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昨日は「色川大吉を読む」読書会の忘年会だった。三鷹の居酒屋にて。 約1年半かけて『明治の文化』を読み込んできて、それが先月、読了した。新年からは『ある昭和史ー自分史の試み』に入る。1975年度の毎日出版文化賞を受けたベストセラーであり、今でもよく使われる自分史という言葉はこの本から生まれた。 それで、昨日は、読書会の番外編として、昼は色川大吉さんの講演、夜から忘年会だった。ところが酔流亭は昼は仕事で色川さんの話は聴けない。忘年会だけ参加した。 先月、秩父に秩父事件のフィールドワークに出かけたのは、この読書会のメンバーだから、『伝送便』誌今月号に書いた「秩父事件120年」という文章をコピーして忘年会参加者に配った。ところが、忘年会では酔流亭は色川さんの隣に座らせていただくことになった。昼間の講演を聴けなかった酔流亭のために事務局がサービスして席を作ってくれたのだ。つまり、酔流亭のすぐ隣で色川さんが秩父事件について書いた我が文章をジッと読むことになったのである。言うまでもなく、秩父事件の研究における現存する第一人者が色川大吉さんである。光栄である以上に恐縮した。ことに最後のほうの秩父事件の評価についての記述など、付け焼刃の受け売りだから、汗が出る思いだ。それでも、退席されるとき色川さんは文章のコピーを丁寧に鞄にしまってくださった。酔流亭としては嬉しい1年の締めくくりとなった。 なお、この「秩父事件120年」という文章は、拙HPの「手賀沼の畔より」の中に収録してあります。 #
by suiryutei
| 2004-12-13 09:36
| 身辺雑記・自然
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映画『血と骨』(崔洋一監督・北野武主演)を観てきた。 この映画についての酔流亭の感想を言えば、「見事な戦後史」の一語につきる。そして、登場人物の大半が在日朝鮮人でありながら、描かれているのはまぎれもなく日本の戦後だということが重要である。日本の政治家がこの映画を観て、そのことを理解したなら、たとえば靖国のことで「外国からあれこれ言われる筋合いは無い」といったような発言は出ないだろう。いま問題になっている北朝鮮のことにしても、たしかにキムジョンイルはどうしようもない悪だが、この悪党は日本の植民地支配が生んだ鬼っ子という面もあるのである。拉致被害者を支援してきたことで売り出した政治家が、日本による植民地支配について無神経なのは、本当はおかしいのだ(現状は、拉致事件が起きたからには植民地支配なんかチャラだみたいになっているが)。 主演の北野武はじめ、役者はいずれも熱演。かなり暴力的な場面が続くから、横で観ていた女房はちょっと辛かったようだ。娘役の田畑智子が自殺してしまうのは哀切だったな(酔流亭はこの女優さん、好きである)。 さて、かなり重い映画だったので、気持ちの切り替えをしないといけない。映画館で、さいとうさんと一緒になった。いつも花まきさんのBBSや画像掲示板に書き込みしてくれる、あのさいとうさんだ。前日に会ったとき「僕もあの映画、観たいです」と言っていたのである。それで、映画のあと(有楽町の映画館だった)、神田の蕎麦屋[夢八]で一緒に飲むことにした。身内のケイちゃんとも待ち合わせていたから、4名で[夢八]へ。豆乳鍋をたのしんだ。紙の鍋に豆乳を満たし、野菜や肉をサッと煮て食べる。美味しいし、身体が温まるから、これからの季節におすすめである。 #
by suiryutei
| 2004-12-11 21:40
| 映画・TV
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久しぶりに新刊書を買った。寺島実郎著『脳力のレッスン』(岩波書店)。 昨日、出勤途中に買おうとして、まず上野駅構内のかなり大きい本屋で捜したのだけれど、見当たらない。店員に訊くと「専門的な本ですので置いていません」と言う。けっして専門書ではなく、書名でもわかるように一般向けに書かれたものだ。著者の寺島氏はTVにもよく登場するし、本の内容は現在の状況への発言である。前日の新聞に大きく広告も出た。しかし岩波書店というだけで難しいと思い込んでしまうのだろうか。 東京駅で下りて八重洲のブックセンターに行ったら、すぐ見つかった。それにしても岩波の営業担当はすこし考えたほうがよいのではないか。 さて、この本は雑誌『世界』に連載されている同題のコラムをまとめたものだ。酔流亭は『世界』の購読者ではないので、たまに地元の図書館で流し読みをしながら「早く単行本にならないかな」と待ちわびていた(このあたり、酔流亭もいわゆる「岩波文化」を敬遠する気持ちが働くのかもしれない。『世界』の執筆者は大学の先生が多いが、名前の下にいちいち○○大学と書き込まれているのは何の意味があるのかね)。 横道にそれた。 寺島氏は、酔流亭が現在その発言をもっとも傾聴する論者である。イラク戦争へと突き進んでいったアメリカの動き、日本国内の流れ、そして世界の動向に対する鋭く誠実な論考を積み重ねてこられた。その発言の全てに酔流亭は賛成するわけではない。寺島氏は大企業のトップに近いところで国際ビジネスの最前線に身を置いてきたビジネスマンでもある。酔流亭はといえば、二十歳で大学を中途退学して労働現場の一員となって以来、企業人として自己実現を果たすというような生き方からはなるべく遠いところにいたつもりだ。物事の感じ方・受け止め方に微妙に違いが出てくるのは当然だろう。 「小さな花」と題する稿の中で寺島氏が「私自身を率直に見つめてみて、自分が常に『小さな花』の側に立ちうるかについては自信がない。組織人として生きてきた私は、組織秩序を守ることの価値も共有しているし、体制を維持する側の論理に立って発言しなければならない立場にも立ってきた」と述べているのは正直な感慨だと思う。そのうえで酔流亭はそれに続くつぎの文章に深く共感し完全に同意する。 「・・色々な立場はあっても、自分の持ち場において美しいものへの感性と不条理を拒否する正気だけは持ち湛えなければならないと思う。時代の空気が安易に流れることを誘惑する状況下で、ぎりぎりの知的緊張の中で思索を深め、行動したいと思う。たとえ、政治行動の前面に立たなくとも、それぞれの持ち場で時代をしっかりと見つめ、民主的手続きの中で正当な意思を表示し続ける名もなき民の存在こそが世界を支えるのである」(本書257ページ)。 #
by suiryutei
| 2004-12-10 10:08
| 文学・書評
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5日に書いた「南京虐殺は無かったのか?」という文章をトラックバックしてくださったhashibamigさんがご自身の日記に書かれた「君が代・日の丸」についての考えに、教えられるところ多かった。 hashibamigさんは「日の丸」や「君が代」自体は嫌いというわけではないとして、「君が代」などはむしろ戦意を喪失させるメロディで平和的ではないかという意味のことを書いていらっしゃる。強制することが問題なのだ(おおまかな要約なので、hashibamigさんの原文を読んでください)。 サッカーの中田選手が「君が代」では意気が上がらないと発言して右翼が彼の試合場におしかけるということが以前あったと聞いている。たしかに、士気高揚させる歌ではない。しかしスポーツではなく戦場でなら、そのほうがいいかもしれない。あれで鼓舞されておおいに殺戮してやろうという気にはならないだろうから。「君が代」とよく比較されるフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」は、これに対して戦意おおいに上がる歌である。なにしろフランス革命において圧制に向かって進撃する中から沸きあがった歌だ。我が「君が代」とは発生的に事情が違う。 しかし「ラ・マルセイエーズ」の下で進撃したのは、必ずしも圧制に対してだけではなかった。ベトナムやアルジェリアでは圧制者自らが「ラ・マルセイエーズ」を歌った。それを思えば、国歌なんてあまり威勢のよいものではないほうがよいのかもしれない。 もうすこし書くつもりだったが、出勤時間が迫ってきた。あとはhashibamigさんの文章を読んでいただくとして、今日はここまで。 #
by suiryutei
| 2004-12-09 10:20
| ニュース・評論
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3年前の初夏に北海道を旅したとき、網走郊外能取湖畔にある[能取湖荘]という旅館に泊まった。ここはいい宿で、窓からは能取湖の眺めが広々と見渡せるし、魚が旨い。宿料は民宿並みである。 泊まった部屋には山口瞳・関頑亭コンビによる色紙が掛かっていた。関頑亭さんが描いた観音様の絵に山口瞳さんが折口信夫(釈超空)の「葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり」という短歌を書き付けたものだ。宿に予約の電話を入れたとき「山口瞳の紀行文で知りました」と伝えたので、その部屋を用意してくれたのだろう。 著名な民俗学者で國學院大學教授だった折口信夫は、歌人としては釈超空という筆名を使っていた。孫悟空みたいで面白い名だとかねてから思っていたが、その由来を考えたことはなかった。ところが、昨日の朝日新聞朝刊で丸谷才一さんがそのあたりのことを書いている(「釈超空という名前」)。 まず、釈というのは浄土真宗の法名である。折口には9歳年上の真宗僧侶である恋人がいた(彼は同性愛者であった)。超空とは山魅、つまり山の妖精。おそらく二人で山中を放浪しているときに、恋人である僧侶がたわむれに折口をこう呼んだのではないか。そして、この恋は僧侶の結婚によって終わるのだが、折口はその名を己の筆名にすることで秘められた初恋を偲んだというのである。 なるほど。なお、この筆名の由来を明らかにしたのは、富岡多恵子さんの『釈超空ノート』(2000年)とのことである。 #
by suiryutei
| 2004-12-08 09:41
| 文学・書評
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