新人事制度 大阪での報告①~③
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<労働者文学会>の会報『通信・労働者文学』が送られてきた。酔流亭は去年からこの会の賛助会員になっている。 ![]() 主な内容は、今月11日に開催された『労働者文学』76号合評会の報告。この号に酔流亭は生まれて初めての小説『春一番』を書いたから、その作品も批評の対象になっている。報告者による批評と参加者による討論が掲載されているが、今回は報告者の批評だけ紹介します。報告してくださったのは小澤康秀さんという方。なお当日は酔流亭は勤務のため参加できなかった。 ![]() 郵政民営化後の郵便事業、そこで働く労働者の現場が描かれている。この作品の強みはリアリティにある。深夜労働で航空コンテナへ郵便物を積み込む作業が手にとるように伝わってくる。「春一番」の強風の中、オーバースライダーの開閉の際アクシデントが起きる。開閉ボタンの押し違いから機械を故障させ、自らも重量のあるスライダーが肩に落下、怪我をする。その処置を巡って、上司の部長らが労災申請をするにあたって会社に対応する働く者の自問自答の心理が自然に描かれる。 ![]() ▲
by suiryutei
| 2015-02-28 09:27
| 文学・書評
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神田の蕎麦屋[まつや]で出す肴といえば ○天麩羅 ○かまぼこ ○焼き海苔 ○鰊の棒煮 ○わさび芋 ○焼き鳥 ○雲丹(うに) ・・・といったところが定番である。他にもあったかもしれないが、いま思い出したのはこんなところだ。あと卵焼きは品書きには載っていないけれど事前に予約しておけばやってくれる。 大抵が種物の蕎麦の具であることに気づかれるだろう。天麩羅は天ぷら蕎麦の、カマボコはおかめ蕎麦の、海苔は花巻やざる蕎麦の、ニシンは鰊蕎麦の、芋はとろ蕎麦の、鳥は鳥南蛮の・・・といった具合に。卵はもちろん卵とじ蕎麦。 中で蕎麦屋の肴としてちょっと異色なのが雲丹。これは生ウニではなく塩漬けされたもの。熱燗にじつによく合います。 さて先日、酔流亭が泊まり勤務明けで一人で立ち寄ったときは焼き鳥をもらった。タレと塩と両方あって、このときは塩にしてもらった。それには下心がある。 焼かれた鳥とネギが載った皿のふちに溶き辛子とともに塩が盛られている。この辛子と塩をちょっとつけて焼き鳥にかぶりつくわけだ。 しかし、この塩が熱燗の酒にじつによく合うのである。だから、塩をちょいと残しておいて、箸の先でちょびっと掬って酒のアテにする。これだけでいくらでも飲めます。これを酔流亭はひそかに<肴いらずの塩>と呼んでいる。 冬は、葱(ねぎ)も美味い。だから今の時季は、鶏肉より葱が目当てで焼き鳥を注文するくらいだ。 葱買うて枯れ木の中を帰りけり 与謝蕪村の句です。この葱はネギともネブカとも読める。萩原朔太郎は「郷愁の詩人 与謝蕪村」の中では「ねぎこうて」と読んでいる。酔流亭は「ねぶか」と読みたい気持ちがする。なんとなく。 それはさておき、もう20年以上前、[まつや]でたまたま相席になって気の合った人がいた。酔流亭より10数歳の年長だが、本や映画の好みがことどとく一致する。誘い合わせたわけではないのに同時刻に店で顔を合わせることが何度か続き、やがて彼が仕事を定年になり[まつや]で会うことはなくなっても年賀状のやりとりは彼が亡くなるまでずっと続いた。 この人が、葱だけを焼いてもらっていたことがある。真冬の夜だ。[まつや]の、ことに寒いころの葱は旨いけれども、そのころの酔流亭にはその旨さの本当のところはまだわかっていなかった。 [まつや]で一緒に飲んだ頃の彼よりも酔流亭はもう年かさになった。今度、まだ寒い間に、葱だけを焼いてもらおうかと思う。 ![]() ▲
by suiryutei
| 2015-02-26 15:34
| 酒・蕎麦・食関係
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泊り勤務が続くときは新聞を読むのが一日遅れ、二日遅れになってしまう。たとえば昨日のことで言えば、朝、勤務を終え、帰宅途中に外で早めの昼食を摂って帰宅したのが午後1時半過ぎ。2時から5時まで3時間眠って、メールチェックをして6時に夕食。酒が入るから2時間くらいかける。昨夜はアンコウ鍋であった。前夜が徹夜労働で昼間の睡眠は3時間なのだから、夕食を終える頃には眠くなる。新聞なんか読んでいる時間はないのである。 そんなわけで月曜日掲載の『朝日歌壇』(我が家は朝日新聞を購読しているので)もつい先ほど目を通したばかり。そして、ヤラレタと思った。こんな短歌が載っていたからだ。 黄の色をかすかに兆す三椏に路地を入りくる日差し明るむ 東京都の上田国博さんという方が詠んだものである。撰者は馬場あき子さん。 ヤラレタというのは、酔流亭も10日ほど前、この花のことをブログに書いているからだ(『ミツマタ、色づきだす』02/16)。こう書いた。 一番寒い頃から少しずつ黄色味を帯びていき、やがて好い香りを放つ。黄色からちょっとオレンジっぽい色に変わるころ春は酣(たけなわ)。ミツマタが色づいていく様の描写として、とても上掲の短歌に及ばない。 詩というのは、やはりたいしたものだな。脱帽。 ![]() ※関連する過去ログとして ☆『三椏8ミツマタ)、色づき出す』(15年2月16日) ▲
by suiryutei
| 2015-02-25 09:56
| 身辺雑記・自然
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「ダッフルコート、着てますか?」 女性ドライバーのOさんに声をかけられた。彼女は近くの郵便局から酔流亭の局に郵便パレットをトラックで運んできたところ。数日前の朝のことだ。 ダッフルコートの話題をこのブログに先日書いたから、もしやそれを読んでくれたのかしらと一瞬思いかけたが、そうではなく、出勤途上の酔流亭をトラックから見かけたのだという。 去年書いたルポ『深夜労働』(労働者文学賞2014記録部門受賞)にも、Oさんが登場する。掲載誌『労働者文学』No.75はもちろん一冊差し上げた。Oさんが出てくる箇所だけ、ここに貼り付けておきますね。 七時近く、 郵便物が満載されたパレットはかなり重い。彼女が操るトラックは8トン積みだから大抵は21台ものパレットをぎっしり積んでくる。重労働だけれども、笑顔がいつも爽やかだ。 春は近いぞ。 さて、今夜もダッフルコートを着て、これから出勤です。 ![]() ※関連する過去ログとして ☆『ダッフルコート』(15年2月14日) ▲
by suiryutei
| 2015-02-22 17:36
| 身辺雑記・自然
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沖縄県辺野古では、基地建設に反対する非暴力の闘いが続いています。 22日の日曜、現地に連帯する取り組みが東京でも行われるとのこと。詳しくは下のサイトを。 http://www.jca.apc.org/HHK/NoNewBases/NNBJ.html この日、酔流亭は泊り勤務。行動は昼ですが、集会とデモのあと徹夜労働はちょっと無理。申し訳ないけれど行動に参加は控えます。このブログで紹介だけさせてください。 ●日時 2月22日(日) 12:30集合 13:00開始 13:30デモ出発(予定) ●場所 柏木公園(新宿区西新宿7-13 JR新宿駅下車6分) ●呼びかけ 辺野古への基地建設を許さない実行委員会 http://www.jca.apc.org/HHK/NoNewBases/NNBJ.html 連絡先 沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック 090-3910-4140 ▲
by suiryutei
| 2015-02-20 20:19
| ニュース・評論
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「これで終わりにしましょうか。何かあったらまた来てください」 昨日の午前、近所の歯科医で診療を受けた後そう言われた。帰宅して診療券を見ると初診は7月18日になっている。去年の梅雨が明けるかどうかという頃である。ほぼ半年がかりの治療であった。上の歯の右から始めて、下のほうも右から左まで一通り診てもらった。年齢が年齢だから完全な状態にはもうならないが、治療を受ける前と比べると見ばえもだいぶ良くなった。築数十年の家をリフォームしたみたいな気分である。 かかった歯医者は我が家から歩いて5分ほどのところ。我が町にはかなり大きな団地があり、その団地の車道に面した一棟の一階に診療所や床屋や美容院が入っている。歯科医院もそこにある。歯科医は1人で、年齢は40代くらいであろうか。技量は悪くないように思われた。受付や助手として女性が3人いる。 歯のことでは物心つく頃から悩んできた。なにしろ生家は菓子の小売を生業としていたのである。他の何がなくとも甘いものだけには不自由しない。母親が深い愛情をそそいでくれたことには今でも感謝の思いが湧くけれども、この人ちょっと大雑把な性格であった。幼い酔流亭がグズると、甘いもの、たとえばチョコレートを与えてあやしたのである。 当然、虫歯になった。 3人きょうだいの酔流亭は末っ子で、上の二人はそれほど虫歯に悩まされたようには思えないから、ということは酔流亭がきょうだいの中で一番グズッたということであろうか。 そうであるとすれば酔流亭の虫歯は自業自得であって、親を恨むのはスジ違いだ。 それはさておき、時々は痛くなる歯を抱えながら幼年期を過ぎ少年期も通過し、青年になり中年になった。先月60歳になったから、もう老年である。そのこれまで60年の人生において天佑のひとつは、中学一年のとき知り合った一番の親友が歯科医の息子であり彼自身も成長するや家業を継いだことであった。 死ぬまで縁の切れることはないであろう歯の治療において、かかりつけの医師が親友でもあるというのは心強いことである。 ところが、こちらはこれで死ぬまで安心・・・と思いきや、親友のほうに先に死の影がさした。彼の体内に癌が発見されたのは2008年の4月だったから、もう7年前である。まず腎臓に、ついで肺に転移した。 それからの彼は、仕事である歯の診療を続けながら自らの身体を蝕む病巣と対応した。酔流亭も三鷹駅前にある彼の歯科医院に時々通った。歯を診てもらいながら、こちらは彼の健康状態を観察できる。中学からの友人で、そんなふうに彼を見守っていたのは酔流亭の他にも何人かいる。 最後に彼と会ったのは去年の春だった。いつものように彼の歯科医院に行くと、二人いる女性の助手と彼とはお揃いの明るい色のユニフォームを着ていた。気持ちを明るくしようという心遣いであろうか。診療時間をぐっと短くして、古くからの馴染みの患者さんだけを診るようにしていた。このとき酔流亭は診療は受けなかった。彼の様子だけ見に行った。 6月の初め、職場の仲間との旅行会で湯河原に一泊したとき、ちょうど夕食の始まる時間に携帯に彼から電話があった。いま入院しているという。癌が発見されてからもう何度目かになる手術を受けた後だという。これが彼の声を聴いた最後だ。 7月になって酔流亭が地元の歯科医にかかり始めたのは、彼に診療してもらうことはもうできないと判断せざるをえなかったからである。 訃報は8月18日に届いた。 ▲
by suiryutei
| 2015-02-19 10:04
| 身辺雑記・自然
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昨日の朝8時過ぎ、東北で地震があった。もう4年たつのに、やはりあの大震災の余震だという。 その時間に放送されていた朝ドラ『マッサン』は途中で打ち切られて津波の情報に切り替わった。幸い津波は来なかったようだ。 そんなわけで、今朝の『マッサン』は昨日の分と合わせて二話連続の放送。酔流亭は今朝はちょっとゆっくりできたので、二話とも視ましたよ。 ドラマの時代は第二次大戦に突入している。ヒロインのエリーさんはイギリス人だから、いま暮らしている北海道余市の街では偏見にもぶつかる。買い物に出たら石を投げられたり、娘のエマちゃんが学校でノートに「鬼畜の娘・閻魔」と落書きされたり。エマだからエンマか。 閻魔どころか、このエマちゃんが三つ編みのお下げで可愛らしいですね。今日の高校生の年齢であろうか。 むかし、神田の蕎麦屋[まつや]に行きつけになり始めたばかりの頃、アケミちゃんという少女がいたのを思い出した。高校生で、学校を終えて夜だけ店でお運びのアルバイトをしていた。このアケミちゃんが髪をいつも三つ編みにしていたのである。 しっかりした、利発な娘さんだったが、人なつっこいところもあった。酔流亭は高校まで男子校だったこともあって、女の子と口をきくのが大の苦手だったのであるけれども、それがいくらかは矯正されたのはアケミちゃんのおかげである。今でも感謝している。 もう四半世紀(25年)も前の話だ。するとアケミちゃんは現在あの頃の自分くらいの年齢の子を持つ母親になっているかもしれないね。 想い出に耽るのはこれくらいにして・・・ 戦後すぐ読売争議を指導し、のち岩手県釜石市の市長に転じた鈴木東民の夫人はドイツ出身であった。戦争中は生命の危険を感じたという。当時ドイツと日本は同盟関係であったけれど、日本の一般の人々には米英人と独人の区別なんかつかない。国が「鬼畜米英」と煽れば欧米人はおしなべて排斥される。かつて鎌田慧さんが書いた東民の伝記(『反骨ー鈴木東民の生涯』)にそんな記述があったことを思い出した。 現代の日本はどうであろうか。昨日のブログにも触れたような、共和国敵視の風潮の中で、いま在日の人たちも、当時の鈴木東民夫人やドラマの中のエリーさんやエマちゃんのような思いを味あわされているのではないだろうか。それを憂える。 ▲
by suiryutei
| 2015-02-18 10:39
| 映画・TV
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朝、起きてTVのニュースを点ける。米韓軍事演習が来月初旬に行われると報じられている。 http://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20150216/Recordchina_20150216059.html 不思議に思うのは、このニュースを報じるアナウンサーが、「この演習を口実に北朝鮮が挑発行為に出るかも」云々と付け加えることである。 朝鮮半島の北半分に位置するあの国が、米韓軍事演習を「口実に」そういう行動に出るとしたら、そういう行動を誘い出すことになる米韓軍事演習こそ「挑発」ということにはならないのだろうか? どっちが先に挑発しているのやら。 ▲
by suiryutei
| 2015-02-17 09:16
| ニュース・評論
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庭の三椏が、すこし色づき始めた。 ![]() この花は二年前に植えた。一番寒い頃から少しずつ黄色味を帯びていき、やがて好い香りを放つ。黄色からちょっとオレンジっぽい色に変わるころ春は酣(たけなわ)。長く楽しめる花だ。 ▲
by suiryutei
| 2015-02-16 07:09
| 身辺雑記・自然
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ダッフルコートを一着持っている。 ダッフルコートとは何か。ウィキペディアによれば、 <外套(オーバーコート)の一種である。起源は北欧の漁師の仕事着であるが、第二次世界大戦時にイギリス海軍で防寒着として広く使用され、その余剰在庫品が大戦後に市場に出回ったことで一般化した> とのことである。 ![]() それにしても、このコート、30年近くもよくもったものだ。やはり英国製は丈夫。しかし、さすがに袖口が擦り切れてきた。そろそろ耐用限度であろうか。 高校時代の仲間たちはほとんどもう中央線沿線から離れたと書いたが、忘年会などの集まりは最近まで三鷹でやることが多かった。中央線三鷹駅の近くで歯科医院をやっていた男がいて、彼は何年も肺癌と闘病生活を続けていたから、彼に足場のよいように三鷹で集まったのである。 彼は去年夏の暑い盛りに亡くなった。今年からは、吉祥寺や三鷹へは足が遠のくだろう。 30年近くの間には色々なことがあった。 ▲
by suiryutei
| 2015-02-14 16:55
| 身辺雑記・自然
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