新人事制度 大阪での報告①~③
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燗酒には、熱燗・燗・ぬる燗と三通りある。もっとも熱燗と(ふつう)燗との境目は最近では曖昧になる傾向にあるようだ。いつだか酔流亭だって、神田の[まつや]で新しい花番さんに燗酒を注文したとき 「熱燗ですか?」 と訊き返されたのに 「いや普通の燗」 と返すのも面倒なので「はい」と答えてしまったことがある。若奥様がそれに気づいて 「いつもは普通燗なのに、いいんですか?」 と尋ねてこられたのには恐縮した。客の好みを熟知しているのである。 そんなわけで、燗のつけ具合はほどほどを好む。ぬる燗では、ゆっくり飲んでいると終いのほうは常温に近くなってしまうし、熱燗では酒の香りがわからなくなってしまうように思えるのだ。 ところが、その酔流亭が、この冬は熱燗にしてもらうことが多かった。今年はそれだけ寒かったのである。北風がひゅうひゅう吹く街を歩いてきて、暖簾をくぐって店に入り、熱いのをきゅーっとやる。こたえられませんでしたねぇ。 数日前、昼の勤務を終えてから、また[まつや]に寄った。日暮れると急に寒くなるけれど、それでも彼岸前と比べれば冷え込みは、もうさほどでもない。桜も、例年より遅れてまだ蕾(つぼみ)ながら、その蕾が膨らんできた。そろそろ自分の好みに戻すときだろう。熱燗ではなく、普通の燗にしてもらう。肴は塩漬けされた雲丹(うに)。小鉢に小さく盛られて、柚子が一片添えてある。これが清酒に合うんだ。 徳利を一本空け、お代わりをもらうとき鍋焼きうどんを注文した。鍋焼きは寒いときの食べ物である。いま食べておかなくては、このさき気温が上がっていけば機会を失う。それに、これは酒の肴にもなるのである。小ぶりの天麩羅・かまぼこ・煮しいたけ・麩(ふ)なんかがウドンの上に載っているし、すぐのびてしまう蕎麦と違って、酒を飲む間ウドンなら汁が浸み込んでかえって旨くなるくらいだ。 冬と春の境目の酒となった。 ▲
by suiryutei
| 2012-03-30 15:13
| 酒・蕎麦・食関係
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吉本隆明が亡くなってから、ずいぶん多くの追悼文が書かれたろう。そのいくつかは酔流亭も読んだ。そして物足りなさを感じていた。礼賛・絶賛一辺倒だからである。死んだばかりの人に対する、それが礼なのかもしれない。しかし相手は思想家ではないか。批評をもって対せずして、どうする。 また、或る詩人は『文学者の戦争責任』を学生時代に読んだとき受けた感銘を記していたけれど、それが吉本と武井昭夫との共著であることには、故意かあらずか触れない。吉本が、マルクシズムを終生堅持して一昨年亡くなった武井と若いとき協働関係にあり、そのご行く道を違えたのは、吉本隆明という詩人あるいは思想家の軌跡を辿る上で重要なことであるはずなのに。 さて昨日(3/27)の朝日夕刊『文芸批評』に載った姜尚中・東大教授による一文は、そんな中で酔流亭には初めて納得できるものであった。「大衆に寄り添うがゆえの変貌」という見出しが付いているが、吉本について論じるなら、その「変貌」の解明こそ肝要なのだ。 姜さんもまた、学生のとき吉本の著作と出会ったときの衝撃から筆を起こしている。だが、やがて彼の心は吉本から離れていく。「教祖はいつのまにか大衆の欲望をフェティッシュに担ぎ回る消費資本主義のトリックスターに変貌していたからである」。 吉本が罵倒した丸山真男と対比しつつ姜さんは論じている。「思想家と呼ぶにはあまりに痩せていて、学者と言うには問題意識があまりに生々しい」というような言葉を吉本は丸山にかつて投げつけていたとは酔流亭の記憶にもある。それは丸山真男の本質の一面を鋭い詩人的直観でたしかに衝いていたに違いない。だが、少なからぬ読者は、吉本のそうした言葉の強さに幻惑されて、彼の内面に進行していた「俗情との結託」を見過ごしてしまったのではないか。 上記「俗情との結託」というのは、小説家・大西巨人の言葉。姜尚中さんも文中にこの言葉を引いている。吉本隆明が丸山真男に対する以上に激しく罵倒したのは花田清輝だったが、大西巨人の位置は花田清輝、武井昭夫につらなる。姜尚中さんは、このことを頭に置いてのことだろうか。 ※関連する過去ログとして ☆『「吉本隆明の時代」(絓秀実著 作品社)』(09年3月25日) ▲
by suiryutei
| 2012-03-28 08:52
| ニュース・評論
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今日二度目の更新である。一度目は朝日新聞の朝刊記事(『歌壇』)から材をとったが、今度は夕刊から。いま開いたら、二面左下に載るコラム『窓 論説委員室から』がTVドラマ『カーネーション』のことを取り上げているのだ。 「勘助のかなしみ」と題した記事である。内容は酔流亭が去年12月27日や今年2月28日に書いたことと同じ。 勘助が魂が抜けたようになって軍隊から戻ってきたのは何故なのか。あのエピソードは戦争における日本の加害の問題に踏み込んだきわめて重要なものなのに、これまで酔流亭が目にした限りではそれに触れたドラマ評が見当たらなかった。でも、見ている人はちゃんと見ているんだな。 じつは『伝送便』誌の来月号にもう一度この場面について書いた。雑誌の完成は来月初めだが原稿は編集部にもう送ってある。 ヒロイン女優の交代で終盤にすこしミソをつけた気もするけれど、『カーネーション』は今週が最後の放送。印象に残る場面があれこれ思い出される。 ※関連する過去ログとして ☆『カーネーションに描かれた戦時』(11年12月27日) ☆『TVドラマ「カーネーション」を推す』(12年2月4日) ☆『「カーネーション」の脚本はすごい』(12年2月28日) ▲
by suiryutei
| 2012-03-26 16:31
| 映画・TV
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今朝(3月26日)の『朝日歌壇』に、こんな歌が採られている。選者は高野公彦氏。歌を詠んだのは四宮修さんという北九州市在住の方だ。 浜に生まれ海に育ちし小名浜の漁師が市(いち)に他県(よそ)の魚売る 小名浜というのは福島県の太平洋岸にある漁港である。美味い魚が水揚げされることで全国に有名だ。アンコウ・メヒカリ・アイナメ・・・。しかし3・11で津波に襲われたし、福島第一原発にも近い。津波被害と放射能汚染の両方で苦しんでいる。歌を作った人は、TVのニュースか何かで小名浜漁港の様子を知ったのだろうか。それとも被災地に支援に行ったとき立ち寄ったのか。 今月11日に郡山で開催された「原発いらない! 福島県民大集会」に参加した翌日、酔流亭も小名浜に寄った。関西からの集会参加者の車に乗せてもらい、原発の近くまで走り、湯本温泉で立ち寄り湯をしたあと小名浜でお昼を摂ったのだ。 そのことをグログに書こうとして書けなかった。車で通過しただけなのに、被災地に行ってきましたなんてこと言えない。しかし小名浜で見た情景は歌にあるとおりだった。漁港にある魚市場には震災前には店が並び、買い物客・行楽客で賑わっていたのに、今はガランとしている。それでも開いている店は何軒もあった。 港には、岩手県陸前高田の船籍の漁船が一艘、繋留されていた。陸前高田は津波被害のことにひどかったところだ。母港に帰れないまま身を寄せているのだろう。市場の向かいの建物の二階にある[市場食堂]で刺身定食を食べたが、市場でも津波で大勢の人が流されたと店の人に聞いた。 「心まで汚染されてたまるか」 こんな手書きの立て看板が立っていたのが目に焼き付いている。復興するに違いない。 ▲
by suiryutei
| 2012-03-26 09:07
| ニュース・評論
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この季節、通勤途上に李(すもも)の花を見かける。この花について、ずっと前にも書いたことがあったなと思い、グーグルで調べてみた。「李の花 酔流亭」で検索すると、すぐ出てきた。自分の記憶の糸をたぐるより速い。便利なものである。2004年3月16日の記事。 http://suyiryutei.exblog.jp/694729/ 上記ブログによれば、職場の近くに草野球用のグラウンドがあり、そこのネット越しに李(すもも)の花があって見ごろになっているとある。3月16日の記述であるが、その二週間ほど前から花が開いているとある。 その李(すもも)の花は今年も蕾(つぼみ)が膨らんでき、開花寸前。昨日からの雨が上がれば開くだろう。だが、今日はもう3月24日なのだ。8年前の日記では3月初めには花が開いているのだから、今年は三週間くらい遅れていることになる。 花が絡みつくようにしているネットは残っているが、野球グラウンドは無くなってしまった。今その土地は中古車の駐車場になっている。せっかく整備されていたフィールドが、もったいないことである。管理していた自治体が財政難か何かで手放してしまったのだろう。 上記わが記事では、女子マラソンの高橋尚子選手が北京オリンピックの代表に洩れたニュースも紹介している。今年の春、そのQちゃんの結婚話がマスコミに流れた。8年の歳月を感じるなあ。我がブログもよく続いている。 ※関連する過去ログとして ☆『通勤途上の李(すもも)の花』(04年3月16日) ▲
by suiryutei
| 2012-03-24 09:15
| 身辺雑記・自然
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関東地方における「春一番」とは、立春から春分までの間に、 ①日本海に低気圧があり ②そこに向けて、強い南風が吹き ③前日より気温が上がる という三条件を満たしていなければならない。それが気象庁の定義なのだという。その条件を満たす風が今年は吹かなかった。12年ぶりだという。風の強い日は何日もあったけれど、そんな日は大抵さむかった。北風ばかり吹いたのだろう。酔流亭は、これは関東ではなく東北地方に入るが3月11日の郡山市・開成山野球場を思い出す。『原発いらない! 福島県民大集会』に参加して内野スタンドにいたのだが、ゴゴゴゴッという風の音が耳に残っている。初めは何の音だかわからなかった。その日のことは『VOICE UP!』のほうの記事に書いたけれど夜は雪になった。 http://voiceup.exblog.jp/17536682/ 「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」とは正岡子規の句。もう彼岸なのだから暖かくなってもいいと期待したのにそれほどでもないな、というところか。今日23日は彼岸の明けだが関東は昼前には雨になりそう。朝のTV気象予想によれば「真冬の寒さ」に戻るそうだ。 ▲
by suiryutei
| 2012-03-23 08:49
| 身辺雑記・自然
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市民サークル『フォーラム色川』が最近刊行した叢書に酔流亭の文章も掲載されているので、以下に転写します。もう3年ほども前に書いたもので、いま読んでみると随分粗(あら)の多いものですが、活字になってしまったものはしょうがない。 『フォーラム色川』とは歴史家・色川大吉さんの学問を慕う人たちの集まり。酔流亭も例会にたまに顔を出します。 なお、叢書の「執筆者プロフィール」に(光栄にも)色川大吉さん達と並んで、酔流亭はこう紹介されています。これ、自分で書いたのではないですよ。『フォーラム』のスタッフがそう見ていてくれるということ。 「フォーラム色川会員。労働現場の問題を鋭く指摘する論文を雑誌に書いている。ブログ『酔流亭日乗』では、歴史・文学・芸術と多彩な分野に鋭いエッセイを書いてファンも多い。無類のソバ好き・日本酒好きである」 (ブログ転載にあたって、叢書掲載文には無い小見出しを加えました) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 妻籠の脇本陣にて 2008年9月に行われたフォーラムのフィールドワーク(明治村と馬籠・妻籠)で一番印象に残っているのは妻籠の脇本陣だった林家を訪ねたことだ。それは私が酒好きだからだろう。林家は幕末から昭和の初めにかけて造り酒屋も営んでいたのである。「鷺娘」という銘の酒を醸していたという。娘という字を入れているところをみると、いくらか甘口だったのであろうか。飲んでみたいが、それはもう叶わない。酒造業としては昭和8年に倒産している。 妻籠の本陣は島崎家で、藤村が生まれた馬籠の島崎家の本家になる。藤村の母はこちらから馬籠に嫁した。その島崎本家に次ぐ脇本陣を勤めていたのだから、林家は堂々たる村方地主である。事実、豪壮な屋敷であった。そして同時にブルジョアジーでもあったろう。幕末に興った造り酒屋ならマニュファクチュアであり、その経営者であったのだから。 造り酒屋の自由民権 マニュファクチュアを産業革命以前の生産段階、機械化はまだされていないが一定の集団による労働が共同作業場で行われているものと考えれば(ついこのあいだまでの酒造業はまさにそうであった)、林家というブルジョアジーが存在していたということは、そこに雇われるプロレタリアも周辺にいたということである。農業だけでは食っていけない貧しい農民がそれにあたる。一方に地主とブルジョアジーを兼ねる者、他方では貧農とプロレタリアを兼ねる者。こうして賃労働と資本の関係が木曽谷のような山村にも生まれ、幕藩体制の内部に資本主義経済が孕まれてゆく。 さて藤村の『夜明け前』の時代は明治維新を前後する。林家のような農村のブルジョアジーが力をつけていった時代である。これらブルジョアジーが流通の自由と統一市場の形成を求めていった動きが明治維新につながったといってもいい。 維新変革における版籍奉還と廃藩置県によって封建的地方割拠は打ち破られ、中央集権国家が成立する。国内統一市場は形成された。しかし、その明治新政府は酒造業には増税を行なうのである。当時の酒造業は日本最大の生産額を持つ工業だったからで、つまり酒造りというのはそのころの日本を代表する産業だったわけである。酒好きとしては、なんとなく誇らしい気もするけれど、しかし増税されるほうはたまらない。せっかく自分達のモノづくりをやりやすい世の中にしょうと思って江戸幕府を倒す運動に加わったのに、そのあと出来た政府に頭を押えつけられるのでは、何のための維新であったのか。 そこで明治10年代には酒屋会議なんてものが生まれた。酒税増税に反対する全国の造り酒屋のネットワークであり、当時は自由党最左派であった植木枝盛もこの運動に一枚噛んでいる。会議召集の檄文は名文家の彼が書いた。このとき全国の造り酒屋は自由民権運動の先頭に立ったのである。酒好きとしては、ますます誇らしい。 明治維新をめぐって しかし福島事件や秩父事件がそうであったように、この酒屋たちの民権運動も強権によって潰されていく。結局、自由民権運動は敗北し、その敗北の上に明治22年の大日本帝国憲法発布となる。こうして生まれた大日本帝国は絶対主義国家であった・・・と結論づけるには、しかし様々な異論があるようである。例の日本資本主義論争にみられるごとく、左翼的な(つまり明治国家に批判的な)学者の間でも議論は分かれる。私は今年の神田古本祭りで『明治維新の分析視点』(上山春平著。講談社。1968年刊)という本を見つけ、ついさっき読み終えたところだが、この本の著者・上山氏も明治国家が絶対主義であったことに否定的だ。氏によれば、封建的大土地所有(諸侯による領国支配)を廃止したことによって明治維新はブルジョア革命の課題を基本的に遂行した。だから近代天皇制というのは絶対主義ではなく、フランス革命で絶対主義が倒されたのちに出現したナポレオン・ボナパルトの独裁にむしろ共通する性格を持っていたとする。 この上山説に私はいくつか疑問があるけれど、しかしその上山氏も、祭政一致のどす黒い支配体系が近代天皇制の下にとぐろを巻いていたことまで否定しているわけではない。氏が初期ブルジョア国家と呼ぶものには絶対主義と共通する性格が強いのである。そして、内には抑圧的で外へは侵略的な、そのどす黒くとぐろを巻いているものがやがて昭和のファシズムへつながっていく。 司馬史観の盲点 ところで司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』があれだけ多くの読者を得ることに成功したのは、二度のオイル・ショックを乗り越えて先進国の仲間入りした戦後日本の経済成長が、日清・日露の戦争をへて列強に仲間入りした明治国家の英雄神話と二重写しされたからであろう。あの小説の躓きの石は、まさにその成功にあったように思う。というのは、天皇の地位が大きく制限され、いっぽう市民の自由はある程度は前進した戦後日本の気分が、あの小説では明治国家にまで投影されているようなところがあるからだ。天皇制抜きの国民国家というのが、司馬明治国家論の特徴である。だから日露戦争を祖国防衛戦争などと言う。なるほど、かたや「軍事的封建的帝国主義」のツァーリ、かたや生まれたばかりの国民国家が組み打ち合うのであれば、それは後者にとっての防衛戦争ということになってくる。事実は、後者だって大陸への侵略の野心満々だったのであるが。 フォーラムの例会で『坂の上の雲』文庫版1・2巻を取り上げたとき、1巻のほうの報告を任されながら言いそびれたことは、あの小説の作者は天皇制と向き合うのを避けているということ。戦後憲法を大事にしていることは評価されてよいと思うのだけれど。 (フォーラム色川叢書『森の奥で誰かが』Vol.1 54ページ~) ※関連する過去ログとして ☆『馬籠と妻籠』(08年9月26日) ☆『「坂の上の雲」第一巻についてのレポート』(08年10月19日) ☆『明治国家とは何であったか』(08年10月21日) ▲
by suiryutei
| 2012-03-19 13:24
| ニュース・評論
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今月11日に郡山市で開催された「原発いらない! 県民大集会」に参加した記事を『新東京 声をあげる会』のブログ『VOICE UP!』がUPしています。この集会には酔流亭も参加しました。 http://voiceup.exblog.jp/17536682/ ▲
by suiryutei
| 2012-03-17 17:23
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詩人あるいは思想家の吉本隆明氏が今朝(16日)未明に亡くなった。肺炎。87歳。さきほどお昼のTVニュースで知った。 酔流亭は吉本氏の読者ではない。著作をほとんど読んでいない。そのくせ『吉本隆明の時代』(絓秀実著 作品社)という本は強く印象に残っている。友人のMさん、一昨年の今ごろ亡くなった方だが、そのMさんが死の一年ほど前に、新刊で出たばかりのその本を貸してくださった。 あの本でいちばん興味深かったのは吉本氏と武井昭夫氏(全学連初代委員長)の関係だ。若いころ協働関係にあり、『文学者の戦争責任』という本も共著で出した二人はやがて袂を分かつ。昼のTVニュースで哲学者の梅原猛氏が吉本氏のことを「反体制に徹した一生」と評していたけれども、戦後日本の反体制派が分岐していく象徴的な出来事のひとつである。そして酔流亭は武井氏のほうに共感するのだ。 その武井昭夫さんも一年半前に亡くなっている。 『吉本隆明の時代』読後に書いた過去ログをリンクして我が追悼とする。 ☆『「吉本隆明の時代」(絓秀実著 作品社)』(09年3月25日) ▲
by suiryutei
| 2012-03-16 15:50
| ニュース・評論
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神田の[万惣]が今月で店を閉じることは13日のブログに書いたが、こちらは復活のニュースだ。我が国におけるジャズ喫茶の草分けで、5年前に閉店していた横浜の[ちぐさ]が3月11日に復活した。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120311-00000010-kana-l14 以前の店には酔流亭は四半世紀ほど前に一度だけ入ったことがある。そのときのことを五年前にこう書いた。 <酔流亭は一度だけ入ったことがある。というより、わけわからず迷い込んだと言ったほうが正確だ。20年ほども前だろうか。あのあたりを歩いていたら、古びていながらハイカラな感じのする喫茶店があったので、一休みしようと寄ってみたのだ。そこが有名なジャズ喫茶であるのを知ったのは、あとになってからのことである。品のよい老人がコーヒーを運んできながら「聴きたいレコードがあれば・・」と尋ねてくださったように記憶するが、それが店を開いた吉田衛さんだったのだろう。1994年に81歳で亡くなられているという。 そのあとを妹の冬子さんが継いだ。こんど閉店を決めたのは、一帯でビル建設の話が持ち上がったからのようだ>(2006/12/09) 古くからの常連というFouさんご夫妻もさぞ喜んでいることだろう。 ※関連する過去ログとして ☆『横浜のジャズ喫茶[ちぐさ]が来月閉店』(06年12月9日) ▲
by suiryutei
| 2012-03-15 17:42
| 音楽
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