通り、そして沖縄。現地に立ち、自分の眼で見、当事者の話を聴く。現場に立つことがなぜ大事かといえば、「戦争というものは、想像力を失ったところから始まります。『向こうにいるのは異民族で恐ろしい敵だから殺せ』という場合でも、相手のことを知らなかったとしたら、想像力を発揮することはできません」(86ページ)。ところが、「時間と場所を一点に特定して入っていくと、そこに生きた人間一人ひとりの顔が見えてきます」(11ページ)。 鋭い指摘もある。たとえば、高度成長期のころ全国にひろがった革新自治体について、「・・革新派があの時点で、福祉政策や国の反憲法的な政策へのプロテストとして『暮らしのなかに憲法を生かそう』とか『憲法を守れ』といったのは、あながち間違いではなかったのです。・・・でも、そのときに一つだけ間違った『刷り込み』が行われました。国権の横暴に対する抵抗の拠点として革新自治体が『生活のなかに憲法を生かそう』という形で、あたかもみんなで守る規範のようにしてしまったことが、問題なんですね」。 「・・こういう構図が、憲法というものの本質を理解することを妨げていると思うのです。憲法は、国民が国(地方自治体も)を縛るものなんです」(215-6ページ)。 指摘されたとおり、これは護憲派も案外見落としている点であって、統治者も被統治者も、つい同方向を向いてしまうのである。しかし統治する側とされる側には緊張関係があるはずだ。統治者の暴走を縛るのが憲法なのである。 しかし本書を通読して、何か物足りない感が残るのも否めない。それは何かと考えるに、凝縮感の欠如ではなかろうか。 あとがきによれば、この本は著者自らが文章を書いたのではなく、二人の編集者が著者の忙間をぬって聞き書きしたものだという。同じ論旨の繰り返しが多いのは、そのせいだろう。相手と向かい合っての会話では、繰り返すことで論点が明確になっていく場合もあるだろうが、文章では逆に陳腐化してしまうことがある。ここは編集者がもっと推敲を重ねて凝縮させたほうがよかったのではないか。 その上で、新書版のような形でもっと手軽に人々が手にとることができるようにしてほしかった。著者が読んでほしいと願っているのは学生など若い世代にだろうが、ハードカバー2000円+税という価格は、その点で、ちょっとどうか。 憲法を守ろうとする者にとっては踏ん張りどころが続く。出版社も、もっと知恵を絞ってほしい。 ▲
by suiryutei
| 2006-06-27 11:08
| 文学・書評
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このまえの土曜日、柄にもなく演奏会というものを聴きに行った。 モーツァルトの生誕250周年を記念する企画で、だから演目は全てモーツァルト。場所は月島に近い第一生命ホール。 中心になった演奏者は川畠成道さん。幼いとき病気で視力を失った。だから楽譜を見ることはできないし、ステージに登場するときも共演者が手を引く。現在我が国で最も人気の高いバイオリン奏者の一人だという。 演奏会は前半がバイオリンとピアノのためのソナタ(ケッヘル.379)。それにアンコール二曲。 後半は弦楽四重奏曲(ケッヘル.421)。アンコール一曲。 演奏者 川畠成道(バイオリン) 横山奈加子(バイオリン) 松実健太(ビオラ) 長谷川陽子(チェロ) 鷺宮美幸(ピアノ) 全員ほぼ同世代(30代)らしい。NHKFMの音楽番組でたまに名前を耳にする人もいて、「ああ、こういう顔してたんだ」と思った。チェロの長谷川陽子さんというのは、現在のNHK朝の連続ドラマ『純情きらり』のテーマ曲を独奏している人だって。 ・・・というわけで、専門的なことはわからないから、「やっぱり生の演奏はいいな」「やっぱりモーツァルトはいいな」としか言えないのだが、演奏を聴いているあいだ「まだまだ聴いていたい」「まだ終わらないでほしいな」というのが一番の感想であった。 今これを川畠さんのCDを聴きながら書いている。妻が持っていたのだが、なんと彼のCDデビュー・アルバムだ。ラフマニノフやメンデルスゾーンやショパンの曲が収められており、黒柳徹子さんが推薦の言葉を寄せている。1999年12月発売。 まだ有名になる前だろうし、妻がクラシックに詳しいわけでもないのだが、発売された当時どこか心を惹かれるものがあって購入したのだろう。 ▲
by suiryutei
| 2006-06-26 09:36
| 音楽
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消費者金融の金利引き下げを巡って、10日ほど前の某新聞に、某大学の某教授が、引き下げに反対する意見を述べていた。 「上限金利が引き下げられると、貸し倒れリスクの高い顧客が、金利に見合った信用が無いとして、市場から排除される可能性がある。・・・上限金利が現在の29.2%から仮に23%になった場合、顧客の46%が借りられなくなる・・」。 この教授の言によれば、消費者金融(つまりサラ金)の顧客の半数近く(46%)は、「貸し倒れリスクが高い」と分類されるわけである。まあ、だからこそ他から借りられなくて高利のサラ金に手を出してしまうのだろうが、そういう人たちは3割近い(29.2%)高利で金を借りて、それをちゃんと返せるのであろうか。結局、高い金利を払い続けた挙句、元本を返しきれずに窮迫していく人が多いのではないか。そうして破産したとしても、金利という形で元本の何倍もの額をすでに回収しているだろうから、サラ金会社は困りはしない。 その教授は、こうも言う。 「・・・ノンバンクが個人に融資し、クルマを買ったり旅行したりすることで、消費が増えてGDP(国内総生産)は伸びる。・・・上限金利が23%に下がると、GDP成長率は0.36%低下する」。 コンピューターでシュミレーションするとそういう結果が出たそうだが、クルマの購入や旅行をする費用を捻出するのに3割近い金利のサラ金に頼るというのは、まともな消費生活だろうか。 サラ金にまつわる悲劇はよく目にする。返済追いたてを受けて疲れ果て、自殺した人も知っている。ところが、この教授のように成長率がどうのという数字ばかり並べていたのでは、そういう生身の人間の生活はちっとも見えてこない。 じつは酔流亭はその教授を個人的に知らないわけではない。高校の同級生だった。親しくはなかったし、卒業してから一度も会っていないが、中学のときから株を買っていたような男だったので印象には残っている。村上ファンドの村上世彰氏は子供の頃から株をやっていたという話を聞いたとき、「そういえばオレの近くにも、似たような男がいたな」と彼のことを久しぶりに思い出したものだ。 村上ファンドに対しては、「ほとんど人間のにおいがしない」という批判が世上なされている。しかし、このファンドに限らず、最近の経済学者の議論には「人間のにおいがしない」ものがいかに多いことか。市場主義を徹底させ、競争原理が貫徹しさえすれば全てうまくいくかのような説を唱える人がいるけれども、その競争原理が貫かれる過程で、どれだけの人間が泣くことになるかには無頓着だ。彼らからみれば「まだまだ厳しさが足りない」日本社会での年間自殺者数3万数千人は、先進国では頭抜けて高い数字なのに。 金融も株も、たしかに経済をまわしていく上で必要なものではあろう。だが、生身の人間を置き去りにして数値ばかりが闊歩する議論は、なんとも寒々しい。 ▲
by suiryutei
| 2006-06-24 10:14
| ニュース・評論
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今日、6月23日は『沖縄慰霊の日』である。61年前のこの日、沖縄の日本軍最高司令官は自刃し、沖縄での組織的戦闘は終結した。 80日余りの戦闘で、この小さな島々に打ち込まれた艦砲弾は60万発、地上砲弾17万発。亡くなった人は20万人を超える。本土からの兵士より住民の犠牲のほうが多かった。それが沖縄戦の特徴である。 しかも、悲劇はこの日以降、さらに続く。組織的戦闘は終結しても、山中に逃げた日本兵の抵抗はくり返され、そうした戦場を逃げまどう住民は「集団自決」に追い込まれた。敵に降伏してはならぬと言い聞かされていたので、住民たちは親子や兄弟や夫婦同士が、愛する者の命を断ったのだ。 どうして投降しなかったか。今朝の朝日朝刊『社説』は、集団自決の事実を調べてきた宮城晴美さん(座間味島生まれ、56歳)の言葉を紹介している。宮城さんも身内に犠牲者がいる。 「皇民化教育は国のために死を惜しまないことを教えた。集団自決は敵を目前にした住民の必然的な行為で、国に死を強いられた」。 靖国神社に総理大臣が参拝するのを支持する人たちは、「戦死者を国が顕彰しないで、誰が国のために命を奉げるか」と語るけれど、国のために命を奉げるとは、沖縄戦のような悲惨を言うのではないだろうか。そんなことがまたくりかえされてはならないだろう。 酔流亭もそうだが、戦争を知らない世代が戦争について語ることはむづかしい。自分自身が体験したことではないからだ。何を言っても「受け売り」になってしまう。今日ここまで書いてきたことにしたって、新聞記事のツギハギだ。そこで、どうせ本当のことはわからないのだから、考えずにおこうということになりかねない。そうして、戦争を知る世代が高齢化し、世を去っていくにつれ、体験は風化していく。 それが怖いと思う。何が行われたのかに耳を傾け続けていきたいと思う。 ▲
by suiryutei
| 2006-06-23 11:08
| ニュース・評論
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![]() 1920年代のアメリカ、無声からトーキーへと映画が変わっていく時代を背景に、トップスター(ジーン・ケリー)と無名の踊り子(デビー・レイノルズ)の恋物語。音楽(あの有名な主題歌!)もジーン・ケリーのダンスも素晴らしいのは勿論だが、ヒロインのデビー・レイノルズがなんとも可憐だし、繁栄の絶頂期の虚飾への風刺も利いている。共演のドナルド・オコナーがまたよかった。 酔流亭がこの映画を初めて観たのは高校生のときであった。当時、東京12チャンネル(現在のテレビ東京)が、古いミュージカル映画を毎週放映していて、その一本として視たのである。セリフは吹き替えで、ジーン・ケリーの声は愛川欣也ではなかったかと思う。これはいただけなかった。ミュージカルというのは、普通の会話から突然、歌や踊りに移行したりするわけだから、どんな秀作でも、いくらかは不自然さが出るものだが、吹き替えではこれがどうしようもなくなる。日本語で会話していたのが、唄いだすと英語なのだから。だいいち、ジーン・ケリーと愛川欣也では役者が違いすぎる。 昨日、字幕スーパーで視ると、その不自然さがまるで感じられなかった。恋する者の喜びが溢れているので、役者が唄いだしたり踊りだしたりすることに視る側も違和感を持たないのだろう。 ヒロインの敵役は容姿はよいのだけれど、悪声でセリフがしゃべれない。トーキーへの転換という流れの中で彼女が破滅するのは、いくらか非情でもある。当時のアメリカ社会自体が、それから数年後には大恐慌を迎えることになる。観ようによっては、いくらかの苦味もある映画なのだ。それを含めて、視終わった後の爽快感には、映画の醍醐味を感じる。 ▲
by suiryutei
| 2006-06-22 10:54
| 映画・TV
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先週後半から続いた泊まり勤務も今日まで。朝、仕事を終え、いくらかの開放感に浸りながら11時過ぎ、暖簾を出して間もない[まつや]に入った。泊まり勤務の打ち上げには、この蕎麦屋で軽く一杯がいつもの習いです。 すると、入り口近くの席にさいとうさんがすでに座っているではないか。「さいとうです!!」というハンドルネームで時々コメントをくださる、そのさいとうさんだ。カレー南蛮を饂飩で食べておられる。 彼の向かいに座らせてもらった。ビールの小瓶とかまぼこを注文。ビールはすぐ空にして燗酒に移行する。 さいとうさんは饂飩を食べた後、御飯を一膳注文して、カレー汁の残ったのをそこにかける。これがなんとも美味そう。また、酔流亭もいつかやってみたいとかねてから思っていたことである。 もっとも、向かいに座っている人間がやっていることを「美味そう」と感じたのは、さいとうさんも同様だったようで、御飯を食べ終えるや、ついに彼も「熱燗一本!」とやったのである。こんなふうに、なりゆきで酒になるというのがまた、蕎麦屋の愉しいところだ。 ということで、二人でしばし酒酌み交わす。 今日は夏至。いちばん日が長い日の昼酒は美味しかった。〆は、ごま蕎麦。 ▲
by suiryutei
| 2006-06-21 18:21
| 酒・蕎麦・食関係
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日経新聞といっても株の動向の記事ばかりではなく、最終面は文化欄になっている。今日(20日)のその文化欄に、依田勉三のことが書かれていた。明治時代、まだ原野が広がるばかりだった北海道のオベリベリ(帯広)に、最初に開拓の鍬をふるった人である。 依田勉三は1853年、伊豆の豪農の三男として生まれた。慶応義塾に学んで殖産興業の重要性に気付き、学友らと共に『晩成社』という開拓会社を作った。伊豆の小作人など20数人を連れて十勝川の河口から分け入り、オベリベリに到着したのは1883年(明治16年)のことである。そこは原始林が生い茂り、鹿と熊とアイヌの人々が暮らす別世界であった。悪戦苦闘しながら水田を開き、寒冷の地で初めて稲作を成功させた。 今月復刊された色川大吉著『近代国家の出発』(中公文庫 日本の歴史21巻)にも依田のことが出てくる(第9章「北海道開拓」)。 「・・・しかし、開拓の成果を享受するまでもなく、かれらは建設の途上に世を去り、せっかくの土地も詐欺師のような人物たちの手に渡してしまった。それをもって、晩成社の事業は失敗だったといえるだろうか。それにしては、かれらが汗と涙をそそいだ十勝の原野はいま豊かな沃野とかわり、かれらがひらいた帯広の町には、人びとのどよめきが聞こえるではないか」(文庫旧版241ページ)。 酔流亭が依田勉三の名に覚えがあるのは、彼が生まれた伊豆の家を知っているからである。西伊豆の松崎で、海辺からすこし奥に入った大沢という土地にある。なぜ知っているかというと、温泉が湧くその地で、依田家は現在、温泉旅館を経営していて、誰でも泊まることができるからだ。江戸時代から残る庄屋屋敷を生かした旅館として有名だから、旅好き・温泉好きの人なら知っているだろう。天保のころ建てられたという座敷や蔵に宿泊することができる。 酔流亭が何度か出かけて行ったのは、主に30代のときであるから、もうだいぶ以前である。民宿をグレードアップしたようなところがあって面白かった。夜はロビーで餅つきをしながら、依田家の歴史や土地のことを番頭さんが語ってくれた。かつては養蚕業などもやっていて、生糸の価格の情報が横浜から入るのに一喜一憂していたという。のちに歴史の本を読んで“豪農マニファクチュア”という言葉を目にしたとき、ああ依田家みたいなのを言うのかと思ったものだ。 今は経営者も代替わりしたそうだし、建物はそのままでも経営スタイルはいくらか変化してしまったかもしれない。夏に泊まったとき、夾竹桃の花が部屋の花瓶に生けられていたのを思い出す。 ▲
by suiryutei
| 2006-06-20 14:46
| ニュース・評論
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