新人事制度 大阪での報告①~③
最新の記事
タグ
労働(79)
郵便局(29) 辺野古(21) 韓国(19) 朝鮮半島(11) 文学(9) なつぞら(8) NHK朝ドラ(6) 蕪水亭(5) ベネズエラ(4) 関西生コン(4) 関西生コン労組(4) 神田まつや(4) 台風19号(4) 慰安婦(3) 生活綴り方運動(3) 徴用工(3) 天皇(3) 労働者文学(3) ノレペ・ウリナラ(2) 最新のコメント
最新のトラックバック
記事ランキング
カテゴリ
以前の記事
2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 more... ブログジャンル
画像一覧
検索
|
昨日(28日)は泊り勤務の明けで、午前11時過ぎに帰宅した。ビールを飲みながら朝昼兼用の食事を摂った。 食べ終わろうとするころ正午を過ぎて、TVはNHKの昼のニュースの時間である。 アフガニスタンで殺害された伊藤和也さんのお父上の姿が画面に映された。その映像をいま思い出しても、こみあげてくるものがある。「和也は家族の誇りだと、胸を張って言えます」。しっかりした口調で、父は取材にそう応答していた。 海外で武装集団に誘拐されたり殺害される若者に「自業自得」「自己責任」という言葉を浴びせ揶揄する風潮が我が国にはある。息子の死をそんなふうに冒涜はさせないぞという父の思いに胸を打たれた。 画面が切り替わって、町村官房長官の記者会見の模様。殺害事件について町村長官は「『テロとの戦い』を継続する」と述べた。この画面を視て、酔流亭の胸にこみあげてきたのは、今度は怒りだ。アメリカや日本の政府が進める「テロとの戦い」こそが、あの若者を死へと追いやったのではないか。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ そのあとのイラクへの侵攻があまりに強引であったから、その異常さを強調するためのレトリックとして「アフガン空爆まではアメリカの行動もやむをえなかったかもしれないが・・」という言い方をする人もいる。だが、冷静に考えるなら、あの9・11の一月後に開始されたアフガニスタンへの空爆も、随分非道なものであった。 数千人の犠牲者を出した9・11世界貿易センタービルへの自爆テロを受けて、アメリカは超大国の威信にかけて報復先を見つけるのに血眼となった。そうして選ばれたのが、まずはアフガニスタン。自爆テロ実行犯と目された(じつはこれも断定するにはいまだに“状況証拠”の域を出ていないのであるが)アルカイーダに、当時のアフガニスタンのタリバーン政権が同情的だったことに目をつけ、これを報復対象に祭り上げたのである。そして近代国家としての統治も充分及んでいないようなアフガンの大地に爆弾をばらまいた。大使さんがTBしてくれた記事での伊勢崎賢治さんの話によれば、、2001年の報復攻撃のときだけでも3000人を超す死者が出、その数字は年々膨らんでいる。多くの子供たちの命も奪われた。 9・11のショックには同情するといえ、また当時のタリバーン政権がいかに思慮を欠いていたといえ、アフガニスタンの民衆を無差別に殺害していい権利などアメリカにあるはずがない。 ヒロシマ・ナガサキでの無差別殺戮を経験した日本こそ、このときアメリカの愚挙と盲進を諌めなければならなかったろう。ところが日本政府にとって理非は二の次で、頭にあったのはいかにアメリカの歓心を買うかであった。そうしてアメリカと共に邁進した「テロとの戦い」が、その後どう展開されたか。アフガンの次の標的となったイラクでは、当時のフセイン政権とアルカイーダとのつながりは立証できず戦争目的は「大量破壊兵器の存在」にすりかわり、事実はその「大量破壊兵器の存在」すらでっちあげだったことが今日明らかになっているのだ。いっぽう今日もうひとつ明らかになっているのはイラクの石油をめぐる見苦しい利権争いである。あれは石油のための戦争でもあった。 こんな無茶苦茶をやっておっては、「テロとの戦い」は世界の泥沼化とテロの拡散しか結果しない。 殺された伊藤和也さんが所属するペシャワール会は、9・11や「テロとの戦い」よりはるか以前よりアフガニスタンの地で地道な活動を続けてきた。それが住民にどれほど信頼されているかは、昨日今日の報道からもわかる。武力をふりかざすアメリカ、それに追随する日本が、この人たちの貴重な活動を危険な状態に追いやっているのだ。 ※『フォーラム色川』のブログに、ペシャワール会代表・中村哲さんの講演についての報告が載った記事がありますので、リンクします。 ☆『中村哲さんの講演会に行きました』(08年2月13日) ▲
by suiryutei
| 2008-08-29 10:52
| ニュース・評論
|
Trackback(2)
|
Comments(6)
このあいだ閉幕した北京五輪では、実況放送を視ていると、「勝ちたいと思う気持ちが強いほうが勝ちます」といった類の精神力の強調が、ずいぶん耳についた。 精神の強さが言われるとき、二通りの意味があると思う。 ひとつは、プレッシャーに潰されたり大舞台にのまれるなということ。これは、まあわかる。そして、この点では日本の若者たちは随分たくましくなってきたのではないか。こういうことは個人差があるから、自分の力を出し切れなかった選手もいたようだけれど、バトミントンやフェンシングの予選で世界ランク1位の相手に勝ったり、競泳決勝では自己記録を大幅に縮めてメダルを取った選手がいる。女子ソフトボールは延長につぐ延長で決勝戦にたどり着いて最後に笑い、陸上男子400mリレーでは、メンバーの誰一人個人種目では決勝にも残れなかったのに、最後の大舞台で世界の強豪と駆けっこして3位に入ってしまった。 しかし、どうももうひとつの意味があって、これは冒頭の言葉通り「勝ちたいとより強く念じたほうが勝つ」と思い込んでいる人がいるらしい。 そのむかし、長嶋茂雄さんがTVの解説に引っぱりだされていた頃、「この試合は点をたくさん取ったほうが勝ちます」とおっしゃったことがあった。 長嶋さんの言いたいことならわかるのである。球技というのは得点の多かったチームをもって勝者となすという当たり前のことを敢えて伝えたかったのではなく、つまり「このゲームは打撃戦になりますよ」と予想したのだ。 しかし、「勝ちたい気持ちが強いほうが勝つ」という解説は意味不明である。いやしくも五輪に出場してくるなら、どの選手だって勝ちたい思いは持っているのであり、そんなことの競い合いをしたって、しょうがないじゃないですか。 いや、この場合だって解説者はおそらくこう言いたかったのかもしれない。途中経過でリードされていても投げ出すな、最後まで全力を尽くせ、と。しかし、ならば、その通りに言えばいいのであって、勝ちたいほうが勝つなんて無責任なことを口にしちゃいけない。 4年前のアテネ五輪でシンクロ銀メダリストだった武田美保さんによれば、かつてシンクロの日本チームを育て、今回の北京では中国チームを躍進させて銅メダルに導いた井村雅代コーチという人は「技術指導にとにかく時間を割く」という(8/24朝日朝刊)。精神力ばかり強調されるより、そういう指導を受けたほうが、スポーツ選手はやはり伸びるだろう。 それにしても、「身体を張ってメダルを取って来い」とか「日の丸を背負って戦う」とか、あるいはやたら熱くなって“感動”を強要するキャスターとか、なにやら戦前の“一億一心”的精神風土がなお継続していないだろうか。 大和魂をふりかざして突き進んだ、あのひどい戦争で最大の被害を与えてしまった相手が、今回五輪の開催地・北京を首都とする中国であった。私たちはこのことも忘れてはならないだろう。 ▲
by suiryutei
| 2008-08-27 18:48
| スポーツ
|
Trackback(2)
|
Comments(17)
昨夜は酒盃片手に永井荷風の『葛飾土産』を飛ばし読みした。 短い随筆だから一晩あれば通読できるのだけれど、なにしろ酒飲みながらである。それにNHKが北京五輪放送の「総集編」を放送した(一時間半の枠で、なかなか手際よくまとめていたと思う)のを横目でチラチラ眺めながらであった。 この作品を手にとる気になったのは、henryさんが市川の真間の思い出をご自身のブログに書かれていたからだ(『真間へゆくみち』。素晴らしい文章である)。永井荷風も、空襲で都内の自宅(かの「偏奇館」)を焼かれたから戦後は市川に住んだ。『葛飾土産』はそのころの文章である。 そして、じつは酔流亭も20代後半のほんの数年間だが市川に居たことがある。職場の独身寮がここにあった。もっとも、その寮は総武線の市川駅のそば。真間なら京成線の駅のほうが近い。 荷風はやはりいいですね。酒飲みながら、またTVの画面へ視線ちらちらでは申し訳なかった。戦後の荷風はロクなものを書かなかったけど『葛飾土産』だけは別、これはいいと、たしか石川淳の言葉である。 酔いがまわってきた勢いで、本棚にあった安岡章太郎『僕の東京地図』にも手を伸ばした。冒頭に小岩と市川のことを書いているからだ。 小岩と市川の間を流れる江戸川(この流れが東京と千葉を分かっている)を眺めて、安岡さんは与謝蕪村に思いをはせる。蕪村の『春風馬堤曲』を想起するらしい。 『春風馬堤曲』は、生まれ在所の毛馬村(大阪である)までの道中、淀川の堤を歩いて行くときの話ということになっているが、安岡さんは江戸川の流れを淀川に見立てるのだ。そして、こんなことを書く。 「・・・ただ、蕪村のことは何となく好きなのである。阪神タイガースというのは、巨人に負けるために存在しているようなチームだが、野球は知らなくても阪神ファンだという人がいる。僕の蕪村びいきも、そんなものだ」 蕪村は俳句では芭蕉に、画では大雅に及ばずつねに二番手といったようなところがある。そこを、決して優勝できないタイガースになぞらえたのである。 安岡さんがそう書いて、四半世紀近くたつ。今年のタイガースはダントツで優勝へ向け驀進中だ。 時は流れる。酔流亭が市川に住んでいたのも安岡さんがこの文章を書いたのと同じ頃だが、野球と同様、あのあたりの風景も大きく変わってしまったろう。 ▲
by suiryutei
| 2008-08-26 12:15
| 文学・書評
|
Trackback
|
Comments(2)
今月はお盆を挟んでその前後に数日間ずつの有給休暇を取った。 昨日の日記でも話題にしたが、酔流亭が従事している夜間中心の変則勤務ではどうしても寝不足になってしまう。暑い夏はことにそうだ。それで、ここ数年、8月はバテバテになってしまうのである。そこで今年は夏以外の季節に有給休暇を使うことをなるべく我慢して、一番暑い時季に休みを集中させることにした。お盆のときは休暇を希望する職員が多いから、お盆は出勤してその前後を休む。 そうして実現した夏休みをどのように過ごしたかは、この日記に書いてきたとおり。 ブログ仲間に誘われて初めて行った寿司屋で大酒したり、去年亡くなった同僚を偲んで一席設けたり、旧友たちと秩父に一泊旅行したり、入院中の知人を見舞ったり、またがじゅたんが我孫子まで遊びに来てくれたりした。日記には書かなかったが旧友が企画する勉強会に加わることにもなった。 ![]() つまり遠出はしなかったけど、それなりにあれこれあった夏休みであった。“安・近・短”というのはずいぶん前からある標語だが(バブル景気以前から?)、例の原油高で今年また復活したらしい。安くて近くて短い、である。酔流亭の夏休みはそれだったけれど(寿司屋ではちょっと贅沢した)、満足している。五輪の中継も視られたしね。 23日から、また泊り勤務に入る。その前夜は早めに眠りについた。いや北京オリンピックでの陸上400mリレー決勝がその夜あるので、その実況を視るまで起きているつもりであったのが、まだ明るいうちから飲み始めたせいか、夜10時をまわった頃にはむやみに眠たくなって寝てしまった。リレー決勝の放送は11時過ぎだったらしい。 翌朝、目覚めてTVを点けると朝のニュースが「日本チーム、銅メダル獲得!」を報じている。もうすこし起きていればよかったな。 窓を開ける。風は妙に肌寒い。9月なかば過ぎの気温だそうだ。 酔流亭の短い夏休みが終わり、オリンピックも閉幕し、空気は急に秋めく。ちょっと早すぎるなあ。 ▲
by suiryutei
| 2008-08-24 18:50
| 身辺雑記・自然
|
Trackback
|
Comments(2)
21日の夕刊で見つけた記事。 朝日新聞では、福原愛ちゃんが五輪で世界ランク1位の選手に敗れたものの、なかなか善戦したという記事の左下に載っていた(一面)。 仕事の時間帯が昼だったり夜だったりする交代制勤務の人は、そうでない人と比べて血圧が高くなる危険が約1・2倍あるそうだ。 ![]() この調査は、関東地方の大手製造業の事務所で働いている人を対象に行われた。注意すべきは、調査対象となった人たちは「空調のある部屋でモニターを見ながら機械を操作する仕事が基本で、特に体を激しく動かすわけではない」という点だ。 ならば、力作業をしている人、真夏に炎天下で作業する人、真冬の深夜に寒風吹きさらしで作業をする人は、もっと危険な数字になるのではないか。 3年前には、やはり変則勤務をしている人は、前立腺ガンになる確率が昼間だけの勤務の人より3・5倍も高いという調査結果が出されている。そのニュースはこのブログでも記事にした(下にその記事をリンクしておきます)。自分の職場でも深夜勤が導入されて1年半ほどたったところで、以前に比べて身体の疲れ方が比較にならないほどきつかったから、変則勤務による健康破壊はまさに自分の問題であった。そのとき酔流亭はこう書いた。「・・この勤務(深夜勤のこと)を導入したのは、『死にたくなければ、さっさと退職しなさいよ』という首切り施策なのだろう」。 そして実際、去年一年間だけで同じ課で二人の人間が命を落としている。 それにしても、せっかくの労働衛生学の研究成果を、労働組合は活かすときではないのか。 ※関連する過去ログとして ☆『3・5倍の戦慄』(05年9月7日) ▲
by suiryutei
| 2008-08-23 16:49
| ニュース・評論
|
Trackback
|
Comments(6)
待ち合わせした午前11時きっかりに、我孫子駅改札口にがじゅたんが現れた。北千住を過ぎてからは、ずっと窓の外を眺めていたという。都内の、どちらかというと多摩川に近いほうに暮らしている彼女にとって、利根川の渡し場として開けてきた水戸街道・我孫子ノ宿までは、ちょっとした夏の小旅行であったろう。 妻の運転する車で、まずは手賀沼公園にご案内。たまたまこの日は、我が家の車を車検に出した日であって、だから慣れぬ代車だったんであるが、なかなか上手に運転なさる。おかげで酔流亭は昼間っから酒が飲めるのである。 ![]() それから蕎麦の[湖庵]へ。『花まき日記』に先日UPされたこの店の写真にがじゅたんはおおいに興味を惹かれたらしく、それでわざわざ我孫子まで来てくれたのだ。 がじゅたんはさっそくせいろを注文。車の運転がある妻も飲めない。酔流亭一人が、まずは生ビールを。注文を聞いてから茹でる枝豆、酒肴三種盛り(この日は穴子の煮凝り・鴨ロースト・ホヤの塩辛)が美味しい。 続いて清酒の一合目は「南部美人」。もちろん岩手の酒。 酒の品書きに「五人娘」というのがあった。千葉の酒である。それでお代わりはこれをもらうことにした。注文するとき、つい言い間違えて 「五人囃子を」とやってしまったのだが、がじゅたんがすかさず呟(つぶや)いて 「と笛太鼓」 今日は楽しい雛祭り~♪ と続く歌の文句だ。がじゅたんて、ホントに面白くて賢い娘さんだ。 手賀といふ沼のほとりの蕎麦屋にて一合二合旨(うま)きひやざけ それから酔流亭は穴子天せいろ、妻はぶっかけ蕎麦、がじゅたんはせいろのお代わり。 穴子がじつに美味かった。骨の揚げ加減も絶妙。 ![]() 店を出てから、手賀沼にかかる橋を渡って「道の駅」に行き、そこのレストランでお茶。橋を渡るときの手賀沼の眺めが悪くないのである。 ▲
by suiryutei
| 2008-08-22 10:15
| 酒・蕎麦・食関係
|
Trackback
|
Comments(6)
知人の見舞いをし、そのあとビヤガーデンに寄った帰りは、常磐線車内で眠ってしまって駅をひとつ乗り過ごしてしまった。連日の暑さで疲れが溜まっている時季である。 翌日も勤務は休みだったので、この日は一日何もしないことに決めた。午後2時から『ちりとてちん』の特別篇が放送される。以前BSで放送されたとき妻にビデオに撮ってもらって一度視ているのだが、この日はヒマな身である。改めてまた視た。 言うまでもなく今年3月まで放送されていたNHK朝ドラの番外編である。これにはヒロインは登場せず3人の兄弟子が主役だ。 ヒロインのB子と夫の草々が若狭にしばらく滞在していたとき(本編では中盤、ヒロインの親友・順ちゃんが妊娠→結婚する頃)、若狭に遊びにというか様子を見に来た兄弟子たちが大阪に帰る道中でのエピソード・・・ということになっている。 3人の乗る車が夜、道に迷って民家に一夜の宿を借りるという導入に、酔流亭はどういうわけか高校生のとき英文で読んだイギリスの怪談を思い出した。 本屋で英文の適当な文集を見つけてきて辞書と首っ引きに和訳するというのが高校三年生のときの酔流亭の唯一の受験勉強だったのだが、それで読んだ話である。 小さいとき家を出た男が、旅人の格好で田舎にあったその自分の家を訪ねた。家にいる彼の両親は、なにしろ小さいときに別れたきりなので、その旅人が自分たちの息子であることに気づかない。男は、翌朝になってから名乗り出るつもりで、その夜は眠りにつく。ところが、その両親は、今は旅人を家に泊めて、夜中に殺してしまって金品を奪うことを生業にしていたのだ・・・・という話であったような記憶がある。 もちろん『まいご三兄弟』はそんな怪談めいたストーリーではない。しかし3人のひとり四草と家のあるじはあるいは実の親子であるかもしれぬという展開なのである。この二人(四草は加藤虎ノ介さん、あるじを演じるのは田村亮さん)の台詞が、虚実ないまぜになって、なかなか味がある。表情に含みがあるから視る者はどこまでが本当かと思ってしまう。しかし、ウソ話の中にも、相手を思いやる心根はマコトである。 そこが、ちょっとグッとくる。 また新作が視たいなあ。 ※関連する過去ログとして ☆『ちりとてちん恋いし』(08年4月12日) ※花まきブログからも関連記事を ☆『朝日新聞コラム「ちりとてちん外伝」に納得!』(「花まき日記」08年8月20日) ▲
by suiryutei
| 2008-08-21 09:27
| 映画・TV
|
Trackback
|
Comments(4)
15日に見舞いそびれた知人を、改めて見舞ってきた。彼は御茶ノ水駅近くの病院に入院している。今回は友人と駅で待ち合わせて二人で行った。 病室に行くと、また姿が見えない。同室の方に尋ねたら、「○○階にいるのでは」ということである。それは最上階で、レストランなどがある。上がってみると、いたいた。ロビーで電話中であった。 レストランで面会する。そのレストランは、窓からの眺めがよかった。東京都心というのは大体がデコボコな地形なのであるが(だから都内には谷が付く地名がやたら多いでしょ。入谷・下谷・渋谷・谷中・・・)、御茶ノ水駅のある駿河台はその中で標高(というほどのものでもないけれど)の高いほうである。そこに建つ病院の最上階であるから、都内がほぼ見渡せる。すこし先のほうにこんもりと緑がふくらんでいるのは、上野の山だろう。 メニューには生ビールもある。知人に悪いかなとちょっと思いつつも(^^ゞ、酔流亭と友人はそれを注文する。知人はコーヒー。 思ったより元気そうであった。「ちょうどオリンピック開催中でよかったですね。実況をほとんど視れるでしょう」と軽口を叩くと、「でも野球は視てると胃が痛くなりそうです」とのこと。星野ジャパンは苦戦してますからね。 一時間ほど雑談。友人は紅茶、酔流亭は15日に買っておいた雑誌『世界』を差し入れて病院を辞した。 15日もそうだったが、この日も暑い ![]() その、いまビヤガーデンになっている中庭から坂道を挟んだところに小さな公園があって蝉がよく鳴いている。その公園のすぐ先には夏目漱石が通っていた小学校。都心で蝉時雨を聴きながらの生ビールは悪くなかった。 入院中の知人と三人で、こうしてよく一緒にビールを飲んだものであった。この夏も、梅雨入りしたばかりの6月なかば、三人で立川高島屋屋上のビヤガーデンに行った。そのときは、うち一人が近く入院することになるとは夢にも思わなかった。 知人が退院したら、もうこのあいだみたいに大飲みさせはしないけれど、また三人で語り合いたいものだ。 ▲
by suiryutei
| 2008-08-20 10:17
| 身辺雑記・自然
|
Trackback(1)
|
Comments(0)
北京五輪で日本の競泳チームは、北島康介選手の二つの金メダルの他に三つの銅メダルを取った。どれも見事なレースであった。 といっても、酔流亭が実況で視たのは松田丈志選手の200mバタフライだけ。中村礼子選手の200m背泳ぎと競泳最終レースの男子400mメドレーリレーは勤務で視られなかった。後で録画で視た。 アテネに続く中村選手の二大会連続メダル獲得というのは、日本人女子競泳選手としては72年ぶりだという。また26歳でのメダルも、日本女子競泳選手では歴代最年長とか(まだ26、なのにね)。たしかに競泳の、ことに女子選手は競技者年齢が若いし、短い。 それにしても、伸び盛りの中学生や高校生ならともかく、20代なかばのベテランが、レース本番で自己記録を一気に1秒以上短縮するなんて、とんでもないことである(これはバタフライの松田選手もそう)。立派だ。 男子メドレーリレーも(実況で視れなかったのが癪だが)見ごたえがあった。北島選手の奮迅ぶりはもちろんだが、他の三人もよく泳いだ。バタフライの藤井選手など、“8冠王”フェルプス選手(米国)に抜かれたとはいえ、よく追いかけてラスト近くでは逆に差を詰め返したほど。 ただ、実況のアナウンサーはちょっと力が入りすぎていたのではないか。4位で引き継いだ北島選手が飛びこんで浮上した途端「(トップに)並んだ、抜いたあ!」と叫んでしまった。 実際には、北島選手が先行するハンセン選手(米国)をとらえてトップに立ったのは残り25mのところ。そして身体半分近いリードを奪って藤井選手に引き継いだ。北島選手は後半が強いのだから当然の展開であり会心の泳ぎだったろう。 茶々を入れる気はない。むしろ自戒を込めて思うのである。このアナウンサーの“勇み足”には我々が普段おちいりがちな発想法が現れている、と。 つまり目の前の現実を、事実に即して見て判断するより、こうあってほしいという願望で置き換えてしまう。事実から出発するのではなく、こうなるはずだという思い込みの枠に事実を押し込めようとする。 たとえば経済情勢の分析である。サブプライムローン問題が深刻化する一方の最近はさすがに影をひそめたが、ひところは「これからどんどんよくなる」と、根拠も無いのに楽観視する政治家や評論家が少なくなかった。これなどは思考することを放棄して自分の願望で置き換えてしまったケースであろう。 話がそれました。今朝(19日)の朝日新聞スポーツ欄は五輪競泳の日本人選手のレースを総括して「北島の一人舞台だったと言っていい」と断じているけれど、そうだろうか。 たしかに北島選手の二冠は立派だ。メドレーリレーでの引き継ぎタイム58秒07も驚異的。 だがメドレーリレーでいえば、世界新記録のアメリカの優勝タイムと400mを泳いで2秒と遅れていないのである。他の3人も力泳したのだ。 頂点にしか目がいかないというのであれば、日頃の朝日新聞らしくないのではないか。 ※関連する過去ログとして ☆『銅メダルの涙』(08年8月14日) ▲
by suiryutei
| 2008-08-19 09:50
| スポーツ
|
Trackback
|
Comments(0)
15日の夕方、この日は夜は新宿で会合があったのだが、その前にお茶の水に寄った。近くの病院に知人が入院しているのを見舞おうと思ったのである。 駅前の書店で雑誌『世界』の9月号を買う。入院している知人は読書好きだから、病室では活字に飢えているだろう。差し入れにしようと思った。 ところが、訪ねていった病室に彼の姿が無い。同室の人に訊いたら「日曜まで家に帰っているよ」ということであった。 15日の金曜といえばお盆休みの最中である。彼はずっとベッドに横になっていなければいけないような容態ではない。外泊許可が出て一時自宅に戻るのは考えてみれば当然であった。 さて、新宿での夜の会合まではまだ間がある。山の上ホテルのコーヒーパーラーで時間をつぶすことにした。 熱い紅茶を注文し、さきほど書店で買ったばかりの『世界』を開く。「グローバル・クライシス」と題する連載(三回目)に目を通した。執筆者は金子勝・慶応大学教授とアンドリュー・デビット立教大学教授の二人。酔流亭は『世界』の定期読者ではないから、この連載を読むのは初めてだ。この号の論考の文責は金子教授のようである。 それによれば、世界はいま二つの大きな長期波動の中にあるという。 ひとつはエネルギー転換という長期波動である。「石油の時代」の限界が来たということだ。地球温暖化をもたらす化石燃料からの脱却という波だ。 そして、これと重なり合うようにもう一つの波がやってきていて、それは米国中心の「金融資本主義」の破綻である。 「こうした状況下で、国内外の政治家を筆頭に、石油や食料価格の上昇を『投機マネーのせい』だと非難する傾向が強まっている」(100ページ)。 じつは酔流亭もそう考えてきた。7月18日の日記(『漁民たちのストライキ』)にも、そう書いた。ところが、金子教授はこう指摘する。 「たしかに、投機マネーが石油や食料の価格上昇の一因であることは疑いない。そして、この投機マネー犯人説は『分かりやすい』ので、メディアもそれに乗る。しかし、そこには大きな落とし穴がある。日本の環境エネルギー政策の決定的遅れを免罪しようとする意図が隠されているからだ」。 環境対策においては日本は世界の優等生だと、酔流亭はこれまで漠然とそう考えていた。ところが、これはどうも怪しいらしい。 「たしかに石油ショック以降、日本のエネルギー効率の向上はめざましかった。だが、バブルが崩壊した90年以降、不良債権処理にもたついている間に、日本のエネルギー効率は悪化していった」(102ページ)。「・・日本は市場原理に任せればよい、米国についていけばよいという『構造改革』路線をとってきたために、政府介入を伴う政策努力を怠ってきた。その結果、欧州諸国を中心に京都議定書を達成しているのに、日本は未達成のまま大幅に立ち遅れてしまったのだ」。 たしかに戦争でも経済政策でもアメリカに追随してきた日本が、環境問題にかぎってアメリカと距離をとれるはずがない。「日本政府は、洞爺湖サミットにおいて、京都議定書つぶしとCO2削減目標の合意を阻止するためにブッシュ政権がとってきた一連の戦略をそのまま持ち込む役割を担った」(103ページ)。 しかし、そのアメリカに変化の兆しが見える。今秋の大統領選挙では民主党のオバマ候補が勝つ可能性大だからだ。「エネルギー産業をバックにしたブッシュ政権とは逆に、オバマは環境政策を強力に推進する。いまや米国は、深刻な不況の中で、『環境エネルギー革命』以外に雇用を作り出す道はない」からだ。 そのとき日本はどうするのであろうか。強い者についていけば間違いないと思っていたのに置いてけぼりをくわされるのだろうか。慌てて自分も方向転換するのか。 方向が変わること自体はよいことだとしても、その変わり方はどうもみっともないことになりそうだ。 ※友人の入院見舞には、近いうちに改めて行くつもりである。読み古しとなった『世界』は、そのときやはり持って行ってやろうと思う。他に新しい雑誌も添えて。 ▲
by suiryutei
| 2008-08-18 10:46
| ニュース・評論
|
Trackback(2)
|
Comments(6)
|
ファン申請 |
||