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新人事制度 大阪での報告①~③
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先月末から、三日間ばかり旅に出て(そのため日記を休んでいました)、昨夜、帰宅した。 旅は西のほうへだったので、東海道新幹線で戻ってきた。品川駅を過ぎたあたりで東京タワーが見える。もう夜になっていたから、ライトアップされている。なかなかに綺麗なものである。 家に着いたのが9時すこし前。それで、荷をほどくのもそこそこに、9時03分からTV放映される映画『ALWAYS 三丁目の夕日』を視ることにした。去年、劇場公開されて話題になった作品だ。 映画の舞台は昭和33年の東京。ついさっき約50年後の実物を新幹線から眺めたばかりの東京タワーは、まだ建設中である。それを見上げながらの人々の生活が描かれる。主人公の一平少年は小学校の3~4年生くらいに思われる。1955年(昭和30年)生まれの酔流亭の兄くらいの世代ということになろうか。 したがって、酔流亭にとっては自分の少年時代、それもまだ物心ついたばかりの頃を思い出させる懐かしさがあった。小さな自動車修理工場を経営する一平の父親が運転するオート三輪も、かすかに見覚えがある。それにテレビが家庭に入ってくるのとだいたい同じ頃、冷蔵庫が氷で冷やす式のものから電気冷蔵庫に変っていくのは、我が家でもそうであった。 映画の中には泣かせるエピソードがいくつもあるのであるが、酔流亭が一番ジンときたのは、三浦友和演じる男やもめの医者が見た夢だ。 彼は往診の帰りだったのだろうか。その日やる診察はすべて終わって、焼き鳥屋あたりですこし飲んだらしい。道端の草むらでふと寝入ってしまう。そして妻と幼い娘の夢をつかのま見るのである。彼が土産に買って帰った焼き鳥を二人は美味しそうに食べている。 この妻と娘は空襲でもう死んでいるのだが。 昭和33年という時代は、まだ戦争の影がいたるところに残っていたのだな、と思った。実際、10数年前などというのは、ついこのあいだのことである。自分自身をふりかえってみても、今から10数年前にあたる1990年代前半など、ほんの最近のことという感じがする。あの映画の時代を生きた人々にとっては、戦争の記憶はまだまだ生々しかったに違いない。 高度成長はすでに始まっていた。建設中の東京タワーはそれを象徴しているだろう。あのあたりから、戦後の日本は、すくなくとも経済のことをいえば右肩上がりに良くなっていくのである。しかし、あの時点では生活がこれからどうなっていくのか、不安は一杯だったはずだ。高度成長があんなに続くなんてことは、後になって結果を見てわかったことである。 そんな時代に生を受けて子供時代を過ごした者としては、貧しい中で、よくぞまあ腹いっぱい食わせて育ててくれたなあと、やはり親の世代に感謝しないわけにはいかない。 話は変わりますが、旅行は二泊三日で京都と下呂温泉に行ってきました。旅の報告は来週ゆるゆると。 ![]() #
by suiryutei
| 2006-12-02 10:38
| 映画・TV
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Comments(6)
昨日は遅い勤務だったので、帰宅は午後11時半を過ぎていた。 食卓につき、缶ビールを飲みながら、夕刊を開く。朝日新聞に月一度くらいの割りで『惜別』といページがある。直近に亡くなった人を悼む記事が載る。そこにイタリアの映画監督、ジッロ・ポンティコルボの名前があった。名作『アルジェの戦い』を撮った監督である。10月12日死去。86歳であった。死因は心筋梗塞の後遺症とのこと。 数日前、イギリスのケン・ローチ監督の作風を詩情と骨の太い思想性を併せ持つと書いた(11月25日の日記)。ポンティコルボ監督の映画もまた、まさにそうであった。 酔流亭が『アルジェの戦い』を観たのは、1971年、高校二年生のときである。高田馬場の、今はなきパール座という映画館でだ。そのときの衝撃と感動は忘れられない。映画館を出ても、すぐ電車に乗って帰る気になれず、早稲田大学に向かう通りをしばらく歩いて気持ちを鎮めた。当時はこの通りに貸本屋がまだ何軒もあったのを覚えている。これも今では絶滅した商売だが、こんなことまで鮮明に記憶しているほど、あの映画を観たことは高校の三年間を通じても酔流亭にとって特別な体験として心に刻まれているのである。1970年代初頭といえば、ベトナム戦争は大詰めに迫っており、われらの世代もそれに無関心ではいられなかった。初めて反戦デモに参加したのはその頃である。映画の主な舞台はカスバの市街であり、ベトナムは農村が戦場になったというイメージが強いから、映像からただちにベトナムを連想したわけではなかったけれど、植民地支配からの解放を目指すという点では共通していた。 この『アルジェの戦い』は、フランスの植民地だったアルジェリアでの民族独立の戦いを描いたものである。創作なのであるが、実写と見まがうようなドキュメンタリー・タッチで貫かれ、その手法が異様な迫真性を生んでいた。 アルジェリアもベトナムも、独立後の歩みは必ずしも平坦な道ではなかった。理想の国造りが進められたとは言いがたい。それでも、大国が小国を勝手に踏みにじれるような時代を終わらせていく上で、これらの国の人々の闘いが果たした役割は大きい。 『アルジェ・・』(制作されたのは1966年。だから酔流亭が観たのはかなり後のことである)の数年後に、マーロン・ブランド主演で『ケマダの戦い』という作品をポンティコルボ監督は作った。これはロードショー公開されたときに観た。植民地主義の構造に切り込んだ意欲作であったが、興行的には成功しなかったようだ。その後は、イエス・キリストの生涯をテーマにした映画を企画しているというニュースを雑誌『キネマ旬報』で見かけたと思うけれど、それはどうなったか。『ケマダの戦い』が興行的に失敗したので、その後は映画を作りにくくなってしまったのだろうか、などと素人考えで想像したりしていた。 そして月日は流れ、昨夜目にした訃報である。 寡作ながらイタリア映画界の重鎮として重きを置かれていたと、その新聞記事には書かれていた。海の彼方から、冥福を祈る。 #
by suiryutei
| 2006-11-28 21:45
| 映画・TV
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昨日の日曜日は、福生まで出かけた。 福生は、立川駅で青梅線に乗り換え、拝島の先。青梅よりちょっと手前である。この町の『公民館の集い』がこの日、開かれ、その分科会のひとつとして「五日市憲法に学ぶ」というのを福生『9条の会』が企画した。知り合いの歴史家・江井秀雄さんが講師を務めるというので聴きに行ったのだ。 『五日市憲法』というのは、自由民権運動が全国で高揚した明治10年代に五日市の山村で創られた私擬憲法草案。この時代、こうした民間の憲法草案は全国で作られたが、その中でも内容が民主的であること、条文がよく整備されていること、そして完全な形で発見されたことで有名だ。1968年秋、東京経済大学の色川大吉ゼミによって五日市の深沢家の土蔵から発掘された。江井秀雄さんは色川ゼミ一期生であり、その発掘の現場にもいた。 この五日市憲法に限らず、明治の自由民権運動の渦中で作られた私擬憲法案は、その内容が今日の日本国憲法に通じるものが多い。それもそのはずで、戦後、憲法を作るとき少なからず参考にしたのが、この時代の民間憲法草案なのである。 自由民権運動を暴力的に弾圧し、欽定の「大日本帝国憲法」を押し戴いた明治の絶対主義的天皇制国家は、やがて昭和に時代を移すとファシズム的な軍国主義へと進化し、無茶な戦争をやって崩壊する。敗戦で軍国主義とファシズムが除去されれば、その暴虐の下で地下に潜っていた民主主義的要素が息を吹き返すのは自然の流れであった。その、我が国民衆がかつて培った、いわば自前の民主主義が現憲法には流れ込んでいるのである。現憲法を「占領軍による押し付けだ」と詰るばかりの改憲派の人たちが故意に見落としていることであるが。 さて、分科会は午前中で終わった。午後は全体集会があるようだけれど、福生の市民ではない酔流亭たちにはあまり関係ない。江井先生と知り合いの地元の方が「蕎麦屋でも行きましょう」と誘ってくれた。 連れて行かれたのは、五日市街道と新奥多摩街道とが交差するあたりにある[花菱]という店。福生で蕎麦を食うことは期待していなかったのに、ここはなかなか本格の、いい蕎麦屋であった。石臼挽きの手打である。板わさと卵焼きで酒を飲み、もりを一枚(連れの人たちが頼んだ鴨汁そばや茄子おろし蕎麦も美味しそうだった)。蕎麦湯はポットで出してくれるから、保温が効く。 空模様は、今にも泣き出しそう。晴れていれば、近くを多摩川や玉川上水が流れるし、桜の紅葉、銀杏の黄葉がちょうどよい時季だから、すこし散策したかったが、これでは酒でも飲む他ないではないか。[花菱]のあと、福生の駅前の食堂で、またすこし飲む。 昼過ぎから飲み出すと、いや後が長いこって。 立川に戻ってきたのが、そろそろ居酒屋が暖簾を出す時間である。必然、ここでまたひっかかることになる。これから先のことは、もう略しますね。 #
by suiryutei
| 2006-11-27 10:09
| ニュース・評論
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![]() そして最新作『麦の穂をゆらす風』。 1920年前後のアイルランドが舞台である。イギリスからの独立を目指す運動が拡がっている。 デミアンは医学生で、同世代の若者たちが武力抵抗へとのめりこんでいくのも最初は醒めた目で見ていた。ところが、幼友達はイギリス軍に反抗的態度を示した(尋問に英語ではなく土着のゲール語で答えた)というだけの理由で殺されてしまう。留学すべくロンドンに発とうとした駅では、イギリス軍が乗り込んできた列車に暴力に屈せず乗務を拒否する運転士の姿を目の当たりにする。 かくて、デミアンも反英武装闘争に身を投じていくのである。 やがてイギリスとアイルランド義勇軍のあいだに停戦が成立する。独立が現実のものになろうとしたのだ。しかし、その講和条件は義勇軍にとって屈辱的なものであった。イギリス軍は撤退こそすれ、アイルランドがイギリスの支配下に置かれている構図そのものは変らないのである。 この講和を受け入れるか否かを巡って、独立運動内部の対立が激化する。この映画がいよいよ深みを増していくのは、ここからだ。 デミアンの兄、テディは、はやくから独立運動に挺身していて、若者たちのリーダー的存在であった。両手のなま爪をすべて剥がされるという凄惨な拷問を受けながらも、アジトのありかの口を割らなかった不屈の闘士である。 そのテディが、現状では講和受け入れやむなしとして、完全独立まで闘い続けることを主張するデミアンたちと意見が分かれるのだ。そして受け入れ派と完全独立派との間で武力抗争まで勃発する。 かつてテディが拷問にかけられるとき、デミアンは兄の身代わりになろうとした。それほど深い兄弟愛で結ばれていた二人の亀裂は、抜き差しならぬものになっていく。 この両者の対立を、映画は一方の側に立って他方を弾劾などしない。実際、どちらの決断(状況分析)がよりリアルであるかは、むずかしい問題である。前者が地主や資本家に軸足を置き、後者は社会主義的変革を遠望するという階級的対立が透けて見えるけれど、講和やむなしと考える派にしても、その条件が屈辱的だと考える点は同じなのだ。ただ、力関係の上でこれ以上は無理だと判断する。われわれは、たとえば現代の日本で国労の争議団が直面した苦境と分裂を思い出さざるをえない。そして同じような葛藤は、これまでも、現在も、地上の多くの地域で起きていることだろう。 監督ケン・ローチは、高い所からこの対立を愚かしいとかむなしいと言っているのではない。彼の視線はもっと切実だ。そこにこの作品のたぐいまれな深さと今日性があるように思う。 #
by suiryutei
| 2006-11-25 21:18
| 映画・TV
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今朝起きて、朝刊を手にとると、「灰谷健次郎さん死去」という記事が真っ先に目に入った。 死因は食堂がん。72歳である。 TV『徹子の部屋』に出ていたのを視たのは何年前のことだろうか。まだ数年とたっていないと思うが。そのときはよく日に焼けて元気そうで、沖縄の海に毎日潜っていること、サメに跡をつけられることがあること、そのサメとは顔見知りになったというようなことを話していたように思う。この最後のサメと顔見知り云々というのは、酔流亭がいくらか尾ひれをつけて記憶しているのかもしれない。しかし、ともかくまだまだお元気そうであったから、訃報にすこし驚いた。 しかし酔流亭は灰谷さんの本はいくらも読んでいない。いや読んだのは『太陽の子』一冊だけではないかしら。でも、この小説はとてもよかった。沖縄から神戸に出てきて琉球料理の店をやっている一家の娘であるところの少女がヒロインであった。 この本を、酔流亭は以前いた職場で年下の同僚から借りたのであった。普段は活字を読むことが嫌いなその同僚が「○○さん(酔流亭の本名)、この本、いいですよ」と言って貸してくれたのだ。もう20年近く前のことである。 その後、その小説の舞台となった神戸の下町に行ったことがある。近くに新開地と呼ばれる盛り場があった。昼間から暖簾を出している居酒屋が軒を並べ、大衆演劇の芝居小屋なんかがあって、なにか懐かしいような一角であった。あの震災が起きるちょっと前のことである。今はどうなってしまったろう。震災以後に行ったことはない。 『太陽の子』の登場人物の一人が「本には金を惜しむな」と語るところがあったように思う。酔流亭はなるほどと思い、身内の子供たちが自分で書店に行って読みたい本を選べるくらいの年齢になると、誕生日やクリスマスのプレゼントにこの言葉をカードに書いて図書券を贈ったりしたことがある。でも、そう言いながら自分は本を買う金を惜しんで酒にまわしてしまうのであるが。 #
by suiryutei
| 2006-11-24 22:15
| 文学・書評
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