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新人事制度 大阪での報告①~③
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![]() マッカーシズムという言葉はよく聞くし、ブッシュ政権下の現在のアメリカも当時と似てきたなんて言われるけれど、この問題を正面から扱った映画というのは酔流亭はまだ観たことが無かった。それだけに興味深い。全編モノクロの映像は、時折挿入される当時の実写フィルムと違和感が無く、その時代の雰囲気をうまく浮かび上がらせているように思う。実写フィルムに登場するマッカーシー上院議員の、頬のたるみ具合とか相手にレッテルを貼って罵倒するしゃべり方なんかは、現在の我が国における次期総理有力候補とちょっと似ていたな。つまりマッカーシズムというのは昔話でも他人事でもない。 映画のあとは隣りの駅の大塚へ向かう。この夜はsakuraasakoさんFC恒例のオフ会だ。[くう]という和食のお店を髭彦さんが選んでくださった。集まったのは、その髭彦さんに佐平次さん・夢八さん・花まきさん・酔流亭の5人。6人掛けのテーブルであったから、真ん中の空席をasakoさんの席ということに勝手に仮定した。 まず生ビールで乾杯。しかし佐平次さんだけは最初から燗酒である。そして後半になってからビールに替えるという流儀であるようだ。そこで「これはasakoさんが注いでいるつもりになってください」と、佐平次さんの一杯目の杯に酒を注がしてもらった。そうasakoさんから託っていたのである。 さすが髭彦さんが選んでくださっただけあって、[くう]は秀逸な店であった。料理が丁寧だし、今が旬の素材ばかりを使っている。酒揃えも満点(詳しくは夢八さんと花まきさんのブログを参照されたし)。経木に筆で書かれた品書きの品がいい。 話題は、例によって色々。大江健三郎の小説『万延元年のフットボール』から映画『ギルバート・グレイプ』にさっと話題が飛んだりする。飲むこと食うことの話も勿論。 次回は梅雨が明ける頃か。 ![]() #
by suiryutei
| 2006-05-27 15:10
| 酒・蕎麦・食関係
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Comments(8)
北朝鮮は国を挙げて麻薬の密輸をやっているらしい。けしからぬことである。ところで、あまり知られていないが、戦前の日本も麻薬の輸出大国であった。だから中国大陸内陸の、外国の国旗について知識の無い人たちは、日章旗のことを麻薬販売会社の商標だと思っていたという。「日の丸」を国旗とする国の国民として、恥ずかしいことだ。 北朝鮮における金正日への個人崇拝は滅茶苦茶である。はやく集団催眠が解けてほしいと、隣国に住む者としては願わずにはおれない。しかし、個人崇拝ということでは、戦前の日本での天皇崇拝も現北朝鮮にひけをとるものではない。だから、北の人々が金正日を「将軍様」と崇めるのを嗤う同じ人が、「君が代」は抵抗なく歌うのを見ると、酔流亭は不思議な気がする。「君が代」の「君」が天皇を指すこと、それも現在の象徴天皇ではなく戦前の絶対的天皇のイメージとむすびついたものであることは、あまりにあきらかだからだ。人のおかしなふるまいは嗤えても、自分の姿は冷静に見られないというのは、成熟した態度ではないだろう。 むろん、こういうことは各個人の心の問題であるから、「君が代」を歌いたい人は自由に歌えばよい。それを妨害するつもりはない。しかし、自分が歌うことを強制されるのはゴメンだ。 北朝鮮の現体制はいずれ崩壊するだろう。あんな無理がいつまでも続くわけがない。さて、そのとき、現在、北で使われている国旗、歌われている国歌はどうなるだろうか。まあ、こんなことは日本人が口を出すことではなく、朝鮮半島に暮らす人々が決めることであるが、現行のままであるとは考えにくい。或る国家が道を踏み外して崩壊したならば、その廃墟の上に新生を期す人々は、それにふさわしいシンボルを選びとるに違いないと思う。 衆院の特別委員会で始まった教育基本法の「改正」を巡る審議で、「国旗や国歌を国民が愛せないのはおかしい」という発言が与党サイドから出されているようだ。 酔流亭も現在の我が国の国旗や国歌を愛せないひとりである。そして、そういう状態は、たしかに「おかしい」。しかし、それは「愛せない」人間が悪いのだろうか。 そうではなくて、現在の国旗・国歌のほうに問題があるんだというのが、酔流亭の考えである。戦前の日本は、国家として道を踏み外して崩壊したのだ。その再生にあたっては、過去とはっきり断絶することが必要であった。その断絶が不徹底であったことが、今日にさまざまな禍根を残している。靖国がよい例だろう。 「日の丸」と「君が代」は、その不徹底さを象徴するものと、酔流亭には思える。 あの旗と歌に向き合うとき、酔流亭の心に湧くのは愛情ではない。感じるのは痛みである。そして、その心の痛みが無くなったとしたら、人間としてオシマイだと思っている。 #
by suiryutei
| 2006-05-26 10:00
| ニュース・評論
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Comments(13)
リンクしている『花まき日記』で連載が始まった「日本むかし話『長屋に届いた贈り物』」に、酔流亭がモデルと思われる人物が登場しています。 これまで二話載って、まだ続くようです。長編力作です。 著者の梵さん、ありがとうございます。 『花まき日記』へは、左のエキサイトブログのリンクからどうぞ。 #
by suiryutei
| 2006-05-25 18:35
| 身辺雑記・自然
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Comments(0)
お気づきでしょうか。 最近、ネームカードを作りました。左のほうの、最新のコメント・最新のトラックバック・カテゴリと続く、その下に出来ているでしょ。 徳利と酒盃の小さな写真がついていて、「酔流亭 蕎麦屋で一杯!」という言葉が書いてあります(どうも一つ覚えの文句ですが)。 作ったのは連休の頃だったかな。いや作ったというと、さも自分でやったみたいですが、例によって妻に作ってもらったんです。なにしろ自分で出来ることは、この日記を書くのとメールを送ることぐらいなんで。写真のUPとかトラックバックも自分じゃできない。 で、ネームカードというのはブログの世界での名刺のようなものらしい。簡単な自己紹介になっています。好きなものとか趣味とか。よかったら、クリックしてみてください。 写真の酒器は、先月あった小山商店『多摩独酌会』での抽選で当てました。山形の「菊勇」という銘柄を作っている蔵元のものです。 今日、さっそく初めての「名刺交換」をやりました。うれしかったです。 #
by suiryutei
| 2006-05-24 15:01
| 身辺雑記・自然
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Comments(2)
イタリアの女優アリダ・バリが亡くなったのは先月22日である。映画『第三の男』で、彼女が並木道を振り返らず歩いて去っていくラストシーンはあまりに有名だ。 昨日の朝日新聞夕刊の『惜別』というコーナーに、改めて短い評伝が載っていた。それによれば、享年84、スキャンダルにもまみれ、経済的には苦しく、晩年は生活保護を受けていたという。平坦な人生ではなかったようだ。 『第三の男』は、手練れの監督(キャロル・リード)が個性ある名優たち(オーソン・ウェルズら)を配役して職人技を存分に発揮した鮮やかな作品ではあるけれど、観て深く感銘するという映画ではない。生意気なことを言うが、酔流亭が観た感想はそうである。アリダ・バリが出演した映画で酔流亭の印象が深いのは、ジッロ・ポンティコルボ監督の『青い大きな海』だ。 ポンティコルボはのちにアルジェリア独立運動を描いた『アルジェの戦い』を撮った人。『青い大きな海』は、たしか彼の劇映画第一作だったと思う。酔流亭は高校生のときNHKで放映されたのを視た。 イタリア南部の漁村が舞台だった。イブ・モンタンとアリダ・バリが漁民の夫婦を演じていた。モンタンは海中に爆薬を投じて、その衝撃で浮き上がった魚を獲っている。危険だし乱獲になるので、漁民組合ではその漁法を禁じているし、警察からもマークされている。だから彼は一匹狼だ。しかし家族を養うためにその漁を続ける。イブ・モンタンが演じた漁師の逞しさに酔流亭少年は惹かれた。自分の父親にすこし弱弱しいところがあったからだろう。 漁の最中に誤って爆薬が破裂し、その漁師が死ぬところで映画は終わる。舟の上で息をひきとる前に、彼は息子に漁民の組合に入れと言い残すのである。 漁村の貧しさと、そこで精一杯生きる人々の姿が印象的だった。もう半世紀近く前の作品だから、当時イブ・モンタンは40代、アリダ・バリは30代であろうか。TV放映されたのを酔流亭が視たときからでも、すでに30数年が経っている。 女優アリダ・バリの訃報に、歳月の流れを思う。 #
by suiryutei
| 2006-05-23 16:32
| 映画・TV
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Comments(0)
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