新人事制度 大阪での報告①~③
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今週はちょっと忙しかった。毎日、帰宅が遅かったので、この日記も火曜と木曜(昨日)は書けずじまい。 こんなときは家で新聞を読めないので、出勤のとき2.3日分の溜まった新聞を持って出て、通勤電車の中で大急ぎで目を通す。車内はかなり混むから、周囲の迷惑にならぬよう、小さく折りたたみながらページをめくる。 そんなふうにして読んでいて目に留まった記事が、6日付け『朝日』朝刊の読書欄に載ったジャーナリスト・斉藤貴男さんのコラムだ。 「・・NHK番組改変事件報道で朝日新聞社の社長が頭を下げた光景が記憶に生々しい。内部資料流出についてのみの謝罪を、他のマスコミは朝日が全面降伏したかのように仕立て上げ、朝日も抗議しない。これでは21世紀の白虹事件(新聞が権力の走狗に成り下がる契機となった大正時代の事件・・)・・・」。 これは酔流亭もこのあいだから疑問に思っていたことである。内部資料を見なければ書けないと思われる記事が『月刊現代』に載り、その件については朝日は資料が流出した不手際を謝罪した。だが、それで政治家がNHKに圧力をかけた問題がチャラになったわけではない。むしろ、その流出した資料(朝日記者の取材メモ)は、政治家の圧力があったことを生々しく明らかにするものであった。 圧力をかけたとされる安倍晋三氏や中川昭一氏が、この『朝日』の部分的謝罪をもって鬼の首でも獲ったかのように「誤報が証明された」と開き直ったのは、驚くことではない。政治家というのは、そういうことを平気でやる政治的肉食獣なのだから。しかし、それに朝日新聞社がキチンと対決しないのはおかしいのではないか。 次期総裁候補ナンバー1とされる有力者と全面的にコトを構えると、官邸取材などで不利になるので腰が引けてしまうということはあろう。同じころ起きた長野支局での記事捏造事件(これはお粗末であった)で意気阻喪しているのかもしれない。しかし、ここは踏ん張りどころであったはずだ。当時、酔流亭も『朝日』支持の立場でささやかな論陣をこの日記で張ったつもりだが、肝心の本隊がコケては応援のしがいもない。 “不偏不党”ぶって妥協したところで、体制側は『朝日』をとっくに「左翼マスコミ」(安倍氏の言葉)扱いしているのである。この事件で『朝日』を応援した人々からも愛想を尽かされたら、それこそ『朝日』は行く場が無くなってしまうぞ。 #
by suiryutei
| 2005-11-11 10:21
| ニュース・評論
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![]() 20年ほど前に、やはり別所温泉に泊ったことがある。当時は「無言館」はまだ出来ていなくて、「信濃デッサン館」のほうを観た(「無言館」は「デッサン館」と同じ敷地にある)。村山塊多の描いたデッサンなんかがあったのを憶えている。 そこに行く途中、塩田平をウロウロしていたら、自転車で酔流亭を追い越して行った娘さん(二十歳くらいだったかな)が、すこし行ってから引き返してきて「どちらに行かれるんですか?」と尋ねる。「デッサン館に行こうと思っているんですが」と答えると、道順を丁寧に教えてくださった。 旅人が道に迷っているらしいので、わざわざ引き返して声をかけてくれたのだ。東京などでは、ちょっとありえないことである(新宿の歌舞伎町あたりを夜あるいていると、きれいな女性に声をかけられることがあるけれど、これはまた意味が違う)。信州というのは、人情のよいところだなと、そのとき思った。「信濃デッサン館」も「無言館」も、この土地柄にふさわしい。 以前、「無言館」は経営がやや苦しいという新聞記事を読んだ記憶があるが、この日は来館者が入り口で行列を作るほどの盛況であった。もっとも、紅葉真っ盛りの観光シーズンである。雪が降る冬などは、訪れる人が途絶える日もあるかもしれない。彼方に北信の山並みを望み、足下に塩田平が広がる素晴らしい場所にあるのが、通年しての来館者の確保という点ではかえって苦労することになるのかな、などと思う。でも、貴重な美術館である。この方面に行く方は、是非一度は訪ねてみてほしいと思う。 #
by suiryutei
| 2005-11-09 23:23
| ニュース・評論
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![]() 上の写真は安楽時境内の紅葉、下は北国街道・海野宿である。この宿場町で入った[福島屋]という蕎麦屋はなかなかのものであった。 ![]() #
by suiryutei
| 2005-11-07 21:07
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昨日、友人の十三回忌があった。 酔流亭より6歳の年長だから、生きていたとしてまだ50代なかば。亡くなったときは44歳であった。もともとは兄の友人である。酔流亭が郵便局に就職してほどなく、彼もいくつかの仕事を変わった挙句に郵便局に職を得た。以来、好きな者同士、よく酒酌み交わした。 いくつも職を変えたのは、彼の反骨精神による。大学を出て大企業のサラリーマンへというお定まりのコースをすすむことを、彼が身につけた思想はよしとしなかったのである。 法事は横浜のはずれにある静かな寺で行われた。そのあと近くの料理屋で会食する。未亡人と会うのは三回忌以来だから10年ぶりだ。そのとき中学生だった一人息子はこの春、大学を卒業したとという。父親の面影がはっきり認められる。そういえば酔流亭が初めて故人に会ったとき、彼は今の息子くらいの年齢だった。 その息子にとっての父の記憶というのは病気で衰弱してからのものがほとんどだから、故人が元気だった頃のことを息子に話してほしいという未亡人の希望で、参会者一人ひとりが思い出を語った。一升瓶を抱えて彼の家によく泊りに行ったことなどを酔流亭は話した。翌日が二人とも仕事は休みだと、朝から酒屋に酒を買いに行くこともあった。前夜の一升瓶は、とうに空になっている。彼の死因は肺癌だが、すこし多すぎた酒量も寿命を縮めることになったようだ。 しかし、きれいな飲み方であった。酔ってきても人が変わったり激したりすることは決してなかった。盃を重ねながら、問わず語りにあれこれ語り合うだけである。年齢が下だったこともあって、酔流亭はたいてい聞き役であったが。 器用な人で、何をやっても人より上手だった。女性にももてた。適当に折り合いをつければ世の中をうまく渡って行けたろうに、世の中は彼が目指したのとは違う方向に進んでいくのだった。酒量が多かった一因にはそのことがあろう。 それにしても、40代なかばでの死は早すぎた。 #
by suiryutei
| 2005-11-06 09:09
| 身辺雑記・自然
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今週は泊り勤務が続いた。昨日の明けでそれから解放される。 で、昨日は朝9時に勤務が終わったので、それから御茶ノ水に向かう。こんな日には駿河台にある山の上ホテルの喫茶で一休みするのが酔流亭のささやかな贅沢である。温かいココアを啜りながら、店に置いてある朝刊に目をとおす。時計の針が11時を指したところで喫茶を出、神田方面に歩いて行った。 駿河台は名前の通り、小高いところにある。東京23区内では標高(というほどのものでもないけど)が一番高いのではないか。だから「山の上ホテル」なのである。山は大げさだが(横文字ではヒルトップホテルと称す)。それで中央線沿いに坂を下って神田に歩くと「ああ、神田は本当に下町だな」と実感する。 今日もそうだが昨日も快晴で、気温はグングン上がる。酔流亭はトレーナーを脱いでTシャツ一枚になった。この秋初めてのマフラー姿をこの界隈で見たのはもう半月以上前だというのに、11月になってTシャツ姿で街を歩くことになるとは思わなかった。道行く人の中には丸首セーターの上にコートを着ている人もいる。この季節で快晴だと朝早い時間は冷え込むから、家を出るときは厚着になるのである。さすがに汗をかいていらっしゃる。 例によって蕎麦の[まつや]へ。 わさび芋(やまといもをすりおろして山葵を添えてある)を肴に酒を一合飲み、ざる蕎麦。店の若奥様が「あ、今日はお一人ですか。奥様は?」と声をかけてくれる。先々月、女房と彼女の友人と3人でおおいに飲み食いしたのを覚えているのである。この人はいつもにこやかだ。告白すれば、飛騨古川[蕪水亭]の女将さんとここの若奥様が酔流亭にとっての“マドンナ”である。 #
by suiryutei
| 2005-11-05 09:25
| 酒・蕎麦・食関係
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