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NHKBSで平日の夜放送しているTVドラマ、『ローハイド』と『コンバット』を時々視る。どっちも1960年代半ば頃に民放で放送されていたものだ。酔流亭はそのころ小学生。家にテレビが来たばかりのときだった。 一時間(実際は40数分)で一話が完結するのだから、筋がとんとん拍子に進みすぎるところがあるのは仕方ないが、それぞれになかなか面白い。『ローハイド』は牛を輸送するカウボーイの話。主役のフェイバー隊長の下にいる牧童ロディを演じているのは若き日のクリント・イーストウッドだ。このフェイバー隊長とロディの関係は、黒澤映画における志村喬と三船敏郎を彷彿させる。まだ未熟な若者が、円熟した人格者の下で、ときに反発しながらも感化され成長していくのである(たとえば黒澤の『野良犬』)。そういえばイーストウッドが大スターに駆け上がるきっかけとなったマカロニウェスタン『荒野の用心棒』は黒澤明『用心棒』のリメークであった。 先週視た『ローハイド』の一本は、大地主の妻が元恋人の若い男と駆け落ちしようとする騒動に、その土地を通り過ぎようとしていたフェイバーたちがまきこまれる話。 この話には、本当に悪い人間は一人も登場しない。はじめ輸送隊の金を盗もうとしてもぐりこんできた悪党はフェイバー隊長の人格に心服してしまうし、権勢をカサに横暴だった大地主も最後にはなかなか男らしいところを見せて妻を許す。 そうなるのは、べつに彼らが特別に善人だからではない。フェイバー隊長の無私で凛とした態度を前にしては、腰の拳銃にモノを言わせたり、卑劣な振る舞いを続けたりすることが恥ずかしくなってしまうのだ。『孫子』が「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり」といい、「善の善なる者」は「戦わずして人の兵を屈する」ことだというのは、このフェイバー隊長のような人のことではないだろうか。 さらに調子に乗って脱線すると、フェイバー隊長の行動は日本国憲法の平和主義を先取りしているところがある。すなわち憲法前文にある「日本国民は・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という一節は、しばしば誤解されるような「他国の善意まかせ」ではない。ここに基底をなしているのは、「人間相互の関係を支配する」普遍的理念に立った行動を通じて、平和愛好諸国民の共同体をこの地上に実現させていこうという能動的論理であり、自らの行動を通じて不信や猜疑や恐怖を解消していこうという決意に他ならぬ。 しかし省みて思うに、戦後の我が国は折角の平和憲法を持ちながら、フェイバー隊長のように自身の行動を通じて相手の不信や猜疑を解消する努力をどれだけしてきたろうか? #
by suiryutei
| 2005-11-25 09:57
| 映画・TV
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加藤周一さんが朝日の夕刊に月1回連載しているエッセイ『夕陽妄語』の最新回(一昨日)は、こう書き出されている。 「その頃(1938年)、東京の巷には軍歌があふれていた。そこで石川淳は小説『マルスの歌』を書いて戦争を批判したが、軍国日本の検閲は、『反戦思想』を理由としてその本の刊行を禁じた。今(2005年)の東京にはまだ軍歌が流れているわけではない。しかし国会では、いくさを知らない政治家たちのマルス賛美の声がにぎやかである。検閲や『発禁』はまだない。しかし大衆報道機関における批判的言論はすでに急減して今日に至る」。 話題はそこから中国の古典の世界へ、さらに今日のイラク戦争へと転じる。古今東西の文にも理にも通じた加藤さんらしい筆の運びだ。しかし酔流亭などは、石川淳の名が加藤さんの文章に出ると、ついニヤリとしてしまう。加藤周一が石川淳について語るとき或る種の熱を帯びるのは、丸山真男が福沢諭吉を論じるごとく、あるいはレーニンがチェルヌシェフスキーについて語るごとくである(チェルヌシェフフキーは19世紀ロシアの民主主義思想家。レーニンがいかに心酔していたかは、彼の代表的論文のひとつ『何をなすべきか?』が晩年のチェルヌシェフスキーが若い世代への遺言として流刑地で書いた同題の小説から題を借りていることでもわかる)。 1920年生まれの加藤さんの人格形成期、日本はファシズムから戦争へと向かっていた。大正デモクラシーは窒息させられ、昭和初頭に一世を風靡したマルクス主義も弾圧および運動内部の未熟さから壊滅していた。知識人のほとんどは、積極的か嫌々ながらかの違いはあれ、翼賛体制に呑み込まれていた。しかし石川淳がいて、彼は大東亜共栄圏の正体も戦争の実態も正確に見抜いていたのである。そのことが加藤さんたち当時の若い世代にとってどれだけ心の支えになったかが察せられる。思想および言葉の力というものが思われる。 戦時中の石川淳の精神的態度について、「蕪村一幅、おちついて眺める習慣があれば、もっともらしい演説をぶつのがばからしくなるという石川の気持ちに私は賛成する」とも加藤さんは以前書いたことがある(『戦争と知識人』)。 ここには、一種の精神的貴族主義があり、それはときに超然主義の臭みとならぬこともないが、しかし精神の態度として必要なことであると思う。また最近の加藤さんは、憲法9条の危機にあって、全国を行脚しておおいに演説をぶっている。その奮闘には敬服する。 #
by suiryutei
| 2005-11-24 09:45
| 文学・書評
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ブログをリンクしている「昼ビールファン倶楽部」の徳川元禄さん&beerdollさんと、昨夜は国分寺[義蕎]でご一緒した。 このお二人とは、9月にもやはり[義蕎]で酒酌み交わした仲である。二ヶ月ぶりの再会を祝して生ビールのグラスで乾杯していくらも経たないうちに、なんと刑部しおんさんが現れた。 しおんさんは酔流亭の蕎麦友。三年ほど前に「蕎麦三昧」という蕎麦好きが集うサイトのミニオフ会で初対面して以来、もう何度も蕎麦屋酒を共にしてきた仲だ。この夜、ここで会ったのは、まったくの偶然である。もっとも[義蕎]は彼に教えてもらった店であり、この界隈は彼のいわばテリトリー。 で、改めて4人で飲むことになる。 徳川元禄さんとしおんさんは初対面にもかかわらず、サッカーの話でおおいに盛り上がる。酔流亭は[義蕎]ご主人が揚げる天麩羅を次から次へとかぶりつく。beerdollさんはと言えば、ほんのりと、いい感じに酔いがまわってきたようだ(じつは、[義蕎]の前にbeerdollさんと徳川さんは立飲み屋でもう一杯入れてきたとのこと。酔流亭が国分寺に着くのが遅かったので、お二人をすこし待たせてしまったからである)。 酒はしおんさんの選択にまかせた。「鍋島」「雅山流」「田酒」「乾坤一擲」など。どれも美味しい。天麩羅、いろいろ食べたので、全部書くと留守番の女房に悪いから省略。ただ、[義蕎]さんのホームページに立派なハゼの写真が載っていることだけ申し添えておく。蕎麦は「酔流亭さんはもう天麩羅でお腹一杯でしょ」というご店主の配慮で、特別小さなもりを出してくれた(少食のbeerdollさんも。残る二人は普通もりをしっかり食べていた)。 というわけで、帰宅は午前様に。それで昨日は日記を書けずじまい。日記を書いていない日は、またどこかで酔いつぶれているなと思ってください。 #
by suiryutei
| 2005-11-23 23:25
| 酒・蕎麦・食関係
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一昨日の日記で日米と日韓の首脳会談について書いたとき、このテーマで検索して未知のブログをいくつか覗いてみた。当然ながら色々な意見がある。またブログというものが広がったおかげで、酔流亭もそうだが誰もが発言しやすくなったのは素晴らしいことだと思う。でも、憎悪や蔑視の感情を煽る場にもなっているようである。まあ、それがインターネットのコワイところだが。 小泉総理の靖国参拝を指して韓国大統領が「韓国への挑戦だ」と述べたことにいたく敵愾心を燃え立たせたのか、「飼い犬に咬まれた」みたいなことを書くブログがあった。この場合は日本が飼い主ということになるらしい。これも「抑圧委譲」の心理というやつだろう。自国の総理大臣がアメリカの“ポチ”として振舞っている歪みを、当のアメリカに向かって正していくのではなく、アジアの隣国を見下すことで溜飲を下げるのである。 これはブログではなくて先週TVで視たのだが、田嶋陽子さんが「日本も戦争中、朝鮮の人たちを強制連行した」と発言したのに対して、「当時の朝鮮は日本の一部だ。(したがって朝鮮半島の人も日本人ということになるから)、朝鮮人を強制連行したことにはならない」と大真面目で“反論”する評論家がいた。植民地支配を丸ごと肯定して屁理屈を並べているのである。 こういう発言が横行しているのであれば、「反日」「嫌日」が広がっていくのは仕方ないではないか。 こちら側のこうした気分を裏返したような、行き過ぎた「反日」感情は、おそらく向こうにもあるのだろう。上述した韓国大統領の発言は、それに乗ったところもあるかもしれない。しかし、さんざん酷いことをした上で開き直られては、怒りの拳を振り上げる権利はやはりまずあっちのほうにある。 今朝の朝日新聞の『時流自論』というコラムに、王敏(ワン・ミン)という中国人の女性がいい文章を載せている。国費留学生として来日して現在は法政大学の教授。宮沢賢治の作品を戦後中国で初めて翻訳・紹介した方だという。 「今日、日本と中国の間はぎくしゃくしている。相互にナショナリズムの興隆が不安視されていて、不信感が増幅している。そんな状況だからこそ、冷静な思考が求められている。個々人がしっかりしなければ、半世紀前の過ちの繰り返しを防ぐことができないかもしれない」。 そして、その短いコラムの中での宮沢賢治の詩・童話の紹介の仕方が素晴らしい。この中国の女性は日本の中から最良のものを見出し、評価している。この姿勢に学びたいものだ。 #
by suiryutei
| 2005-11-21 16:38
| ニュース・評論
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泊り勤務明けで帰途、東京駅構内の売店で鯖の押し寿司(京都から毎日送られてくるもの)を買い、我孫子駅近くの床屋にかかって家に着くと、東京国際女子マラソンのTV中継が始まるところであった。 冷酒で鯖寿司をつまみながら、その中継に見入る。画面の真ん中には、フルマラソンは二年ぶりの高橋尚子選手がいる。 東京は快晴である。高橋選手が走るのを視ながら、既視感というか、同じようなことが以前にあったなと思い出した。 五年前の名古屋女子マラソンだ。あれは春だったと思うが、やはり今日と同じような快晴だった。そのときも、今日と同じように酔流亭は冷酒を飲みながら中継を視ていた。高橋選手はその前年、市民マラソンで転んで腕の骨を折り、そのためシドニー五輪の選考レースのいくつかに出そびれて、最後の機会となる名古屋を走ったのであった。 スポーツに疎い酔流亭がなんでそんなことを憶えているかというと、その当日の朝、NHK教育TVの『新日曜美術館』が画家・三岸節子の特集をやった。それと高橋選手のレースと、ふたつの番組を視た感想がとてもすがすがしかった記憶があるからだ。 その名古屋で優勝して高橋選手が五輪代表になったのは周知のとおり。そのあと、本番を控えて最後のレースとして走った北海道のハーフマラソンは、酔流亭はその中継を病院のベッドの上で視ていた。足を骨折して入院していたのである。足のギブスがとれ、仕事に復帰した頃にはシドニーのオリンピックが始まっていた。 酔いが廻ってくるにまかせて、そんなこと思い出しているうちに、画面では選手たちが次第にしぼられていく。先頭集団は数人に。30数キロ過ぎ、そろそろヤマが近いな、と手洗いに立って戻ってきたときには、高橋選手がもう飛び出していた。肝心のところを酔流亭は見逃したことになる。そのままトップでゴール。 金メダルとその翌年の世界記録樹立のあと、高橋選手が経験した様々な困難を思うと、今日のレースはやはり感動的なものであった。解説の増田明美さんなんか、後半はもう涙声である。酔流亭だってジーンときた。 #
by suiryutei
| 2005-11-20 18:53
| スポーツ
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