新人事制度 大阪での報告①~③
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非常に気が重いのだが、立花隆著『中核vs革マル』の読後感を書きつけておこう。 新左翼の最大セクトである両派の抗争は現在も続いているらしいが、ことに1970年代には、お互いに個人テロを仕掛けあって数十人もの活動家が殺戮され、ないしは廃人と化すような事件があいついだ。75年に刊行された本書は、その抗争についてのレポートだ。 100人あるいは数百人のヘルメット集団が路上または大学構内で角材や鉄パイプをふりかざして乱闘する程度のことなら、河原を戦場にした悪ガキの集団ケンカに毛の生えたくらいのものだろう。高度成長期の“平和な”日本での革命ゴッコでかたづけられるかもしれない。ところが、それと並行して、「リンチで殺害された学生は、顔を覚えて報復されるのを怖れてか目をつぶされていた」、「まず手と足を打ち砕いて動けなくしてから脳天にバールをふりおとす」といった、正視に堪えない陰湿なリンチ・テロもくりかえされたのである。しかも、その凶行の実況報告を戦果とばかり機関紙に誇らしげに書き立てる。憎悪が人間をいかにグロテスクにするかの標本を見せつけられる思いがする。 どうしてそうなったか。 党派間の争いに暴力を行使することを正当化する歪んだ“理論”が一方にあり、その行為が何を結果するかより行為に己を賭ける決意がもっぱら評価される異状な(思考停止した)実践主義が他方にある。この両者相俟って事態をとめどなく泥沼化させたのだろう。人間理性の所産であるところの理論や思想は、本当なら憎悪と怨恨のエスカレートを抑制する働きをしなければならないのだが、この場合はそれが逆に拍車をかけたのである。 本来、ブルジョア・デモクラシーやヒューマニズムを徹底していった先に社会主義思想は姿を現すのである。ところが、この両派はことに極端だが、一般に日本の左翼は民主主義と社会主義との継承関係をみるより断絶を強調したがる。ここに一つの落し穴があろう。 酔流亭が通っていた学校でも、入学する前年の秋に一人の学生が党派集団にリンチされ殺される事件があった。入学したのは全学あげての自治会リコール運動の最中である。その運動も、自治会を暴力的に占拠するその党派によってやがてつぶされていった。酔流亭などは新入生だったこともあって後ろでウロウロしていただけだが、自治会再建運動の中心にいた学生たちの中には運動が退潮してからは党派のテロのため大学を去らざるをえなくなった者もいる。 ああいう暴力のおぞましさに対して無自覚な自称“革命家”を目にすると、今でも吐き気を催す。 #
by suiryutei
| 2005-11-04 19:17
| 文学・書評
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はや11月。月が替わったので、拙HP『酔流亭日乗・酒と蕎麦の日々』の更新を行いました。 まず、表紙の写真は飛騨古川の旅館[蕪水亭]の玄関です。それから「最近行った店・楽しかったこと」というコーナーに先月行った郡上八幡と飛騨の写真をUPしました。 郡上八幡の町なかにあった折口信夫の歌碑の写真も載せたかったのだけれど、歌碑の字というのは達筆すぎてよく読みとれない。肉眼で見ても読みとりづらいので写真では何書いてあるかわからず断念(この歌は10月29日の日記に紹介してあります)。 そういえば古川の町にも若山牧水の歌碑があって、これは「ゆふぐれて一夜を泊る飛騨のくにの古川の町に時雨ふりたり」と書いてあるようなのですが、これも「一夜を泊る」の「を」と「る」がよく読めませんでした。前後から多分そうじゃないかと推測するだけ。字は荒垣秀雄が書いたそうです。郡上の折口のほうの碑は誰が字を書いたんだったかな。 どうも旅だ酒だ蕎麦だと日記上では遊んでばかりいるようですが、今日は泊り勤務から朝帰ってきて、これからまた出勤。一眠りしたあとのボンヤリした頭でパソコンに向かっております。 折口信夫、若山牧水ときたので、ついでに戦後2年目の11月3日に斉藤茂吉が詠んだ歌を。 新しき憲法発布の当日となりたりけりな吾はおもはな #
by suiryutei
| 2005-11-03 18:37
| 身辺雑記・自然
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手賀沼というのは東西に細長い沼であって、これが我孫子市と柏市との境界にもなっている。酔流亭の住むところの対岸が柏市ということになる。その対岸の小高い丘に[竹やぶ]という一風変わった蕎麦屋がある。 変わっているというのは、どうみても蕎麦屋のようではないからだ。むしろ芸術家のアトリエのような趣がある。これで出される蕎麦がどうということがなかったとしたら、ケチョンケチョンにけなされるところだ。ところが、ここの蕎麦はしんじつ美味いのである。素晴らしい蕎麦屋は全国に何軒もあるから、一軒だけをもって日本一と特定することはできないけれども、この店の蕎麦が最高のもののひとつであることは間違いない。 と言いながらも、しかも我が家からすぐ近くにあるのに、酔流亭は滅多にはここに足を運ばない。なにしろ芸術家のアトリエであるから、気軽にフラリと行くところではないのである。特別の日、ハレの日に出かけて行くにふさわしい。 で、蕎麦好きにとってのハレの日といえば、その蕎麦屋が新蕎麦を打ち始める日をもって筆頭ということになるだろう。柏[竹やぶ]は11月から新蕎麦になる。そこで昨日、さっそく行ってきた。 まず蕎麦がき。粗挽きの蕎麦粉の、その粗挽き感が素晴らしい。天麩羅は活才巻海老の掻き揚げである。にしんの棒煮、板わさ、ぜんまいもいただく。酒は「天狗舞」を燗したもの。 蕎麦は田舎せいろとかけを食す。せいろが美味いのは当然として、温蕎麦のかけがまた素晴らしかった。デザートは栗を使った和菓子。上等のマロン・グラッセのよう。 満喫した。 #
by suiryutei
| 2005-11-02 10:03
| 酒・蕎麦・食関係
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開催中の神田「古本まつり」に行ってきた。期間はたしか今月3日までである。今日の関東地方は一日素晴らしい秋晴れだったけれど、酔流亭が神田に出かけた日は今にも雨が落ちてきそうなはっきりしない天気で、まつり恒例の「青空市」は中止になってしまった。中央会場や道に露店を出して本を並べるあれだ。これでは、折角「まつり」に出かけて行った意味が半減してしまう。古本を濡らすわけにはいかないのだから、やむをえないことではあるけれど。 それでも何軒かの店内をまわって、『ヘーゲルとマルクス』(津田道夫著 1970年刊 季節社)と『近代日本の形成』(歴史学研究会編 1953年刊 岩波書店)を買う。それから立花隆の『中核vs革マル』という本(1975年刊 講談社)が上下二冊揃っているのをみつけた。すこし迷ったが買ってみる。 迷ったというのは、ひとつは題名からしていかにもキワモノめいているからである。それに一頃盛んに行われていたあの「内ゲバ殺人合戦」には嫌悪感しか感じなかった。いまさらそんなもの読んでどうするという思いがある。 それなのにどうして買ったのかというと、酔流亭の職場にいる左翼的な知人たちは、もちろん今鉄パイプを振り回しているわけではないけれど、その思想において「内ゲバの思想」をひきずっているようなところがあると感じるからだ。もともとは善意や正義感から運動に入った人間が、おぞましい殺戮合戦をやるところまで憎悪をエスカレートさせていく。どうしてそうなったのか。 これまで立花隆が書いたものはあまり読んでいないのだが、去年、イラクの問題での彼の『月刊現代』などへの寄稿は優れたものだと思った。それで、読んでみる気になったのである。 さて、この「古本まつり」が行われる頃というのは、新蕎麦が出る時季でもある。しかも神田周辺にはいい蕎麦屋が多い。それで、毎年、帰りは蕎麦屋に寄ることになる。今年は[眠庵]という店に行った。去年暮れに開いたばかりの小さな店だ。須田町の[万惣]の裏のあたりにある。 隠れ家のようなバーで、自分の好きな蕎麦屋の話でもしながら酒を飲んでいたら、じつはそこもバーではなく蕎麦屋であった、というような店だ。酒好き・蕎麦好きには居心地のよい空間である。ということで、おおいに飲んでしまった。 #
by suiryutei
| 2005-11-01 18:42
| 文学・書評
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[蕪水亭]の朝食は朴葉味噌と決まっている。炭火のコンロの上に大きな朴の葉が敷かれ、飛騨葱をザクザクきざみこんだ味噌がたっぷり盛られる。これは朝から飲まないわけにはいかない。女将さんも心得たもので、朝食の膳にはビールのグラスが始めから置いてある。そろそろ酒に変えようかと思う頃に燗のついた徳利と盃が運ばれてくる。もうすこし飲みたいというのを承知しているようにお代わりの徳利が出る。ご飯になるときには朴葉味噌のお代わりがコンロに載せられる。 で、朝からすっかりいい機嫌になって帰途についた。途中、高山本線の下呂で下車。町なかの共同湯に立ち寄った。ここで一汗かいて朝の酒を抜き、市役所近くにある蕎麦屋[仲佐]へ向かう。ここが今回の旅の「仕上げ」である。 [仲佐]のご主人は「蕎麦打ち師」と自らを称する。実際、機械を一切使わないのだ。蕎麦を石臼で手挽きするところから、すべて自分ひとりの手作業である。ここまで徹底した蕎麦屋は日本全国に他に無いだろう。その蕎麦が美味いのは当然である。 蕎麦の前に、これまた絶品の肴で蕎麦前をやる。蕎麦前っていうのは、酒のことです。ここでも飛騨葱が出た。天麩羅に揚げて、蕎麦の実入りの焼き味噌が上に載る。飛騨葱はこれから食べどきだろう。蕎麦がきは鴨肉を載せて吸い物仕立てのお椀に。それからせいろ蕎麦となめこ蕎麦。有終の美である。 これであとは名古屋に出て、新幹線に乗ればよい。ところが、最後にまだひとつ仕事が残っていた。 旅の同行4人のうちに、「八海山」の一升瓶を持ってきてくれた人がいる。宿で寝酒に皆で飲むつもりであったのだ。しかし一泊目の郡上八幡では、前日からの寝不足で全員すぐ沈没してしまった。前夜の古川では夕食でたらふく飲んだので、もう入らない。結局、一升瓶はほとんど手がつかずに来てしまった。これを新幹線の中で片付けてしまわないといけない。 名古屋駅で駅弁とともに紙コップを買う。けれども、さすがにもうみんな酒はいいよという顔である。こんなときに“飲み意地”をなお発揮するのは酔流亭くらいなもの。新幹線が横浜を過ぎ、品川駅を通過して、東京駅の明かりが見えてくるまで、酔流亭は最後の力をふりしぼって一升瓶と格闘を続けた。 (写真は[仲佐]店内) ![]() #
by suiryutei
| 2005-10-31 17:02
| 酒・蕎麦・食関係
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